【後編】美容マニアとの対談ー世界的な睡眠専門医の西野教授が語る美容にいい"脳眠"とは?

【後編】美容マニアとの対談ー世界的な睡眠専門医の西野教授が語る美容にいい"脳眠"とは?

【後編】美容マニアとの対談ー世界的な睡眠専門医の西野教授が語る美容にいい"脳眠"とは?

#インタビュー #特集 #美容

【スペシャリストのプロフィール】

藤井さん

藤井さん
美容とネコを愛するアラフォー。ビューティーモデルとして、 おススメの美容情報や頑張り過ぎないライフスタイルをインスタグラムで発信中。

AKOさん

AKOさん
美容成分オタクな小学生男子の母。スキンケアや美容医療情報を発信中。

奥村さん

奥村さん
アパレル会社の経営に携りながら趣味の皮膚管理をインスタグラムで発信中。

【本記事の動画版】※音声あり
https://youtu.be/cVwlrKLDFIg

1.良い睡眠をとるための枕は?

奥村さん

奥村さん
美容が好きな人の間で、さっきのシンデレラタイムと同じくらい伝説的になってるものがあるんですね。

それが首のシワを作らないために「なるべく低い枕で寝ましょう」みたいな教えで、いろいろな媒体から刷り込まれています。今回先生が監修された枕を使ってみたら「意外と高い...」と思って。

奥村さん

奥村さん
でも実際に寝てみると通気性もいいし、横寝もしやすかったりして、いつもよりも深く睡眠がとれてる気がしたんですね。でも、ずーっと低い枕がいいって言われてきたから、正解枕の迷子みたいになってて...。

良い睡眠、成長ホルモンが出る睡眠をとるために、こんな枕がいいよっていうのがあったら教えてください!

オンラインMTGの様子
西野先生

西野先生
枕はやっぱり個人差があるので、それで高さも大事な要素になると思うんですね。でも、首のシワって私はあんまりよく知らないんだけど...

奥村さん

奥村さん
知って〜!(笑)

西野先生

西野先生
たとえば、あんまり枕が高ければ気道が曲がるような形になるので、睡眠時にそういう呼吸障害が起こしやすくなったり、いびきをかきやすくなったりするっていうこともあります。

西野先生

西野先生
それと今のそういった、ブレインスリープの枕の話なんですけど、体温の調節っていうのが非常に大事になってきます。

西野先生

西野先生
お風呂のことにも関係しているんだけど、起きてるときが高くて寝てるときには下がる。下げないと寝れない。それは体の中の温度なんですね。表面の温度は逆なんだけど。

脳はどういう動きをしてるか、脳の運動はどういう動きをしてるかっていったら、やはり寝てるとき温度が下がっているんです。

西野先生

西野先生
だから寝てるときの枕の高さも大事で素材もいろんな素材があるんだけど、できるだけ熱がこもらない、頭に熱をこもらせないような枕の方がいいっていうことは実験的にも裏付けられていますね。

そういう意味で通気性のいい枕は、けっこう高反発なタイプのものが多かったんだけど、今までのものは真ん中が分厚くなってて、そこで反発が強いので頭の座りが悪いっていうような欠点があります。気がついたら枕を使ってないと頭からずれているというふうなことで...。

西野先生

西野先生
それであまりcomfortable(快適)じゃないというか、そういうタイプの枕は綿とか羽毛でした。

反発力があればそういう形よりもむしろできるだけ頭、体に馴染むような形で座りがよくって、しかも通気性がいいっていうのは理想的じゃないですか。

それで高さに関してはやっぱり個人差があり、また体型とかにもよって変わってくるので、首であるとかそれから頭の解剖上の構造の違いであるとかが関係してきます。

西野先生

西野先生
だから枕も3種類出てるんですね。「薄いもの」と「スタンダード」と「高め」の枕っていう形で。

だからそういったことに関しては自分に合うものを選んでください。大事なポイントは頭に熱がこもるような枕であると睡眠をむしろ逆に妨げる可能性があるっていうことですね。

奥村さん

奥村さん
網状になってるので、熱がこもらなくて寝やすかったです。

オンラインMTGの様子
藤井さん

藤井さん
本当に寝やすいですよね。

奥村さん

奥村さん
あと、洗えるんですよね。

AKOさん

AKOさん
いいですよね。

奥村さん

奥村さん
それはすごい好きです。

西野先生

西野先生
フケであるとかそういったものが知らないうちに溜まってたら、アレルギーの原因になったりします。それからダニとかも発生するので、そういう意味で見える形で洗えるっていうことは、やっぱりcomfortable(快適)ですね。

奥村さん

奥村さん
うんうん。美容にもすごくいいですよね。

藤井さん

藤井さん
あの洗いやすさは感激!

AKOさん

AKOさん
ホコリも立たずに。

西野先生

西野先生
新しいタイプのものは、完全に袋になっているんじゃなくて枕カバーが筒みたいになっています。

機能を考えれば別に横を完全に包み込むっていう必要もないので、そういう睡眠に対してどういう機能があれば良い睡眠がとれるかっていうことを考えて、考案したっていう結果だってことですね。

2.ブレインスリープ ピローはこれからも進化していく

藤井さん

藤井さん
あの枕はこれからも進化していくんですか?

オンラインMTGの様子
西野先生

西野先生
いろんなアイデアがあるんで、たとえば形状に関しても色々こういうことを試みることがあります。

それから抱き枕であるとか、それこそ仮眠用の枕なんかも基本は、そういう頭の座りがよくってできるだけ熱がこもらないようにするっていうことなので、いろんな応用があると。

まだまだ開発の余地があるっていうふうに考えています。

藤井さん

藤井さん
楽しみですね~!

奥村さん

奥村さん
抱き枕いい!

藤井さん

藤井さん
抱き枕めっちゃ欲しい!あの涼しさの抱き枕いいですよね。

オンラインMTGの様子
奥村さん

奥村さん
夏場も!抱き枕って冬しか使えないやつとか...。

藤井さん

藤井さん
暑すぎたり(笑)

奥村さん

奥村さん
夏も使えていいですね!

西野先生

西野先生
今大きくて重たいっていうようなものもあるので、その辺も工夫できないか...。

藤井さん

藤井さん
楽しみにしています!

3.アンチエイジングになる睡眠法

藤井さん

藤井さん
じゃあ...最後に聞いてしまいますか...?(笑)

奥村さん

奥村さん
これ怒られるかな?(笑)

なににそんなにこだわってるんだっていうぐらい、美容に特化している3人なのであれなんですけど(笑)

先生がもうこうしておけば、アンチエイジングというか睡眠っていうことに関してはいいんじゃないの?っていう方法があれば教えてください。

オンラインMTGの様子
西野先生

西野先生
睡眠だけじゃなくって、やはり規則正しい生活っていうこと。

藤井さん

藤井さん
そうですね(笑)

西野先生

西野先生
なかなか体にいいことは、なんでもめんどくさいっていうふうな...。英語のことわざがあるんだけど、1つだけ例外があるっていうことで、それは心地のいい深い睡眠っていうことなんですね。

だから睡眠っていう、味方につけると心強いんだけど、逆に敵に回すと厄介なものだっていうことで。そういう意味で、それほど難しくないと思うんですよね。

規則正しくする...難しい人には難しいかな(笑)毎日のことでそれほどお金をかけなくって、まあ枕はいいものを買った方がいいんだけど(笑)

藤井さん

藤井さん
買いましょう!(笑)

西野先生

西野先生
そういうことを心がけて良い睡眠がとれて、それで美容も含めて健康になっていろんな病気を遠ざけるっていうことは間違いないので。毎日の心がけっていうことになると思います。

藤井さん

藤井さん
はい。
もう健康のためだけだと、あんまり規則正しい生活って「んー」って思うんですけど、ここまで力強く美容のためにも規則正しい生活をって言われたら、ちょっと本当に考え直します(笑)

オンラインMTGの様子
AKOさん

AKOさん
頑張れる気がします!ちょっと頑張ります。

藤井さん

藤井さん
頑張れる気がしてきましたね!

奥村さん

奥村さん
最初の90分で熱を放出して、より深く眠れるっていうやり方は今まで知らなかった。

藤井さん

藤井さん
ねー!

奥村さん

奥村さん
その近道にね、枕を変えるっていうのは、すごく有効的だなと思いました、

4.睡眠と体温の変化について

西野先生

西野先生
睡眠中は体温が下がっているって知っている人も、頭の体温ってどうなっているのかは知らない人とかけっこういるんですね。

藤井さん

藤井さん
確かに。あんまり考えたことなかったですよね。

奥村さん

奥村さん
けっこうほっこりしている枕多いじゃないですか。

藤井さん

藤井さん
めちゃくちゃ多いですよね。頭が温まるような...。

奥村さん

奥村さん
はじめての形状です。

西野先生

西野先生
だからホテルなんかでサービスで、ある種の枕を使うようにやってるんだけど、実は汗をかいて熱がこもるっていうようなことがあったので。今回の開発に関してはそれも1つのきっかけなんですけどね。

けっこう睡眠に関しては分かってないことも多いんだけど、間違っている情報も多くて。私たち睡眠研究家だから間違ってることには間違ってる。それで分からないことは分からないっていうことは言えます。

西野先生

西野先生
限られた情報なんだけど、なにが正しいか一般の方よりよく知っています。
そういう意味では誤った情報とか根拠のない情報が多いので、そういうことも正していけば良い睡眠がとれて結果的に美容にも繋がる可能性があるってことです。

藤井さん

藤井さん
それを信じて(笑)
本当に今日お話させていただいた分も含めて、本も読ませていただいているので、私たちが今までいろんな間違った情報に振り回されていたこともすごく実感しました。

今回正しい知識も教えていただいたことで、もうちょっと早く知りたかったですよね!(笑)本当にあと10年ぐらい早く知っていたら....(笑)

奥村さん

奥村さん
だいぶ違ってた!(笑)

藤井さん

藤井さん
だいぶ違ってたかもしれないって思うぐらい、もう驚きしかなかったです!

5.ブレインスリープ ピローを使ってみて

藤井さん

藤井さん
先ほどの枕の使用感もね、すでにお話はしたんですが、私たちも西野先生が監修された、脳眠に欠かせないブレインスリープ ピローを使わせていただいています。

1週間ぐらい経って頭への馴染み方がすごいですよねあれ。

藤井さん

藤井さん
ちょっとはじめは硬いのかなとか高いのかなって本当に一瞬思うんですけど、どんどん自分仕様の枕に変わっていくのが実感できましたよね。

西野先生

西野先生
私も若いとき不規則な生活してたんで、もっと早くから規則正しくしておけば...(笑)

オンラインMTGの様子
奥村さん

奥村さん
一緒じゃないですか先生!(笑)

藤井さん

藤井さん
ありがたいですね。こんなにたくさん研究されてた方が(笑)

西野先生

西野先生
今からちゃんとします(笑)

藤井さん

藤井さん
ありがとうございます(笑)
AKOさん枕の感想まだなにかあったらお願いします。

AKOさん

AKOさん
結局手足を冷やすって自分で調節できるんですけど、頭を冷やすって枕を変えないと私はできなかったので、使わせていただいて頭が蒸れないことがこんなに快適だと思っていなくて、快適さに気づかされました。

藤井さん

藤井さん
分かる!本当にそうだよね!

西野先生

西野先生
それは本当に良かったです。

奥村さん

奥村さん
やたらドライヤーした後だからめっちゃ...。

AKOさん

AKOさん
そう熱がこもる!髪の毛も多いし。

藤井さん

藤井さん
本当ですよね。ありがとうございました。

6.西野先生との対談を終えて

藤井さん

藤井さん
楽しかったですよね!まさかあの本を書いている方とお話しできると思わなかったから。

オンラインMTGの様子
奥村さん

奥村さん
すごい貴重な体験!

藤井さん

藤井さん
本当にありがとうございました!

結局はすべてにおいて睡眠が大事で、それには毎日の規則正しい生活が大事っていうのがよく分かりました。

奥村さん

奥村さん
やりつくした感があった美容人生に新しい「睡眠」っていう切り札が加わって。

藤井さん

藤井さん
確かに!

奥村さん

奥村さん
枕を使いながら頭を快適に。

藤井さん

藤井さん
そうですね。とりあえずあの枕を使いながら、規則正しい生活をして今まで通りのルーティンをしていればいけますね!

AKOさん

AKOさん
さらなるアンチエイジングを。

藤井さん

藤井さん
アンチエイジングを頑張りましょう!

~Fin~

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情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...