寝起きで首が痛いのは枕が原因?枕が合わないと出る症状や正しい選び方

寝起きで首が痛いのは枕が原因?枕が合わないと出る症状や正しい選び方

寝具の選び方

寝起きで首が痛いのは枕が原因?枕が合わないと出る症状や正しい選び方

#快眠・安眠 #枕

昨晩まではなんともなかったのに、翌朝起きたら首が痛い…という経験をすると、いままで寝具に対してそこまで興味がなかった方でも、自分に合う寝具を検討したくなります。

この記事では、首の痛みが気になり、その原因は「枕が合っていないせいかも?」と思っている方に、首が痛くなる原因やその解決方法を詳しく解説しています。

枕が合わないことで首が痛くなる原因

真っ直ぐに立った姿勢(正常立位姿勢)のとき、首の骨は通常、背骨から頭を真っ直ぐ支えるために緩やかなS字を描くようにカーブしています。睡眠時にも、その背骨のカーブを自然な状態に保つことで、体の圧力が均等に分散され、血液が循環しやすくなります。

そこで重要なのが枕です。

枕には、睡眠中の頭や首を支えて首のカーブをサポートしたり、睡眠中の姿勢を整える役割があります。ですが高さや硬さの合わない枕を使用すると、頭や首をうまく支えることができず、無理な姿勢を長時間続けることになるので、睡眠中に首や肩周りの筋肉に大きな負担がかかり、こりや痛みが起こります。

また、横幅が小さすぎる枕は、寝返りを打ったときに枕から頭が落ちやすいため、肩こりや寝違えにつながる可能性があります。

理想的な枕の使い方

枕が合わないと出る症状

首を痛めた女性

合わない枕を使用することで起こる症状の代表は以下の4つです。

  • 肩・首・腰・頭の痛み
  • いびき
  • ストレートネック
  • 睡眠の質低下

それぞれ詳細を見ていきましょう。

肩・首・腰・頭の痛み

高さや硬さの合わない枕で眠ると睡眠中の姿勢が不自然になり、頭から首、肩周りにかけての筋肉に負担がかかってしまうため、肩・首・腰・頭の痛みやこり、寝違えの原因となります。

例えば、高すぎる枕を使うと頭が持ち上がるため、首や肩に負担がかかり、使い続けることで頭痛や首こり、肩こりなどの原因になります。

反対に、低すぎる枕では首とマットレスの間に隙間ができ、首だけで頭を支えている状態になるため、肩こりや首の痛み、呼吸のしづらさなどの原因になります。

また、首と腰にかけて背骨で繋がっているため、首に負担がかかることで腰にも影響が及ぶ可能性があります。特に体を支える筋肉が少ない方は、枕が合わないことで腰痛が起きやすいと言われています。

いびき

高すぎる枕で眠ると、気道が圧迫されるので、いびきをかきやすくなります。

首の自然なカーブをつくれる枕の高さは人によって異なりますが、華奢な方であれば5cm程度、体格が標準の方は6cm程度、体格のよい方は8cm程度の高さを目安に調整しましょう。

ストレートネック

ストレートネックとは、スマートフォンの使用やデスクワークなど、生活習慣のなかで前傾姿勢が長時間続くことで、首のカーブが伸び、ストレートになった状態のことです。

人は睡眠中、ストレートネックでダメージを受けた首の修復をはかろうとしていますが、高さや硬さが合わない枕を使用していると、ダメージや疲労を回復するどころか、悪化させてしまう可能性があります。

下記記事では、ストレートネックの症状や簡単な診断方法、症状緩和に有効なストレッチなどをまとめています。気になる方はぜひあわせてご覧ください。
ストレートネック(スマホ首)の見分け方を紹介! 症状や対策枕の選び方も解説

睡眠の質の低下

自分の体に合っていない枕は、寝返りがしにくかったり、寝心地が悪くて逆に寝返りをし過ぎてしまうので、睡眠の質が低下します。「十分な時間寝たのに翌朝疲労感がある」「夜中に目が覚めてしまう」という方は、枕を見直してみましょう。

枕で首が痛くなるのを解決する方法

自分に合わない枕を使用し続けている間は、首や肩の痛みやこりが解消されない可能性が高いと言われていいます。枕による悩みを解決するには、「自分に合った枕」を「正しく使用する」ことが大切です。

この章では、枕が自分に合っているかチェックする方法と、枕の正しい使用方法の2点を解説します。

枕が自分に合っているかチェック

まずは、使っている枕が自分の体に合っているかを確認しましょう。自分に合っていない枕を使っている場合は、下記のような状態が多く見られます。

  • 朝、目が覚めた時に枕がズレている(首から離れている、後頭部しか乗っていない)
  • うつ伏せの姿勢で目が覚める
  • 枕や頭の下に手を入れて寝ている
  • 腕を上げて寝ている
  • 翌朝、手や腕にしびれがある
  • 翌朝、首や肩がこっている、または痛い
  • 熟睡感がない
  • 寝返りを打つと目が覚める

これらに一つでも当てはまる方は、自分に合っていない枕を使っている可能性があります。

枕が体に合っている場合、寝返りを打っても大きくズレることはなく、ズレそうになっても、無意識に枕を戻したり、体が追いかけていったりなどして、枕と自分の体が離れるのを食い止めようとします。

睡眠中に「枕から頭が落ちる、うつ伏せの姿勢になる、手を枕の下に入れる、バンザイしている」などしていることが多い方は、一度枕を見直してみましょう。

正しく枕を使用する

正しく枕を使用するための手順は以下の通りです。

  1. 枕に頭から首までを乗せる
  2. 枕の両端を両手でつかみ、枕と肩が触れる位置まで枕を引き下げる

また、正しく使用できているかチェックするポイントは以下の通りです。

  • 枕に「頭と首」が乗っているか
  • 枕と肩が触れているか
  • 肩が枕に乗っていないか

首をしっかりと支えられるよう、枕には頭だけでなく「頭から首まで」を乗せます。また、肩が枕に乗ると背中が浮いてしまうため、肩は枕に乗せずに枕と触れる位置が望ましいです。 上記の手順とポイントを抑えながら、正しく枕を使ってみましょう。

【寝姿勢別】首が痛くならないようにする枕の使い方

“理想の寝姿勢”とは、真っ直ぐに立った姿勢(正常立位姿勢)に近い背骨のラインを保つことなので、寝姿勢によって、最適な枕が異なります。 枕の使い方

仰向け寝:背骨がなだらかなS字状にカーブ

仰向け寝のときは、真っ直ぐに立った状態と同じように、首の骨が緩やかなS字カーブになる高さの枕がオススメです。頭だけでなく、首のカーブもしっかりと支えることのできる高さ・硬さ・サイズの枕を選びましょう。

また、仰向けの状態で頭を乗せたときに、首から頭にかけての傾斜角度が10〜15度、額より顎の先が5度程度下がっている状態が理想の寝姿勢と言われています。

横向き寝:背骨と床が真っ直ぐ平行

横向き寝のときは、真っ直ぐに立った状態と同じように、頭から背中にかけての骨が真っ直ぐになる高さの枕がオススメです。頭を適切な高さで支えて背骨が真っ直ぐになることで、首や肩にかかる負担を抑えることができます。

横向き寝の姿勢では肩幅の分、頭や首がマットレスから離れるため、「仰向け寝」と「横向き寝」では最適な枕の高さが異なります。

最近は、中央部が低く、両サイドが高めになっているような立体的な枕や、枕の左右が硬くなっていて頭の沈み込みを抑えることのできる枕などがあるので、寝返りが多い方は試してみてください。

うつ伏せ寝

うつ伏せ寝のときは、基本的に顔を横に向けて眠るため、枕が高いと頭に不自然な角度がついて首に負担がかかるので、低めでやわらかい素材の枕がオススメです。うつ伏せ寝用として、真ん中にくぼみがある形の枕もありますが、通常の枕を使う場合は、枕を抱えるようにして、マットレスと体の間に隙間ができないようにしましょう。

舌が落ち込むことによる気道の妨げがないため、いびきをかきにくくなるほか、肺に心臓の重みがかからない寝姿勢なので、咳が出ているときは呼吸がしやすいと言われています。

また、体の前面を下にして寝ることでお腹が温められ、リラックスしやすく、安心感を得られるという方もいます。 ですが、背骨や首がねじれるため、寝起き時の首の痛みやこり、輪郭や歯並びの歪み、顎関節症(がくかんせつしょう)のリスクが高まります。また、胸部を圧迫してリンパの流れを妨げる可能性があるため、むくみにつながることもあります。

うつ伏せ寝はデメリットが多い寝姿勢のため、入眠時などの短時間のみの場合はよいですが、長時間の寝姿勢としてはオススメできません。

正しい枕の選び方

正しい枕の役割は、頭から肩にかけての首のカーブの隙間を埋め、首を支えることです。そんな、自分に合った枕を見つけるための選び方をご紹介します。

枕の高さから選ぶ

枕は高すぎても低すぎてもよくありません。後頭部が高いと首が圧迫されて、首や肩のこり、痛み、いびきの原因になることもあります。反対に低すぎる枕では頭が安定せず、首や肩に負担がかかります。

一般的に、仰向けの状態で頭を乗せたときに、首から頭にかけての傾斜角度が10~15度、額より顎の先が0~5度程度下がる状態が理想の寝姿勢とされています。

人によって体格が異なるため、枕の最適な高さも異なりますが、華奢な方であれば5cm程度、体格が標準の方は6cm程度、体格のよい方は8cm程度の高さを目安にしましょう。

また、横向きに寝返りを打ったときも理想の寝姿勢を維持するためには、中央部が低く、両サイドが高くなった、立体的な枕が理想的です。

枕の大きさから選ぶ

スムーズな寝返りを打つために、枕の幅にもこだわる必要があります。体格によって異なるため一概にはいえませんが、一般的に、左右どちらに寝返りを打っても頭が枕から落ちないように、自分の頭3つ分の幅以上の枕を選びましょう。さらに肩口までカバーできる奥行きも必要なので、幅60cm以上、奥行き35cm以上が理想のサイズです。

枕の素材から選ぶ

枕の素材によって寝心地が変わるので、お好みで選びましょう。 主な枕の素材として下記の4つを紹介します。

素材 特徴
ウレタンフォーム クッション性が高い。
ポリエステル綿 弾力がありやわらかい。
パイプ素材 通気性や耐久性、弾力性が高い。丸ごと洗えて手入れが楽。
そば殻 適度な硬さ。吸湿性と通気性が高い。

硬さや弾力性のほかに「通気性」も寝心地を左右するため、素材選びの基準になりやすいです。通気性のいい枕は、熱や湿気を逃しやすく蒸れにくいため、夏の暑い時期や体温の高い人も快適に眠れます。

睡眠を考えた商品から選ぶ

デザイン性や、購入しやすい価格帯だからなどではなく、良質な睡眠を提供するために開発された枕を選びましょう。

自分の体格や寝姿勢に合った枕を使用することが大切なので、オーダーメイド枕もオススメです。ですがオーダーメイド枕は高価な商品が多いので、難しいようであれば、オーダーメイドに近い枕を選びましょう。

起きたら首が痛いときは「寝返り」にも注意

睡眠で首を痛めないためには、寝返りを打つことも重要です。

睡眠中に寝返りをまったく打たない場合、ずっと同じ箇所が重力で圧迫されている状態が続くため、血流が滞りやすく首や肩の痛み・こりの原因になります。寝返りを打つことで姿勢が変わるため、血液の流れを促すことができるのです。

ただし、寝返りを打ちすぎても眠りの質が下がってしまいます。寝返りの理想的な頻度は一晩で20回程度といわれており、適度に寝返りを打つためにも自分にあった枕選びが重要です。

自分にあった枕で首を痛めず睡眠しよう

人は、毎日6〜8時間程度ととても長い時間眠るので、自分に合った枕を使うことが大切です。 眠っている間に自然な首のカーブを作ることによって、首こりや肩こり、腰痛、頭痛などの睡眠トラブルを予防することができるので、首の痛みが気になる方は、一度枕を見直してみてはいかがでしょうか。

枕で首が痛くなるのを解消しよう!ブレインスリープの枕をチェック

ブレインスリープでは、お客様の睡眠に関するご要望やお悩みに合わせて、様々な寝具を開発しています。その中から、おすすめアイテムの特徴やポイントをご紹介します。

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情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...