「野球選手になりたかったんです」
そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。
「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」
その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。
どうしても諦められなかった滝川第二への想い
──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。
中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。
──普通ならそこで諦めますよね。
中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。
数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。
──それはすごい条件ですね...!
中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。
それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。
背番号31番からの這い上がり
──入学後はいかがでしたか?
中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。
でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。
──その努力は報われましたか?
中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。
特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。
大学でも続いたサッカー人生
──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。
中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。
フットサルとの運命的な出会い

──大学を経て、フットサルの世界に入られるわけですが、きっかけは何だったんですか?
中井さん: 卒業時にサッカー選手として海外でやるか、社会人リーグでやるか、いろいろな進路を考えていた時に、たまたまフットサルのペスカドーラ町田のセレクションがあるって聞いたんです。それで軽い気持ちで受けてみたら、めちゃくちゃ調子が良くて「トップチームで来てくれ」と言われたんです。これはチャンスだと思いました。
──でも、実際に入ってみると厳しい現実があったんですね?
中井さん: そうなんです。僕の承諾の連絡が遅くなってしまい、実際はBチームからのスタートだったのですが、そのBチームでも出場機会がありませんでした。Bチームの監督には「お前はやっぱりダメだ」って言われ続けて。
でも転機が来たんです。監督が交代して、新しい監督の戦術がこれまでのフットサルの常識を覆すほど高度で複雑だった。ベテラン選手でさえ理解できずに困惑していて、経験の差が意味をなさない「横一線」の状況が生まれたんです。
──そこがチャンスになったと。
中井さん: 誰もわからないなら若手の方が伸びる。一個ずつ理解を深めていくのは僕の方が得意でした。毎日練習映像をパソコンで分析して、後輩からも積極的に学んで。その徹底した研究が実を結んで、ついに日本代表候補の座を掴めました。
これまでの努力で培った身体能力の特長と新しい戦術への理解が合致して、選手権で優勝と準優勝2回、日本代表候補に選ばれたんです。
人生最大の試練が新たな使命を生んだ

──選手として絶頂期に、大きな転機があったそうですね。
中井さん: 両親を相次いで失って、自分の活躍を誰よりも見てもらいたい存在がいなくなってしまったんです。フットサルを続ける意味を見出せなくなって、深い迷いの中に沈んでいきました。「自分は何のためにフットサルをやっているんだろう」って。
一時は完全にやる気を失って、サッカー選手への転向も考えました。でも同時期に始めていたYouTubeチャンネル「目指せ!Fの頂」が軌道に乗り始めていて、そこで自分の存在意義を見つけることができたんです。
──どんな使命を見つけられたんですか?
中井さん: 上手い選手はいっぱいいる。指導者もいっぱいいる。でも、サッカーとフットサル両方を経験して、フットサルの技術や戦術がサッカーにどう活かせるかを伝えられるのは自分しかいないと思ったんです。
サッカーとフットサルの橋渡し役として、日本フットボール界全体を進化させたい。サッカー選手は身体能力は高いけれど、フットボールIQが低い。フットサル選手はその逆。この両方の良さを融合させたいんです。
──壮大な目標ですね。
中井さん: サッカーもフットサルも、どっちもワールドカップで優勝したい。日本のサッカーが強くなった歴史の中に、「フットサルの部分があったから行けた」って思ってもらえるような世界を目指しています。
指導者として睡眠の重要性を実感

──現在は指導者としても活動されていますが、睡眠の大切さを実感されているそうですね。
中井さん: 指導者は分かるまで伝え続けるのも仕事なんですが、睡眠不足だと集中力がなくなるし、イライラしてしまう。それは絶対に起こってはいけないことです。
実は僕、長年睡眠に関する悩みを抱えていたんです。体温調整が苦手で、暑かったら寝れない。冷たいところを探して、夜中にたまに起きてしまったり。いろいろな寝具を試してきましたが、やっぱり暑い時にはどうしようもできませんでした。
ブレインスリープピローとの出会い
──そんな中井さんの睡眠を変えたのがブレインスリープピローだったんですね。
中井さん: 最初はどうなのかなと思ったんですが、使い始めてから明らかに変わりました。一番驚いたのは通気性の良さです。今まで使っていた枕だと、夜中に暑くて冷たいところを探していたのですが、この枕は熱がこもらないんです。夜中に起きることが格段に減って、寝起きも本当に楽になりました。本当にいいです。最高ですね。
──睡眠の質が向上したことで、指導者としての活動にも変化はありましたか?
中井さん: 眠れない時があると、集中できないし、イライラするし、怪我しそうになります。寝れた時は、そういうのが起こりづらくなって、昼寝をしたいとも思わない。その乱れがないというのは、自分のパフォーマンスにとってすごくいいんです。
良い睡眠は標準装備するべきだと思います。悩み続けてきた僕だからこそ、そう断言できます。
未来への展望「サッカー界にフットサルの価値を」

──今後の展望について聞かせてください。
中井さん: 今は主にフットサル選手やフットサルファンに向けて発信していることが多いですが、もっとサッカーをやっている人たちに「フットサルから得られるものがある」と気づいてもらいたい。そこから変化が起こると思います。
キングスリーグでの監督業や各種イベントへの参加を通じて、サッカー界にフットサルの価値を浸透させ続けています。その気づきのきっかけを作ることが、僕の現在の使命でもあります。
それは僕の発信なのかもしれないし、僕が関わった周りのメンバーが発信するのかもしれません。その価値を示して評価されることで、サッカーとフットサルがともに発展していけばと思います。
幾度もの挫折を力に変えながら、常に成長を求め続ける中井健介さん。背番号31番から日本代表候補まで這い上がった彼の哲学は、今も多くの人に勇気を与え続けている。
「負けたくない」という想いを原動力に、サッカーとフットサルという二つの世界を繋ごうとする挑戦。その情熱に、終わりはない。中井さんは今日も新たな可能性を切り拓いていく。
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