Sleep is an essential part of life - but more importantly, sleep is a gift. William, C. Dement※日本語訳 睡眠は人生において「必要不可欠なもの」のひとつではある。しかし、もっと大事なのは、睡眠は「ギフト」であるということだ。 ウィリアム・C・デメント(スタンフォード大学睡眠研究所初代所長) 執筆:西野 精治(Stanford University Medical Center)
【追悼】ウィリアム・C ・デメント先生を偲んで
睡眠コラム
【追悼】ウィリアム・C ・デメント先生を偲んで
2020年6月17日夜、ウィリアム・C ・デメント先生が91歳の生涯を閉じられました。
スタンフォード大学 睡眠・生体リズム研究所所長 西野精治教授より、下記に追悼文を執筆していただきましたので、ご紹介します。
ウィリアム・C ・デメント先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
かねてより、デメント先生は師でありレム睡眠の発見者であるシカゴ大学生理学教室のクライトマン教授を、人生を睡眠研究にそそいだという意味で「人類最初の睡眠研究者」であるとおっしゃっていましたが、同じような表現を用いるのであれば、デメント先生はまさしく「睡眠医学の父」です。
※ナルコレプシー犬とデメント先生
1950年頃までは、睡眠は受動的な行動状態であり、眠気の放出や疲れをとる以外に重要な機能を果たしていないと考えられており、魅力的な研究対象ではありませんでした。しかし1950年代にレム睡眠が発見され、この概念は瞬時に覆りました。ほぼ同時期に、モロッチとマグーンによる動物実験で、睡眠・覚醒は脳の自発的な活動で引き起こされるということも明らかになり、近代の睡眠研究の幕があけました。レム睡眠の発見は現象の発見でしたので、フランスのジュベー、日本の時実もほぼ同時期に同様の現象を報告しています。 ヒトでのレム睡眠の発見はクライトマン、当時大学院生であったアシュリンスキーの業績とされていますが、当時医学生であったデメント先生もその発見に立ち会い、その後精力的にレム睡眠の生理的意義の探求に没頭しましたので、米国ではレム睡眠の発見を3人の業績としてみなすことも多いです。
デメント先生は1963年にスタンフォードに赴任され、睡眠研究所・睡眠外来を開設され多くの睡眠研究者、睡眠専門医を育て、その多くは世界中で活躍しています。
※スタンフォードと睡眠医学
1972年にはフランスからギルミノー教授を招聘され、二人三脚で睡眠医学の創立に貢献されました。デメント先生の業績に関しては私が改めて述べるまでもありませんが、デメント先生は非常に気さくでユーモアがあり、一方で気難しい面もあるのですが、それを他人に見せることはなく、一緒にいる際は饒舌でいつも冗談を言っておられました。デメント先生が2008年に札幌、旭川、京都と講演旅行を行った際、私も妻と一緒に1週間近くお共させていただいたのが懐かしいです。
デメント先生は学内に住んでおられ、私が1987年にスタンフォードに留学した頃は毎年自宅でクリスマスのパーティを開いておられました。多いときには100人近く集い、フォークダンスやバグパイプなど年毎に趣向もこらしているので、みんな大変楽しみにしていました。 覚えているのは、バグパイプは非常に音が大きく、演奏者が部屋に入ってくると話ができないので、みんなその部屋から逃げ出します。バグパイプ奏者は皆が何故逃げるかわからず、再び大勢が集う部屋に移動し演奏を始めるということの繰り返しで、まるで鬼ごっこのようでした。クリスマスパーティで初めてデメント先生の自宅に伺った際、真っ先に赤い帽子と赤いチョッキでゲストを出迎え、ビールやカクテルをサーブする係がデメント先生でした。
※ワインについて述べるギルミノー先生と共に、睡眠研究所のパーティで
偉い人は一番奥の部屋でどっしりと座っているのかと思っていたのでデメント先生の「バーテンダー」には瞬殺され急に親しみがわきました。また、ゲストの車の数が次第に多くなり、近所迷惑になりそうになると、真っ先に外へ出て交通整理を始められたのもデメント先生でした。その他のエピソードも枚挙にいとまがないのですが、お気に入りの冗談は、あるとき、学会で自分の発表になったら、会場に一人の聴衆しかいなかった。かなりがっかりしたが、気を取り直して自分の発表を終え会場から出ようとしたら、その聴衆が「Please do not leave, I am the next speaker」と言ったというものです。デメント先生のお人柄からすれば、全くの作り話というより、似たような状況があったのではと推測しています。
謹んでご冥福お祈りいたします。
※西野先生とデメント先生