ベッドの上でストレッチをする女性

【医師監修】一瞬ですぐ寝る方法8つ!眠れない夜にベッドのうえでいますぐ実践

睡眠コラム

【医師監修】一瞬ですぐ寝る方法8つ!眠れない夜にベッドのうえでいますぐ実践

#不眠 #快眠・安眠 #睡眠

疲れていて眠いはずなのに、布団に入ってもなぜか眠れない……という経験をしたことのある方はとても多いかと思います。そこで、この記事では、眠れない夜に試していただきたい、すぐに実践できる入眠のコツと方法をご紹介します。

ベッドの上でいますぐ実践できる!一瞬で寝る方法8つ

ベッドの上で伸びをする女性

では早速、布団のなかで簡単に試すことのできる、下記8つの入眠方法をご紹介します。

  • 軍隊式睡眠法
  • 筋弛緩法(きんしかんほう)
  • 4-7-8呼吸法
  • アリス式睡眠法
  • ツボを刺激する
  • おでこや手の平を冷やす
  • 早く寝ようと意識しない
  • なにも考えない状態を作る

軍隊式睡眠法

パイロットの睡眠改善のために開発されたといわれる睡眠導入方法です。様々なメディアで紹介されている方法なのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。特別な道具もいらず、すぐに実践できるので一度試していただければと思います。手順は下記の通りです。

1:顔全体の筋肉を緩める

ベッドで横になって、目を閉じ、ゆっくりと深い呼吸をしながら、顔全体の筋肉を緩めます。額の筋肉から緩め、目もと、頰、口、舌、あごなど、呼吸を繰り返すたびに、顔全体をリラックスさせていきましょう。

2:首や肩、背中、腕の緊張感を解く

ゆっくりと深い呼吸を続けながら、首や肩、肩甲骨あたりの力を抜き、ベッドに沈み込むような感覚を味わいましょう。そして、右腕の上部から力を抜き、上腕二頭筋、前腕、手と、順番にリラックスさせます。左側も同様におこなってください。

3:胸や胴体の力を抜く

ゆっくりと息を吐きながら、胴体の重みでベッドに沈み込むイメージで、胸や胴体をリラックスさせます。きちんと肩や腕の力が抜けていると、胸まわりの筋肉も簡単に緩めることができます。

4:脚の力を抜く

まずは右脚の付け根と太もも、次にふくらはぎ、足首、足裏と、順番に筋肉を緩め、ベッドに沈み込ませます。左側も同様におこなってください。

5:なにも考えずに頭を空っぽにする

全身の力が抜けたら、なにも考えずに頭の中を空っぽにします。なにも考えないことが難しい方は、リラックスしているイメージを思い浮かべましょう。“暗く暖かい部屋で、ハンモックに心地よく揺られているイメージ”や“青空の下、穏やかな湖に浮かぶボートに寝そべっているイメージ”がよいと言われています。

それでもうまくいかないときは、「考えない」という言葉を10秒間繰り返しましょう。眠れなくなるような不安や悩みごとを考えずにすみます。

軍隊式睡眠法は、練習が必要と言われていて、最初の数回はあまり早く眠れないかもしれませんが、続けることで、力や緊張感を手放すことがうまくなり、自分自身をリラックスさせて眠りにつきやすくなります。

筋弛緩法(きんしかんほう)

筋弛緩法(漸進性筋弛緩法)は、約100年前にアメリカの精神科医のエドモンド・ジェイコブソン氏が開発した方法です。具体的には、身体の各部位の筋肉を順番に、10秒間力を入れて緊張させたあと、一気に力を抜いて緩め、ポカポカと温かくなる感覚を20秒間感じます。

1:手

両腕を伸ばし、親指を曲げて握りこぶしを作り、10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。

2:上腕

両手の握りこぶしを、力こぶを作るように肩に近づけ、曲がった上腕全体に10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。

3:背中

2と同様に、握りこぶしを肩に近づけ、曲げた左右の上腕を外に広げ、10秒間肩甲骨を中心に寄せます。ストンと脱力し、20秒間キープ。

4:肩

両肩を上げて、首をすぼめるように肩に10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。

5:首

右側に首をひねって10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。左側も同様におこないます。

6:顔

口をすぼめて、奥歯を噛みしめ、顔全体を顔の中心に集めるように10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。緩めたときは、口が開いた状態にしましょう。

7:腹部

お腹に手を当て、その手を押し返すように10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。

8:脚の下側

つま先まで脚を伸ばし、脚の下側の筋肉に10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。

9:脚の上側

脚を伸ばし、つま先を上に曲げて、脚の上側の筋肉に10秒間力を入れます。ストンと脱力し、20秒間キープ。

10:全身

1〜9で力を入れた部位を、一斉に10秒間緊張させ、力をゆっくりと抜いて、その感覚を20秒間感じます。

力を入れているときも、脱力したときも、各部位の感覚をじっくり味わうことが大切です。特に、力を抜いたときのじんわりと温かくなる感覚を味わってください。1部位だけをおこなうよりも、1〜10の順番で全身の緊張をほぐした方が、より効果的です。

4-7-8呼吸法

世界的に有名な内科医のアンドルー・ワイル氏が発案した、誰でも簡単におこなえる呼吸法です。呼吸と自律神経には深い関わりがあり、息を完全に吐き切り、鼻からゆっくり息を吸う、腹式呼吸をすると、リラックスや休息に作用する“副交感神経”の働きが高まると言われています。

1:息を完全に吐き切る

仰向けで横になり、息をすべて吐き出して、肺を空にします。

2:鼻から息を吸いながら4つ数える

4秒かけて鼻から息を吸い込みます。

3:息を止めて7つ数える

7秒間息を止めます。

4:8つ数えながら息をゆっくり吐き出す

8秒かけて口から息を吐き出します。1~4を4回繰り返しましょう。 秒数を数えることで無心になれるため、考えすぎて眠れない方におすすめです。

また、この呼吸法を継続することで、睡眠だけではなく、不安の解消や怒りの感情をコントロールする効果もあると言われています。

アリス式睡眠法

SNSでとても話題になった睡眠法です。

1:ベッドのうえに座ってリラックス

ベッドのうえであぐらをかき、身体を動かさないようにします。目を閉じ、睡眠時の呼吸を意識します。

2:脳内に浮かんできた映像を見続ける

なにも考えずに頭の中を空っぽにし、無意識で脳内に浮かんできた映像を見続けます。

3:ウトウトしてきたら横になる

半分寝ているような状態になったら、ゆっくり布団に入ります。もし、横になっても眠れなければ、1~3を繰り返しましょう。 “なにも考えず、無意識で脳内に浮かんだ映像を見続ける”という手軽さが人気です。

ツボを刺激する

快眠に効果のあるツボを刺激することで、不眠の原因となる不調の緩和を促しましょう。一般的に、不眠によいといわれているツボは「労宮」と「失眠」です。

1:労宮(ろうきゅう)

手を軽く握ったときに、人差し指と中指の先端の中間にある手のひらのツボ「労宮」は、精神機能をつかさどっているので、全身の緊張が緩み、ゆったりとした気分になると言われています。やや、強めに押しましょう。

2:失眠(しつみん)

足の裏のかかと中央あたりにあるツボは「失眠」と呼ばれ、軽度な悩みによる不眠に効果的と言われています。押すだけでなく、お灸や、湯たんぽなどで温めて刺激を加えるのもおすすめです。

不眠対策のためには、眠る30分~1時間前に、照明を暗くし、深呼吸しながら行いましょう。息を細く長く吐きながらツボを押し、ゆっくり息を吸いながら圧迫を緩めてください。それぞれ、10回程度繰り返します。

快眠には脳をリラックスさせる必要があるので、ツボの正確な場所にこだわりすぎず、押して気持ちよい所を刺激してください。

おでこや手の平を冷やす

脳や身体の内部の温度(深部体温)が高いせいで、寝付きが悪い、または眠りが浅い可能性もあります。反対に、頭が冷えるといつの間にか眠れることもあり、眠り始めの脳の温度を効果的に下げることで、夜中に覚醒することなく深い睡眠を得られます。

1:脳(頭部)を冷やす

凍らせても柔らかい保冷剤や、あらかじめ凍らせておいたタオルを用意し、眠るときに枕の上半分に敷きます。他にも、通気性が高く、頭の温度を下げてくれる枕を使用するのもおすすめです。

呼吸中枢などの生命維持機能がある首が冷えると“生命の危機状態”として、脳が覚醒してしまうので、耳から下は冷やさないように気をつけましょう。

2:手の平を冷やす

手の平や足の裏には、「動静脈吻合(どうじょうみゃくふんごう)」という、毛細血管を通さず、大きな連絡管により動脈と静脈を結ぶ血管があり、その血管を冷やすことが、深部体温を下げるのに効果的です。

テレビやスマートフォンなどの画面を見ると、深部体温が上がるので、眠る際に頭や手の平を冷やすことを意識しましょう。

早く寝ようと意識しない

ベッドで休んでいる女性

早く寝ようと頭で考えていると、脳は早く寝るために努力してしまいます。脳が働いている状態では入眠しづらく、結果的になかなか寝付けなくなるため、早く寝ることを諦めて脳を休ませることが大切です。

「今日は早く寝られなくてもいいや、明日の夜たくさん寝よう」などと楽観的にとらえると、脳がリラックスして入眠しやすくなります。

なにも考えない状態を作る

早くに入眠するには、脳がなにも考えない状態を作り、「記憶」による睡眠妨害を防ぐことも効果的です。

部屋を真っ暗・無音にすると五感への刺激がシャットダウンされ、脳の睡眠が邪魔されることはありません。

しかし、脳は五感への刺激がなくなると記憶をたどる習性があるため、様々な出来事を思い出して興奮状態になり、寝付けなくなってしまう方もいます。

反対に、脳は五感への刺激があると記憶をたどりにくいため、なにも考えない状態をつくるには「単調な音楽を流す」ことがおすすめです。単調な刺激は「馴化(じゅんか)」と呼ばれる生理現象によって、次第に刺激を感じなくなります。

そもそも眠れない原因とは?

早く寝るには入眠方法を工夫することも大切ですが、寝られない原因を知り、それらを避けることも効果的です。

眠れない原因は様々ですが、大きく分けて「身体的理由」「精神的理由」「ライフスタイル的理由」の3つから考えられ、具体的には下記などが挙げられます。

  • 過覚醒
  • ストレスや自律神経の乱れ
  • 生活リズムや体内時計の乱れ
  • カフェインの取りすぎ
  • 就寝前のスマートフォンやパソコンの使用
  • 運動不足
  • 就寝前の飲酒
  • 就寝前の喫煙 など

下記記事では、眠いのに寝れない原因や睡眠の質を上げるための対策方法やポイントなどを解説しているので、ぜひ併せてご覧ください。
眠いのにぐっすり寝れない原因は?不眠の対処方法10選を紹介

普段から心がけておきたい入眠のコツ6つ

カーテンを開ける女性

普段から意識して習慣化させておくことで、スムーズな入眠につなげられるコツを「メンタル」「ライフスタイル」「環境」の3つの観点に分けてご紹介します。

メンタル

睡眠はメンタルによる影響を大きく受けます。 メンタル面では下記2つを意識することで、脳が入眠する準備に入りやすくなります。

  • ベッドを寝る場所として自覚する
  • リラックスできるアロマを用意しておく

ベッドを寝る場所として自覚する

人には条件反射があるので、ベッドのうえでテレビを観たり、スマートフォンをいじったりすることが習慣になっていると、脳はベッドを“眠る場所”ではなく、ソファーのような“ダラダラ過ごす場所”として認識します。
反対に、“ベッド=眠る以外になにもしない場所”というイメージをつけることで、脳が“睡眠空間”ととらえるようになります。

ベッドが眠るだけの環境になると、身体が眠ることに慣れて、ノンレム睡眠への導入時間が短くなります。そのためには、寝室にはなにも持ち込まないことが大切です。 テレビやながらスマホを控えるのはもちろん、飲食するのもやめて、寝る直前に寝室へ入る習慣をつけましょう。

もし、眠る部屋と普段過ごす部屋が一緒の場合は、睡眠時以外はベッドカバーを掛けるなどして、布団を視界に入れないようにしてください。同様に、布団なら日中は畳んでしまい、ソファーベッドなら朝起きたらソファーにするなど、日中の部屋と寝床を分けることがポイントです。

リラックスできるアロマを用意しておく

アロマの香りは、気持ちを落ち着かせ、リラックスさせる効果が期待できます。アロマにはたくさんの種類がありますが、睡眠の質が上がるといわれている代表的な香りを5つご紹介します。

1:ラベンダー

知名度も人気も高く、フローラルで優雅な香り。緊張感やストレスを和らげ、気分を落ち着かせてくれます。

2:オレンジ

ほのかに甘いフレッシュな香り。落ち込んだ気分を明るくし、緊張をほぐしてリラックス感を与えてくれます。

3:ベルガモット

オレンジと少し似た、柑橘系のフルーティーな香りで、紅茶の香り(アールグレイ)としても人気。リラックスとリフレッシュ、両方の効果があるといわれています。

4:ネロリ

ビターオレンジの花から抽出するネロリは、優雅でフローラルな香り。落ち込んだ気分を明るくし、癒し効果があります。

5:サンダルウッド

エキゾチックな香りが特徴で、お香に使われていることも多く、日本人には馴染み深い香り。不安感を払拭してくれるので、心安らかな気分になれます。

ライフスタイル

ライフスタイル面では下記2つに気をつけて生活することで、自然な眠気や良質な睡眠が期待できるようになります。

  • 寝る前の食事やカフェインの摂取に注意する
  • 就寝の90分前までに入浴する

寝る前の食事やカフェインの摂取に注意する

コーヒーや緑茶などに含まれるカフェインは、交感神経を刺激して目を覚ます働きがあります。 カフェインの覚醒作用は、数時間持続するといわれるため、睡眠前のカフェイン摂取には注意が必要です。

また、適度なアルコール摂取はリラックス効果があり、眠りにつくまでの時間は短くなる傾向にありますが、アルコールが体内で分解されるときに発生する“アセトアルデヒド”の分泌により、眠りが浅くなりやすく、途中で目が覚めたり、早朝に目が覚めたりすることが多くなるといわれています。

就寝の90分前までに入浴する

就寝前に、一度「深部体温」を上げてから元の体温まで下げさせることで自然な眠気と深い睡眠が期待できます。 個人差はありますが、多くの場合、深部体温は40度のお風呂に15分浸かることで約0.5度上昇し、約90分かけて元の体温に戻ります。

そのため、就寝時間の90分前に入浴することで、自然な入眠で質のいい睡眠が期待できます。

また、お風呂を出たあとなるべく早く寝たい方は、シャワーで済ませることがおすすめです。入浴ほどの入眠効果は期待できませんが、90分よりも早く眠気が訪れます。

下記記事では、睡眠の質を高める入浴方法やより効果を高める工夫などを解説しているので、気になる方はぜひご覧ください。
第7条 就寝90分前に入浴完了/すぐ寝るときはシャワーにする

体内時計をリセットしておく

人の身体には、昼は活動的に、夜は休息状態に切り替わる体内時計が備わっています。その体内時計は、朝に強い光を浴びることでリセットされ、約14~16時間後に睡眠をつかさどる睡眠ホルモンの“メラトニン”が分泌されます。

そのため、朝に体内時計をリセットしておくことで、夜になると自然と眠くなり、規則正しい睡眠リズムを身につけることができます。

起きたらまずカーテンを開け、太陽の光を15秒ほど浴びるのがおすすめです。太陽光の照度はとても高いので、曇りや雨天の日でも効果があります。

環境

枕やマットレスなどの寝具も睡眠に影響を与えるため、自分に合ったものを使用することで睡眠の改善が期待できます。 睡眠環境を整える方法を紹介します。

睡眠環境を整える

スムーズな睡眠の導入には、自分に合った寝具を使用することが大切です。枕が合っていないと、寝付きが悪く、考えすぎてしまう原因にもなりかねません。高さや硬さの調整はもちろん、通気性がよく、頭の温度を低く保ってくれる枕を選びましょう。睡眠環境による悪循環をなくすことが、良質な睡眠には重要です。

「人生の1/3を占める」と言われている睡眠は、毎日の疲れを癒し、心も身体も回復させる大切な時間だからこそ、睡眠の質を左右する寝具にもこだわりましょう。特に重要な、枕とマットレスの選び方をご紹介します。

枕は、高さと硬さがポイント

枕にとって一番大切なことは、自分の首のカーブに合った高さかどうかです。 長時間、頭を預けるため、高さが合っていない枕では、首や肩に負担がかかり、首の痛みや肩こりの原因になるので注意が必要です。また、頭を冷やすことで睡眠の質が上がるので、熱や湿気をため込まない、高い放熱量が続く枕を選んでください。

睡眠の質を高めたい方や、睡眠に関する悩みの強い方は、やや高価になりますが、自分の首のカーブや硬さの好みに合わせて作る、オーダーメイド枕もおすすめです。

マットレスは、身体の沈み具合と寝返りの打ちやすさを確認

マットレスは、実際に寝てみて、硬い、柔らかい、身体が楽、身体が痛い、腰が突っ張る、圧迫感がある、寝やすい、などの快適さを確認することが大切です。横になった直後だけでなく、しばらく経っても身体に負担がかからないか、腰の沈み具合や身体への密着感に違和感がないかなども確認しましょう。

また、寝返りの打ちやすさもポイントです。 マットレスのうえで寝返りを打ちながら、横向きやうつ伏せの姿勢になり、身体の安定感や圧迫感を確認してください。身体に合ったマットレスで眠ると、日中溜まっていた血液や老廃物が循環しやすくなり、疲労やむくみなどの軽減効果も期待できます。 枕とマットレスの相性も大切なので、どちらかを店頭で試す際には、自宅で使用している枕の高さやマットレスの硬さとの違いを踏まえたうえで購入するのがおすすめです。

【さらに詳しく知りたい方はこちら】
睡眠の質を上げる枕の上手な選び方。後悔しない選定基準とは?
朝の目覚めが変わる!?QOLが上がるマットレスの上手な選び方

眠れないまま朝になってしまった際の対処方法

なかなか眠れず、そのまま朝になってしまった場合、まずは焦らずリラックスしてください。夜にぐっすり寝ることが大切なので、朝〜日中は下記3つを意識して過ごし、夜は早くベッドに入るようにしましょう。

  • 朝にカフェインを摂取して強い眠気を制御する
  • 長時間の昼寝を避けて30分程度に抑える
  • 日中に適度な運動を取り入れる

日中に適度な運動で身体を疲れさせることで、夜の自然な入眠をサポートできます。就寝前にリラックスできる空間をつくるとより効果的です。

また、下記記事では、不眠症の概要や改善方法、不眠症以外に自覚できる3つの睡眠障害を解説しているので、気になる方はぜひご覧ください。
眠れないまま 朝になった…もしかして不眠症?

睡眠環境を整えよう!おすすめアイテムをチェック

ブレインスリープでは、お客様の睡眠に関するご要望やお悩みに合わせて、様々なアイテムを開発しています。その中から、おすすめアイテムの特徴やポイントをご紹介します。

一瞬で寝る方法を実践して快眠を手に入れよう

入眠のコツを身につけることができれば、布団に入ってもなぜか眠れないということがなくなり、効率的な睡眠を得ることができます。簡単な方法ばかりなので、眠れない夜がある方は試してみましょう。

【参考】ストレスへの対処

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朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...