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朝までぐっすり!枕選びのポイントとおすすめ枕

寝具の選び方

朝までぐっすり!枕選びのポイントとおすすめ枕

#枕

以前は睡眠時間の長さが重視されていましたが、最近は睡眠の質の重要性に注目が集まっているため、枕の高さや硬さだけでなく、通気性の良さや枕表面の温度まで考えられた、特徴豊かな商品がたくさん発売されています。

人それぞれ、体型や筋肉量、睡眠に対する悩みが違うので、自分に合った枕を見つけることが大切です。

枕を選ぶポイント

睡眠中は筋肉がゆるんでいることもあり、無理な寝姿勢では血行不良や神経を痛めてしまうことがあるので、高さや硬さ、寝心地の合った枕を選ぶ必要があります。
まずは枕を選ぶ際のポイントを8つご紹介します。

1:首や肩に負担のかからない高さ

首や肩に負担のかからない高さの枕

体格によって快適な高さが変わるため、実際に横になってフィット感を試しましょう。

例えば、自分にとって高すぎる枕では首を痛めたり、呼吸がしにくくなることがあり、低すぎる枕では、寝違えや肩こりの原因になることも。
女性ややせ型の人、子供は約3-4cmの低めの枕がオススメです。ふくよかな人は、後頭部とマットレスの距離が遠くなることが多いため高い枕を選ぶ傾向にありますが、睡眠時に気管支が塞がれやすいので注意が必要。

体格がしっかりしている男性や筋肉質の人は約5-6cmの高めの枕がオススメです。筋力や骨格は、年齢や生活習慣によって変化するので、定期的に枕を見直しましょう。

2:使い心地が良く、手入れしやすい素材

枕の素材は、ポリエチレンやウレタン、フェザー、ビーズ、そば殻など種類が豊富です。

寝心地の良さや反発の有無、硬さの好みで選ぶだけでなく、お手入れのしやすい素材を選ぶことで、いつまでも清潔に使用することができます。

3:フィットする形やサイズ

人それぞれ、頭の形や重さ、体格が違うので、自分に合う枕の形やサイズも異なります。

背骨のS字カーブにフィットすることを重視した枕や、横向き寝が多い人用など特徴のある枕もあります。 サイズは、自分の体格やベッドのサイズに合わせて選ぶのが基本。一般的に、『Mサイズ』は約43×63cm、『Lサイズ』は約50×70cm、『セミロングサイズ』は約43×90cm、『ロングサイズ』は約43×120cmです。

4:通気性、弾力性、抗菌、防臭などの機能性

最近はさまざまな機能が備えられた枕が多いので、睡眠の悩みに合わせて選んでください。

通気性に優れた枕や、表面温度の上昇をおさえてくれる気化冷却機能のついている枕は、体温の高い人や、汗をかきやすい人、冷房機器を使用したくない人に最適です。高反発や低反発などの弾力性や、抗菌、防臭機能など、どんな機能が必要かを考えてみましょう。

5:買い替え頻度を踏まえた適正価格

一概に値段で枕の良し悪しが決まるわけではありませんが、一般的に、枕の中の素材によって値段が変動します。素材によって寿命が異なるので、買い替え頻度を踏まえて、検討しましょう。

頻繁に買い換えたい人や、自分に合った枕を見つけるためにさまざまな枕を試したい人は5,000円程度の枕を、機能性を備えた枕を探している人は5,000~10,000円程度だと販売されている種類が多くて自分に合った枕を探しやすいでしょう。10,000円以上は機能性にこだわった枕が多く、自分にとって快適な枕の特徴が分かっている人や、オーダーメイドの枕が欲しい人にオススメです。

6:耐久性に差がある

長期間使用していると、枕本体がへたってフィット感が損なわれたり、ダニやカビが発生したり、臭いが気になったりするので、買い換えの必要があります。

耐久性は枕によって大きな差があるので、安価な枕を頻繁に買い換えたいのか、高価な枕を長く使いたいのか、自分の好みや生活スタイルに合わせて選びましょう。

7:眠る時の姿勢の癖に合わせる

寝方による骨の位置の違い

一般的に、仰向けで眠る人は頸椎が緩やかなS字を描くような高さが、横向きで眠る人は頸椎が真っ直ぐになる高さが理想と言われています。

最近では、いびきをかきにくい横向き寝をサポートしてくれる枕も発売されているので、寝姿勢の好みや睡眠の悩みに合わせて選んでください。

8:メンテナンスのしやすさ

枕は季節に関係なく、汗や皮脂、ヨダレなどで汚れるので、お手入れが必要不可欠。枕の中身の素材によって洗濯の可否が異なります。

また、メンテナンスせずに使用し続けると、頭の重さで中心部がヘコんだり、全体がへたってしまうので、購入前にメンテナンス方法を確認しておきましょう。

枕の種類と特徴

重なってる枕

ここまでご紹介したポイントに関連して重要なのが枕の中材。枕の中身の素材はとても種類が多いので、それぞれの特徴をご紹介します。

高反発ウレタンの特徴

  • フィット感:高い
  • 通気性:若干悪い
  • 寿命:2~3年
  • 硬さ:普通
  • お手入れ(洗濯):商品によって洗濯可能
  • アレルギー:ほとんどない
  • 価格帯:3,000円~10,000円

適度な硬さがあり、首から肩をしっかりと支えてくれるので、体格のいい人、肩こりがある人にオススメ。値段によって品質に差があるので、しっかり確認しましょう。

低反発ウレタンの特徴

  • フィット感:非常に高い
  • 通気性:悪い
  • 寿命:2~3年
  • 硬さ:柔らかめ
  • お手入れ(洗濯):洗濯不可が多い
  • アレルギー:ほとんどない
  • 価格帯:2,000円~15,000円

非常に高いフィット感で、頭全体を包み込むように支えてくれるので、首から肩にかけての凹凸にもしっかりとフィットし、肩こりや首の痛み改善に高い効果が期待できます。柔らかいので、体重の軽い人や普通体系の人にオススメ。

ラテックスの特徴

  • フィット感:普通
  • 通気性:良い
  • 寿命:2~3年
  • 硬さ:普通
  • お手入れ(洗濯):洗濯可能ですが、若干面倒
  • アレルギー:ゴムアレルギー
  • 価格帯:5,000円~15,000円

柔軟性のある反発力が特徴。頭を乗せた直後は低反発ウレタンのような包み込まれる感覚があるものの、支える力が高いため、安定した硬さを求める人や、体が大きい人にオススメ。通気性が高く、天然素材のため抗菌作用があり、清潔に保つことができます。

高反発ファイバーの特徴

  • フィット感:低い
  • 通気性:非常に良い
  • 寿命:3~4年
  • 硬さ:硬め
  • お手入れ(洗濯):丸洗い可能
  • アレルギー:ほとんどなし
  • 価格帯:7,000円~30,000円

寝返りが打ちやすく、頭をしっかりと支えてくれるので、体格のいい人や、硬めの寝心地が好きな人にオススメ。また丸ごと水洗いすることができるため、臭いや衛生面が気になる人にも最適です。通気性が抜群に優れているため、寝汗や熱などがこもらず、常に快適な快眠環境を整えてくれますが、高価な商品が多いです。

ポリエチレンパイプの特徴

  • フィット感:低い
  • 通気性:非常に良い
  • 寿命:5~6年
  • 硬さ:硬め
  • お手入れ(洗濯):丸洗い可能
  • アレルギー:ほとんどなし
  • 価格帯:1,000円~5,000円

硬めの寝心地が好きな人にオススメ。通気性が抜群に良く、ほこりも出ず、水でサッと洗えるので非常に衛生的で、耐久性が高く、長期間にわたって使用することができます。中身のパイプの量によって枕の使い心地を自在に変えられるのも、ポリエチレンパイプならでは。

羽毛の特徴

  • フィット感:ややある
  • 通気性:良い
  • 寿命:3~4年
  • 硬さ:柔らかい
  • お手入れ(洗濯):洗濯可能ですが、若干面倒
  • アレルギー:動物アレルギー、羽毛アレルギー
  • 価格帯:7,000円~25,000円

ふわっと柔らかく、包み込むような使い心地が特徴なので、柔らかな寝心地が好みの人にオススメ。軽くて、暖かく、長期間使用してもへたりません。羽毛の量を変えることで好みの高さに調整できます。

羽根の特徴

  • フィット感:普通
  • 通気性:普通
  • 寿命:3~4年
  • 硬さ:柔らかい
  • お手入れ(洗濯):洗濯可能ですが、若干面倒
  • アレルギー:動物アレルギー、羽根アレルギー
  • 価格帯:7,000円~15,000円

空気をたっぷりと含んだ特有のふわふわな寝心地が特徴なので、柔らかな寝心地が好みの人にオススメ。吸湿性、放湿性に優れ、復元力が非常に高いのが特徴です。羽毛の枕よりも取り扱っているメーカーが多く、お手頃な価格の商品を探しやすいですが、羽軸がついている羽根枕は、羽毛よりも若干硬く、商品によっては羽軸がチクチクと刺さることがあります。

そば殻の特徴

  • フィット感:普通
  • 通気性:良い
  • 寿命:半年~1年
  • 硬さ:普通
  • お手入れ(洗濯):洗濯可能
  • アレルギー:そばアレルギー
  • 価格帯:1,000円~3,000円

適度な硬さと安定感が人気。吸湿性、放湿性に優れ、日本の高温多湿の気候に非常に適しています。天然素材特有の清涼感があり、お手頃な価格で、どこででも購入することができます。お手入れを行わないと湿気がたまり、虫が発生することがあるので注意が必要です。

ポリエステルつぶわたの特徴

  • フィット感:良い
  • 通気性:普通
  • 寿命:3~4年
  • 硬さ:柔らかめ
  • お手入れ(洗濯):丸洗い可能
  • アレルギー:ダニアレルギー
  • 価格帯:2,000円~7,000円

繊維が切れにくく、天然綿よりもわた埃が発生しにくいのが特徴。使用するポリエステルつぶわたの量によって、しっかりとしたボリューム感と弾力を出せるため、柔らかい寝心地が好みの人にオススメです。洗濯もできるので非常に衛生的な反面、吸湿性がなく、放湿性も低いため、お手入れをしないとダニなどが繁殖してしまうことがあります。

ウールの特徴

  • フィット感:普通
  • 通気性:普通
  • 寿命:2~3年
  • 硬さ:普通
  • お手入れ(洗濯):丸洗い可能
  • アレルギー:ダニアレルギー
  • 価格帯:5,000円~10,000円

程よい硬さがありながらも、独特の柔らかい寝心地が特徴で、天然素材のため吸湿性、放湿性に優れ、耐久性があります。夏場は特に熱がこもりやすく、お手入れを怠るとダニが発生してしまうので、注意が必要です。

極小ビーズの特徴

  • フィット感:高い
  • 通気性:悪い
  • 寿命:3~5年
  • 硬さ:柔らかめ
  • お手入れ(洗濯):丸洗い可能
  • アレルギー:ほとんどなし
  • 価格帯:2,000円~3,000円

非常に小さな発泡ビーズを使用しているため、滑らかなさわり心地。極小のビーズはつぶが非常に小さいため、つぶ自体がつぶれることなく、耐久性に優れ、首や肩にも柔軟にフィットしてくれます。形が自由自在に変わってしまうため、体格の大きな人だと安定感に欠けて肩こりなどの原因になることがあるので、やせ型の人にオススメです。

ヒノキの特徴

  • フィット感:低め
  • 通気性:良い
  • 寿命:1年~2年 (香りの寿命は3か月程度)
  • 硬さ:硬め
  • お手入れ(洗濯):丸洗い不可
  • アレルギー:臭いアレルギー
  • 価格帯:10,000円~15,000円

安定感のある硬めの寝心地が特徴。防湿、防カビ効果が高く、頭部にこもる熱を分散し、不快感を解消してくれるのも天然ヒノキならでは。使い始めは心地よいヒノキの香りに包まれますが、香りの寿命は早ければ1か月程度で、長くても3か月程度と、枕の機能としての寿命よりも短くなっています。

枕選びに迷ってしまったら…

100%自分好みの枕を見つけるのは、とても大変です。ご紹介した選び方を基準に探しても迷ってしまう場合は、睡眠に関する悩みや、フィット感、希望の買い替え頻度、予算など、こだわるポイントに優先順位をつけ、3つ程度に絞ると、理想の枕を見つけやすくなります。

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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...