枕を選ぶ女性

睡眠の質を上げる枕の上手な選び方。後悔しない選定基準とは?

寝具の選び方

睡眠の質を上げる枕の上手な選び方。後悔しない選定基準とは?

#枕

<監修>

中島 正裕

理学博士/株式会社ブレインスリープ取締役CFO/睡眠健康指導士上級

1983年山口県出身。2007年東京大学理学部物理学科卒業、2012年東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修了(理学博士)。

株式会社ブレインスリープには2019年5月の設立時より取締役として参画。CFOとして財務面の統括及びパートナー企業向けの睡眠コンサルティング関連事業に加えて、睡眠偏差値として公表している睡眠関連疫学調査の結果を基にした睡眠研究や企業向け健康経営サポート業務も担当。
2021年11月に睡眠健康指導士上級資格を取得。

以前は睡眠時間の長さが重視されていましたが、最近は睡眠の質への関心が高まっています。その睡眠の質に大きく関わるのが枕です。
そこで、自分に合った枕を見つけるための選び方をご紹介します。

年々、多様化している枕の種類!

近年、睡眠の質への関心が高まり、様々な特徴のある枕が登場しています。
入眠のしやすさはもちろん、日々の疲れを癒し、質の高い睡眠を得るために、高さや硬さだけでなく、通気性の良さや枕表面の温度まで考えられた商品が多数。人それぞれ、体型や筋肉量などが違うので、自分に合った枕を探してみましょう。

合わない枕を選ぶとどうなる?

まず始めに、自分の体に合わない枕を使い続けた場合、どのような不調が起きるのかをご紹介します。

1:無理な姿勢で眠ると、首を痛める

無理な姿勢や首の動かし方をすると、首や頸椎、背骨など体の広範囲に負担がかかります。

特に、熟睡している時は筋肉がゆるんでいることもあり、無理な姿勢で固定されることで筋肉や腱が伸びたままになり、血行不良や神経を傷めて炎症が起きることも。
寝違えないためにも、高さや硬さ、寝心地の合った枕を選ぶことが大切です。

2:寝つきが悪くなり、眠りが浅くなる

枕が合わないと、寝つきが悪く、夜の時間が苦痛になってしまうことがあります。

また眠りが浅いと、長時間眠っても疲れが取れず寝不足の状態に。不眠症は睡眠障害の1つとされ、睡眠専門医に相談される方も多くいるほどです。
常習的な寝不足は、体だけでなく、心への負担になることもあるので、気をつけましょう。

3:突然訪れる、日中の眠気

日中の眠気の原因として最初に考えられるのは、単純に睡眠時間が不足しているケースです。

一般的に6〜8時間程度が最適な睡眠時間とされていますが、人それぞれ最適な睡眠時間が違うので、自分に合った睡眠時間を確保することが大切です。

また、睡眠時間と同じくらい大切なのが、睡眠の質です。睡眠の質が悪いと十分な睡眠時間を確保していたとしても疲れが取れず、日中眠くなる原因に。

自然な寝姿勢でないと、呼吸が浅くなったり、スムーズな寝返りが打てずに何度も目が覚めてしまい、睡眠の質が低くなるので気をつけましょう。適切な睡眠時間の確保と、睡眠の質を向上させることで、慢性的な眠気のほとんどを改善することができます。

自分に合う枕の定義を見つける!

自分に合う枕を使用することが、睡眠の質を高め、体にも心にも大切だということをお伝えしましたが、実際にどんな枕が自分に合うのか……。枕を購入する時に大切なポイントや、体型・お悩みに合わせた選び方をご紹介します。

枕を選ぶポイント

積み重なる枕

枕を選ぶ時には、枕の高さや、素材、形、機能性だけでなく、価格や耐久性、メンテナンスのしやすさなど、様々なポイントをチェックしましょう。ここでは、枕を選ぶ時に意識してほしい9つの項目をご紹介します。

1:首や肩に負担のかからない高さ

首や肩に負担のかからない高さの枕

高すぎる枕で眠ってしまうと、首を痛めたり、呼吸がしにくくなったりするケースがあり、低すぎる枕では、寝違えや肩こりの原因になることも。

体格によって快適な高さが変わるため、一概におすすめすることができないので、実際に横になってフィット感を試すことが大切です。

2:使い心地が良く、手入れしやすい素材

枕の素材は、ポリエチレンやウレタン、フェザー、ビーズ、そば殻など種類が豊富です。
素材を選ぶ基準となるのは、寝心地の良さや反発の有無、硬さ、手入れのしやすさなど。それぞれの特徴を知り、自分に合った素材を見つけてください。

『ポリエチレン』

通気性がよく、頭の深部の温度を下げてくれるので、入眠しやすく、快適に眠ることが可能。水洗いができるので衛生的なのも嬉しいポイントです。

『高反発ウレタン』

やや硬めで首や頭にフィットしやすいのが特徴。
『低反発ウレタン』は、沈み込みやすいので柔らかく包まれているような感覚を体験できます。ウレタン素材の枕は、通気性が低く、洗えないことが多いので、衛生面が気になることも。

『フェザー』

羽根と綿毛(ダウン)の比率でふわふわ感が変わるので、理想の柔らかを実現することが可能。ですが水洗い不可の製品が多く、手入れが大変という面もあります。

『マイクロビーズ』

細かいビーズが頭を包み込んでくれるので、フィット感が抜群。ただし、一定の深さから硬くなるため寝返りがしにくいと感じる人もいます。

『そば殻』

熱を逃がすのに優れているので、快適な睡眠を味わえますが、頭にフィットしにくかったり、寝返りした時の音が大きいのが難点です。

『ひのき』

独特の香りとひんやり感でリラックス効果を期待できますが、フィット感が得にくく、好みが分かれます。また、ヒノキやスギの花粉症の人は使用できません。

『高反発ファイバー』

硬めで通気性が抜群、水洗いも可能。『スマッシュフォーム』は、ふかふか柔らかくフィットしやすいが、耐久性に欠ける。『ラテックス』は、柔らかいが反発力もある。など、使い心地やお手入れ方法が異なるので、自分に合った素材を探してみてください。

実際に試してみるのが一番なので、一度、たくさんの種類の枕を取り扱っている店舗に行ってみるといいかもしれません。

3:フィットする形やサイズ

人それぞれ、頭の形や重さ、体格が違うので、自分にフィットする枕の形やサイズを見つけることが大切です。

最も標準的な形は『長方形』ですが、他にも様々な形の枕があります。

『ハート形』

ハートを逆さにしたような形で、首に負担がかかりにくく、肩こりなどの解消に役立つことも。

『波(ウェーブ)型』

上下で高低差がある形で、背骨のS字カーブにフィットすることを重視しています。

『頸椎支持・横向き対応型』

中身の素材を変えることで形を自由に調整できるのが特徴。

『縦長型(抱き枕)』

抱きながら眠ることができ、安心感を得たい人や、妊婦さんの腰痛対策に人気です。

枕のサイズは、自分の体格やベッドのサイズに合わせて選ぶのが基本。
一般的に、『Mサイズ』は約43×63cm、『Lサイズ』は約50×70cm、『セミロングサイズ』は約43×90cm、『ロングサイズ』は約43×120cmです。

4:通気性、弾力性、抗菌、防臭などの機能性

最近は機能性豊かな枕がたくさん登場しています。快適な睡眠をサポートし、衛生面でも安心できる枕を選びましょう。

『通気性』に優れた枕は、汗をかきやすい人や、頭の熱によって寝苦しいと感じる人におすすめです。
同時に『気化冷却』機能のついている枕は、表面温度の上昇をおさえてくれるので、体温の高い人や、冷房機器を使用したくない人に最適。高反発や低反発と言われる『弾力性』については使用感で選びましょう。
好みによって分かれるので、実際に横になって試してください。

『抗菌』や『防臭』機能がついている枕は、枕のお手入れを怠ってしまいがちな人や、枕の臭いが気になる人におすすめ。また、枕本体の洗濯の可否や、耐久性の優劣もチェックしましょう。

5:買い替え頻度を踏まえた適正価格

値段で枕の良し悪しが決まるわけではありませんが、一般的に、素材によって値段が変動し、オーダーメイドの枕は高価格になる傾向があります。安価なものから高価なものまでありますが、4つの価格帯に分けて、どのような人におすすめかをご紹介します。

『5,000円以下』

頻繁に枕を買い換えたい人、自分に合った枕を見つけるために様々な枕を試したい人におすすめ。

『5,000~10,000円』

機能性を備えた枕を探している人に。販売されている種類が多く、自分に合った枕を探しやすいでしょう。

『10,000~20,000円』

機能性にこだわった枕が多く、自分にとって快適な枕の特徴が分かっている人におすすめ。長く使用するためにも、実際に横になって試してから購入しましょう。

『20,000円以上』

一般的に高価な枕と言えます。こだわりの詰まった商品や、自分に合った素材や高さを調整した、オーダーメイドの枕を探すこともできるでしょう。

睡眠時間は「人生の1/3を占める」と言われているので、睡眠の質にこだわりたい人や、睡眠環境に満足していない人は、一度検討してみるといいかもしれません。

6:耐久性に差がある

耐久性は、枕によって大きな差があります。同じ枕を長期間使用すると、枕本体がへたって、フィット感が損なわれたり、ダニやカビが発生したり、臭いが気になったり……。

安価な枕を頻繁に買い換えたいのか、高価な枕を長く使いたいのか、自分の好みや生活スタイルに合わせて選びましょう。

7:眠る時の姿勢の癖に合わせる

寝方による骨の形

人それぞれ、頭の形や重さ、首の長さや太さ、肩幅や筋肉のつき方が違うのはもちろん、寝姿勢の癖も異なります。一般的に、仰向けで眠る人は頸椎が緩やかなS字を描くような高さが、横向きで眠る人は頸椎が真っ直ぐになる高さが理想と言われています。

8:メンテナンスのしやすさ

季節に関係なく、毎日、長時間使用する枕は、汗や皮脂、ヨダレなどで汚れやすいもの。お手入れを怠ると、ダニやカビが繁殖し、衛生的に良くありません。

また、メンテナンスせずに使用し続けると、頭の重さで中心部がヘコんだり、全体がへたってしまうことも。素材によって水洗いの可否が異なるので、購入時には必ず確認しましょう。こまめに洗ったり、干したりすることで、いつまでも快適に使用することができます。

9:店頭でフィッティングする時に確認すること

枕の選び方のポイントをおさえたら、実際に横になってみて、枕の高さやフィット感を確認するのがおすすめです。ちょうどいい高さかどうかを判断する基準は、仰向けになった時に目線が真上から5〜10度下がっているかどうか、横から見て首筋にすき間がなく、首をしっかりホールドしているかどうかです。

また、横向きになった時に、肩に重みがかかっていないかも大切なチェックポイント。さらに、うつ伏せの姿勢で両手を枕の下に入れ、頭や首に負荷がかからないかも確認しましょう。普段からうつ伏せでスマートフォンを操作することが多い人は、実際に操作してみるのもおすすめです。

様々な枕を試してみてもフィットする枕が見つからない場合は、今まで使用していた枕とは全く違うタイプを試してみましょう。

素材や形を変えることで、自分に合った枕を見つけることができるかもしれません。睡眠の質を左右する重要な寝具なので、何度もお店へ足を運び、じっくり検討してください。また、店頭にあるマットレスと自宅で使用しているマットレスや布団の硬さが大きく異なる場合は、販売員に伝えて、枕選びを相談しましょう。

体型によって選び方の基本が変わる

体型を現した木のイラスト

さまざまなメーカーから、素晴らしい枕が発売されていますが、自分の体型に合っていなければ意味がありません。そこで、体型別に基準となる選び方をご紹介します。

やせ型の人は、低めの枕

女性や体格の細い人、子供には、約3〜4cmの低めの枕がおすすめ。また、横向きで眠ることが多い場合、小さく丸まって眠る人や、なで肩の人も低めの枕を選びましょう。

ふくよかな人は、高さ調整が必要

ふくよかな人は、後頭部からマットレスまでの距離が遠くなることが多いため、高い枕を選ぶ傾向がありますが、睡眠時に気管支が塞がれやすいので注意が必要です。

睡眠時無呼吸症候群やいびきが気になる場合は、高さを調整したほうがいいか、お医者さんや寝具売り場のスタッフに相談してみてください。

筋肉質な人は、高めの枕

体格がしっかりしている男性、背中の筋肉が厚い人には、約5〜6cmの高めの枕がおすすめ。
一般的なしっかりした体格の女性は、もう少し低くても良いかもしれません。あくまでも目安なので、自分の好みや寝心地をチェックしてください。

筋力や骨格は、年齢や生活習慣によって変化するので、理想の枕も変化します。
「長年同じ枕を使っていたのに、最近は肩がこる」というような不調が現れた場合は、枕を見直すといいかもしれません。枕によっては、中身を増減させて高さを調整することや、購入時の状態が形状記憶されていて元に戻せることもあるので、確認してみましょう。

お悩みに合わせた枕の選び方

口を開けて寝る男性

現在使っている枕のお悩みに合わせて選ぶと、自分に合った枕を見つけるヒントになります。そこで、悩んでいる人の多い、いびき、ストレートネック、頭痛、肩こりの4タイプに分けてご紹介します。

1:いびき

男性の悩みで多い、いびきは、睡眠時無呼吸症候群に繋がる可能性があります。

体格や運動量によって異なりますが、男性は女性に比べて頸椎弧(けいついこ)という首のカーブが深めで、仰向けに寝ると首と布団の間に大きなすき間ができて気管が狭まりやすくなり、いびきをかく原因に。いびきに悩んでいる人は、枕の高さを見直してみましょう。

2:ストレートネック

仰向けになった時、背骨がゆるいS字を描くのが理想的です。枕の高さや硬さが合っておらず、本来の湾曲した背骨の形が歪むと、猫背や反り腰になってしまい、体に負担がかかります。

3:頭痛

枕の高さによって首の角度が変わるため、呼吸機能に影響を与えることがあります。睡眠時に適切な呼吸ができないと、睡眠の質が低くなってしまうだけでなく、酸素を十分に取り込むことができずに、頭痛の原因に繋がることも。

4:肩こり

女性の悩みで多い肩こりは、男性と比べて頸椎弧(けいついこ)という首のカーブが浅めで、仰向けに寝ると首と布団の間にすき間ができにくいため、高すぎる枕を使うと頚椎に負担がかり、肩こりや首の痛みの原因に。

睡眠の質を高めることは、人生の質や仕事の質を高めることにも繋がるので、睡眠の悩みを改善する枕を探しましょう。

枕は素材によって寿命が異なる!

自分に合った枕を見つけたら、長期間快適に使用したいものですが、枕には寿命があります。使っていくうちにへたっていき、汚れや臭いが気になり、買い替えが必要に。その寿命は素材によって異なるので、枕に使用されることの多い素材別に、買い替えの目安をご紹介します。

『ポリエチレン』は、約2〜5年が目安。硬い素材でへたりにくいため、他の素材に比べて耐久年数が長い傾向にありますが、へたりを感じるようになったら買い換えましょう。

『ウレタン』は、約6か月〜3年が目安。反発性や柔軟性が徐々に失われるので、復元性がなくなり元の形に戻らなくなったら、新しいものに。高反発の場合は反発が弱くなり、低反発の場合は枕が硬くなり、どちらも頭へのフィット感を感じにくくなります。

『フェザー』は、約1〜3年が目安。弾力性やボリューム感がなくなり、枕の高さが低く感じるように。また、羽根には骨があるため、枕の袋から突き抜けて出てきたら買い替え時です。

『マイクロビーズ』は、約1〜5年が目安。柔軟性や流動性に優れたビーズにより、内袋への負担がかかるため、ビーズ自体の寿命よりも、それを保護する内袋の寿命の方が早くきてしまうケースが多くあります。ビーズを覆っている生地が伸びて形が形成できなくなった時が買い替えの目安です。

『そば殻』は、約6か月〜1年が目安。使用するたびにそば殻が割れ、そばの粉が出てきます。そばの粉が出ると虫がつきやすくなるだけでなく、鼻炎や喘息の原因になることがあるので使用をやめましょう。

『ひのき』は、約1〜2年が目安。汗や皮脂によって劣化することで、寝心地が悪くなり、高さが低くなります。また、寿命よりも先に香りが失われてしまうことが多いので、ヒノキオイルを使ってメンテナンスするのがおすすめです。

『高反発ファイバー』は、約2〜5年が目安。密度により異なりますが、頭を置く中心部分がへたり、お椀型になっていきます。もともと硬めな寝心地のため、フィット感の変化には気づきにくいですが、硬さが気になり出したら買い換えてください。

『スマッシュフォーム』は、約1〜3年が目安。素材同士が擦れ合って劣化しやすく、弾力性が損なわれ、硬さが気になるように。頭や首へのフィット感に違和感があれば、買い替えのサインです。

『ラテックス』は、約2〜3年が目安。長年使っていると素材のボリューム感が失われて、へたりが気になるようになるので、その時に買い換えましょう。

耐用年数を過ぎた枕は、高さが合わなかったり寝心地が悪くなったりするだけでなく、ダニやカビが繁殖してしまうことがあるので、枕の状態を意識的にチェックしてください。

また、ご紹介した買い替え時期はあくまでも目安なので、自分の体に合わなくなったと感じたら、その都度、最適な枕への買い替えがおすすめです。

枕選びに迷ってしまったら…

枕選びのポイントをたくさんご紹介しましたが、自分の好みを全て満たす枕を見つけるのは至難の業。選び方を基準に探してみても迷ってしまう場合は、自分の中での優先順位を決め、こだわるポイントを3つ程度に絞ってみましょう。

睡眠に関する悩みの大きさや、優先的に改善したい悩みの種類、フィット感、希望の買い替え頻度、予算など、重要度を決めることで、より理想の枕を見つけることができます。

体は今が一番若く、枕にこだわらなくても元気かもしれませんが、これからの健康のために“自己投資”と思える枕選びをしましょう。

自分に合った枕で質の高い睡眠を目指しましょう!

自分に合った枕の重要性や、選ぶポイントをご紹介しました。たくさん眠ったのに疲れが取れないという人は、一度、枕が合っているのかを見直してみてはいかがでしょうか。

一覧に戻る

コメントを残す

コメントは公開前に承認される必要があることにご注意ください。

PICK UP

RELATED ARTICLE

関連記事

PICKUP ARTICLE

編集部おすすめ

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

モニターの光に照らされて、ひとりの男性がコントローラーを握っている。マゴ選手。格ゲー界で40歳になった今も現役で活躍し続ける彼にとって、この空間は単なる仕事場を超えた、人生そのものの舞台なのだ。 「足も遅いし、特別顔がかっこいいとか、学校内で人気があったとか、そういう才能もなかった。でも格ゲーだけは、なんか人よりもちょっと上手いっぽかった。」 そんな想いから始まった格ゲーとの出会い。 初めて見つけた「自分だけの強み」 ──格ゲーとの出会いを教えてください。 マゴさん: 兄貴がいたっていうのが大きかったですね。兄貴がゲーム好きで、スーパーファミコンとかゲームボーイとかが家にあったんです。兄貴が楽しそうにやってるのを見てて、すごくやりたくなって。 でも兄貴がゲームしてる時、俺が後ろで見てると、親には「ゲームやってる」ってカウントされちゃうんですよ。だから「俺もやりたい」って言うと「あんたもうやってたでしょ?」って(笑)。全然やらせてもらえなかった。 そんな時に格ゲーが出てきて、兄貴が「一人じゃつまらないから、お前もやれよ」って。それが唯一ゲームに触れられるチャンスでした。 ──見てるだけでもプレイしたことになるなんて、厳しい環境だったんですね(笑)。 マゴさん: 兄貴がいた分だけ、他の人よりちょっと上手くて。それまで俺って、自分で誇れるものがなかったんです。足も遅いし、特別モテるわけでもないし。でも格ゲーだけは人より上手かった。初めて「これなら人に勝てる」って思えるものができて、そこでのめり込みましたね。 進学塾よりゲーセンに魅力を感じた少年時代 マゴさん: うちは教育熱心な家庭で、家庭教師をつけてもらったり、地元の塾や横浜駅の進学塾にも通ってました。塾の人には「繁華街は通っちゃダメ」って言われてたんですけど、「近いからこっちの方がいいじゃん」って通ってたら、ゲーセンに寄り道しちゃって。気がついたら塾にたどり着かずにゲーセンにいました。 親からタバコを買いに行くお使いを頼まれた時も、ゲーセンに寄り道してからタバコ屋に行く。当然時間もかかるし、お釣りの一部はゲーム代に消えちゃう。親もわかってたと思いますけどね、そんな感じでやってました。 ──完全にゲーセンの誘惑に負けましたね(笑)。親御さんも気づいてたんでしょうね。 マゴさん: 親もわかってたと思いますけどね。でも、そんな感じでやってました。 プロという概念がない時代の人生選択 ──プロゲーマーになろうと思ったのはどういった経緯だったのですか? マゴさん: 当時はプロシーンなんて概念がなかったんです。だから本当に人生捨ててゲームやってるぐらいの感じで。25、6歳になっても将来どうするかわからなくて、周りからも心配されました。 でも俺的には、自分が生きていくだけのお金さえ稼げて、ゲームする時間が確保できれば、それでいいなって思ったんです。会社に入って出世するとか、お金を儲けるっていうことが、自分の中の幸せではないって。これは諦めっていうより、踏ん切りですね。 そんな時に日本でプロシーンが始まって、幸い当時国内でも強かったので声がかかって、プロになったという感じです。ゲームに対して一生懸命であることが、自分にとって幸せなのかなって思いました。 ──まさに時代の流れとマッチしたタイミングでしたね。自分なりの幸せの価値観を持っていたからこそですね。 マゴさん: そうやっていたら、幸い当時は日本国内でもかなり強いプレイヤーだったので声がかかって、プロになったという感じでした。 プロになって直面した「逃げ場所の消失」 ──プロになって苦労したことは?...

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

モニターの光に照らされて、ひとりの男性がコントローラーを握っている。マゴ選手。格ゲー界で40歳になった今も現役で活躍し続ける彼にとって、この空間は単なる仕事場を超えた、人生そのものの舞台なのだ。 「足も遅いし、特別顔がかっこいいとか、学校内で人気があったとか、そういう才能もなかった。でも格ゲーだけは、なんか人よりもちょっと上手いっぽかった。」 そんな想いから始まった格ゲーとの出会い。 初めて見つけた「自分だけの強み」 ──格ゲーとの出会いを教えてください。 マゴさん: 兄貴がいたっていうのが大きかったですね。兄貴がゲーム好きで、スーパーファミコンとかゲームボーイとかが家にあったんです。兄貴が楽しそうにやってるのを見てて、すごくやりたくなって。 でも兄貴がゲームしてる時、俺が後ろで見てると、親には「ゲームやってる」ってカウントされちゃうんですよ。だから「俺もやりたい」って言うと「あんたもうやってたでしょ?」って(笑)。全然やらせてもらえなかった。 そんな時に格ゲーが出てきて、兄貴が「一人じゃつまらないから、お前もやれよ」って。それが唯一ゲームに触れられるチャンスでした。 ──見てるだけでもプレイしたことになるなんて、厳しい環境だったんですね(笑)。 マゴさん: 兄貴がいた分だけ、他の人よりちょっと上手くて。それまで俺って、自分で誇れるものがなかったんです。足も遅いし、特別モテるわけでもないし。でも格ゲーだけは人より上手かった。初めて「これなら人に勝てる」って思えるものができて、そこでのめり込みましたね。 進学塾よりゲーセンに魅力を感じた少年時代 マゴさん: うちは教育熱心な家庭で、家庭教師をつけてもらったり、地元の塾や横浜駅の進学塾にも通ってました。塾の人には「繁華街は通っちゃダメ」って言われてたんですけど、「近いからこっちの方がいいじゃん」って通ってたら、ゲーセンに寄り道しちゃって。気がついたら塾にたどり着かずにゲーセンにいました。 親からタバコを買いに行くお使いを頼まれた時も、ゲーセンに寄り道してからタバコ屋に行く。当然時間もかかるし、お釣りの一部はゲーム代に消えちゃう。親もわかってたと思いますけどね、そんな感じでやってました。 ──完全にゲーセンの誘惑に負けましたね(笑)。親御さんも気づいてたんでしょうね。 マゴさん: 親もわかってたと思いますけどね。でも、そんな感じでやってました。 プロという概念がない時代の人生選択 ──プロゲーマーになろうと思ったのはどういった経緯だったのですか? マゴさん: 当時はプロシーンなんて概念がなかったんです。だから本当に人生捨ててゲームやってるぐらいの感じで。25、6歳になっても将来どうするかわからなくて、周りからも心配されました。 でも俺的には、自分が生きていくだけのお金さえ稼げて、ゲームする時間が確保できれば、それでいいなって思ったんです。会社に入って出世するとか、お金を儲けるっていうことが、自分の中の幸せではないって。これは諦めっていうより、踏ん切りですね。 そんな時に日本でプロシーンが始まって、幸い当時国内でも強かったので声がかかって、プロになったという感じです。ゲームに対して一生懸命であることが、自分にとって幸せなのかなって思いました。 ──まさに時代の流れとマッチしたタイミングでしたね。自分なりの幸せの価値観を持っていたからこそですね。 マゴさん: そうやっていたら、幸い当時は日本国内でもかなり強いプレイヤーだったので声がかかって、プロになったという感じでした。 プロになって直面した「逃げ場所の消失」 ──プロになって苦労したことは?...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...