ベッドで横になる女性

布団は重いものがよい?重い布団のメリット・デメリットや最適な寝心地を実現する布団を紹介

睡眠コラム

布団は重いものがよい?重い布団のメリット・デメリットや最適な寝心地を実現する布団を紹介

#快眠・安眠 #掛け布団

「重い布団は疲れる」「断然重い布団のほうがいい!」と、賛否が分かれやすい重い布団。

重い布団は、厚みや重みがあることで保温性に優れ、寒い季節には体温を逃がさずに快適な睡眠環境を作り出します。一方で、寝返りが打ちづらくなり、血行不良を引き起こすこともあります。

この記事では、重い布団のメリットやデメリットを解説します。また、自分に合った快適な布団の選び方も紹介しているので、ぜひ参考にしてください。

布団は重いものがよい?

無人の寝室

重い掛け布団と軽い掛け布団は、科学的な研究結果よりも、個人の好みや快適さが重要な判断基準となります。ある方にとって心地よい重さが、別の方にとっては不快に感じることがあるからです。

良質な睡眠をとるためには、自分の身体が心地よいと感じる重さを選ぶことがなにより大切です。

素材ごとの布団の重さ

掛け布団の重さは、サイズの大小や詰め物の量によって大きく変化します。また、羽毛(ダウン)や綿など素材の密度も重さに影響を与え、同じ量でも詰め物の種類によって総重量は異なるのが特徴です。

下記ではそれぞれ素材の重さや特徴をまとめました。

素材 重さ(目安) 特徴
羽毛 約1~3kg 水鳥の毛を使用(胸の部分)
羽根 約1~3kg 水鳥の毛を使用(胸以外の部位)
ポリエステル 2kg前後 ・耐久性がある
・洗濯後乾きやすい
真綿 約2~3kg ・蚕の繭から作られた繊維
・保湿性・通気性がある
木綿 4kg前後 ・吸湿性が高く重量がある
・掛け布団にすると重く感じる

重い布団のメリット

重い布団の利点は主に3つ挙げられます。

保温性が高い

重い布団のような厚みのある構造は、空気の層をしっかりと確保し、体温で温められた空気を閉じ込めることで、外気との熱交換を最小限に抑えます。

寝ているあいだも暖かい空気が逃げにくいため、一定の温度を保ちながら快適な睡眠環境を維持できます。重くて厚手の布団がもたらす適度な保温性は、寒い冬でも身体が冷えすぎない快適な温度バランスを実現し、質のよい睡眠が得られます。

安心感がある

重い布団がもたらす心地よい圧迫感は、多くの方に安心感を与えます。この感覚は、誰かに優しく抱きしめられているような温かな感覚に似ているのが特徴です。

適度な圧迫感は体内でオキシトシンの分泌を促すと考えられています。オキシトシンは「抱擁ホルモン」とも呼ばれ、安らぎや幸福感をもたらすホルモンです。重い布団では生理的な反応により、心身ともにリラックスした状態で眠りにつきやすくなります。

不眠症状を和らげる効果が期待できる

スウェーデンのカロリンスカ医科大学による研究では、重い毛布で眠ると不眠症の改善に効果的であることが示されました。さらに研究結果によると、重い毛布による適度な圧迫は、不眠だけでなく不安やうつ症状の軽減にも効果が期待できると報告されています。

特に胸部を圧迫することで、C線維(末梢神経)の活動が抑えられ、結果として交感神経の働きが低下することが示唆されています。

参考:米国政府の公式Webサイト|National Library of Medicine

重い布団のデメリット

重い布団がもたらすのはメリットだけではありません。ここでは3つの注意点を詳しく解説します。

持ち運びやお手入れが難しい

重い布団は睡眠効果が期待できますが、その重量ゆえに日常的な取り扱いに課題があります。 ベッドを使用していない場合、布団の持ち運びや押し入れへの収納作業は体力が必要です。

また重量により家庭での洗濯が困難です。布団を清潔に保つためには布団カバーの使用がおすすめです。カバーであれば取り外して洗濯でき、布団本体を衛生的に保てます。

蒸れやすい

重い布団は保温性が高いですが、夏場には逆効果となる可能性があります。布団の厚みが熱をこもりやすくし、就寝中に発汗することで蒸れや不快感を感じるかもしれません。

重い布団は保温性と通気性のバランスが技術的に難しいため、季節に応じた対策が必要です。 暑い時期には冷感素材を使用し、季節に合わせた寝具の使い分けをすることで、年間を通じて快適な睡眠環境を整えられるでしょう。

寝返りしにくい場合がある

寝返りの役割は体圧を分散させ、血行を促進させることです。しかし、重い布団の重量により寝返りがしづらくなると、同じ姿勢で長時間寝ることになり、特定の部位に圧力が集中して血行不良を起こす可能性があります。

結果的に肩や腰などの各部位に負担をかけ、起床時に筋肉の張りや関節の痛み、さらには身体の不調といった問題を引き起こしてしまうことも考えられます。

布団選びのポイント

布団選びでは、敷布団と掛け布団それぞれの役割に応じた選択基準を理解することが大切です。 敷布団は体重を支える土台です。通気性と保温性のバランスが取れた敷布団を選びましょう。一方、掛け布団は身体を暖める役割があるため、保温力の高いものを選ぶようにしてください。

また、下記の記事では布団の選び方を詳しく解説しているので、ぜひ参考にしてください。
毎日使う布団の選び方を知るだけで人生の1/3を制する!

布団以外で睡眠環境を整えるポイント

窓際で朝日を浴びて伸びをする女性

布団の重さも大切ですが、快眠を得たいなら睡眠環境も整えましょう。

温度と湿度

快適な睡眠を得るためには、寝床内の環境条件が重要です。理想的な寝床内の温度は32度から34度の範囲、湿度は45%から55%の範囲が望ましいとされています。

この環境条件を維持することで、体温調節がスムーズにおこなわれ、質の高い睡眠を得られやすくなります。

参考:e-ヘルスネット|快眠のためのテクニック -よく眠るために必要な寝具の条件と寝相・寝返りとの関係

スマートフォンやタブレットなどから発せられるブルーライトは、夜間に見ることで体内時計のリズムを狂わせる原因となります。

夜の光刺激は、睡眠を促すホルモンであるメラトニンの分泌を抑制し、眠りにつきにくい状態になってしまうのです。 良質な睡眠を得たい方は、就寝前にデバイスの使用を控えることで、自然な睡眠サイクルを促せるでしょう。

朝起きた際に感じる首や肩のこりは、枕の高さが原因かもしれません。枕の役割は、マットレスや敷き布団と頭部のあいだにできる空間を埋め、脊椎が自然な状態を保てるようにすることです。

後頭部から首にかけての空間の大きさは人によって異なるため、それに合わせた高さの枕を選ぶようにしましょう。自分の体型に合った高さと安定感のある枕を選ぶことで、正しい寝姿勢を保て、首や肩への負担を軽減できます。

下記では枕の選び方を解説しているので、併せてご覧ください。
枕の理想的な高さとは?睡眠の質を高める枕の選び方も解説

マットレス

人間の背骨は、後頭部から首、胸、腰にかけて2つのS字カーブを形成しています。自然な曲線のまま身体を支えることが、良質な睡眠に不可欠です。

立っているときには腰部のS字カーブに4〜6cmほどの隙間ができますが、就寝時には2〜3cmの隙間になります。

マットレスや敷き布団が必要以上にやわらかいと、腰部と胸部が沈み込み、S字カーブでできた隙間が広がり腰痛の原因になります。

反対にマットレスが硬すぎると骨への圧迫や血行不良を引き起こし、睡眠の質を低下させるため、注意が必要です。

S字カーブをバランスよく確保できる適度な硬さのマットレスや敷き布団を選ぶようにしてください。

また、下記ではマットレスの選び方を紹介しているので、ぜひご覧ください。
朝の目覚めが変わる!?QOLが上がるマットレスの上手な選び方

パジャマ

パジャマは、快適な眠りを得るための必須アイテムです。自分に合ったパジャマは、就寝中の汗や蒸れから身体を守ります。 身体を締め付けない着心地ならスムーズな寝返りができ、リラックスした状態で心地よく眠れるでしょう。

さらに、パジャマに着替えるという行為自体が、脳に「睡眠モードへ切り替えるよ」というシグナルとなり、自然に入眠できる体制が整います。

下記の記事ではパジャマの選び方をご紹介していますので、参考にしてみてください。
リカバリーウェアの上手な選び方!疲労回復のオススメな選定方法とは?

快適な睡眠をサポートするブレインスリープの掛け布団

ブレインスリープでは、睡眠でお悩みのあなたに快眠できる掛け布団を提供しています。

ブレインスリープ  コンフォーター ウェイトバランス

ブレインスリープ  コンフォーター ウェイトバランスイメージ画像

『ブレインスリープ コンフォーター ウェイトバランス』は、羽毛布団を超え、脳と心の休息を手助けする究極のメディカル布団です。

特徴1:羽毛を超える暖かさ&サイドウェイト構造で熱を逃がさない

新しい技術で開発されたエアインボールは1本1本の繊維の約1/3が空洞となった糸から作られています。空洞部分に空気を含ませ暖かい空気の層になることで、羽毛に匹敵する保温力と空気による軽さ、柔らかさを実現。足先までしっかりと暖まります。

また、人は眠っている間に20~30回ほど寝返りを打つと言われています。その寝返りの際に布団が動いてしまうと、寝床内に冷たい空気が入り込み快適な睡眠を妨げます。ですが、『ブレインスリープ コンフォーター ウェイトバランス』は独自開発のサイドウェイト構造(布団の両サイドの重り)で布団の端がズレにくいため朝まで暖かさをキープします。

特徴2:脳と身体を休ませる「ウェイトバランサー」

自然にリラックスして眠るためには、適度な圧力(圧迫刺激)をかけるのが理想的と言われています。それは『ハグの効果』と言われ、抱きしめられている時のような安心感が得られることで、脳と体が休まり、睡眠環境の質が向上します。

一般的な重力布団は全身が重く、掛け布団本来の心地よさからはかけ離れたものでしたが、ブレインスリープが重力をかける位置を独自に開発。そのウェイトバランサー(おもり)で胸元に適度な重みを持たせることで体に圧力かけ、抱きしめられている状態と似た状態を生み出します。

バランサーには柔らかく通気性に優れたソフトエラストパイプを使用。パイプ状で熱や蒸れがこもりにくく、睡眠を邪魔しません。オレフィン系の特殊な樹脂性で柔らかいので擦れる音もなく、柔らかい感触で朝まで心地よさをキープします。

特徴3:洗濯機で丸洗いができるから、清潔をキープ

自宅で洗濯できない商品が多い羽毛布団とは違い、家庭の洗濯機で丸洗いができます。

羽毛は洗濯をするたびに羽の油が抜けていき萎れてしまうためボリューム感を維持することができませんが、『ブレインスリープ コンフォーター ウェイトバランス』に使用している中綿はボール状になっているため繊維のちぎれが少なく、ふわふわとしたボリューム感が持続します。

また側生地はダウンプルーフ加工を採用し、糸と糸の間の隙間を空気のみが通過できるようにつぶして、中綿の吹き出しを防止しています。

ブレインスリープ  コンフォーター ウェイトバランス購入ボタン

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト ウォーム EX

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト ウォーム EXイメージ画像

「ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト ウォーム EX」は、羽毛も毛布もいらない、これ1枚で冬の睡眠が快適になる究極に暖かい掛け布団です。

特徴1:羽毛を遥かに超える究極の暖かさ

その秘密は、熱を逃がさない9層魔法瓶構造。冷気を遮断するアルミプロテクター・驚異の吸湿発熱力を誇るカポックヒートEX・希少なレアメタルにより体温を反射するリカバリーインサレーションなど、先進テクノロジー素材をレイヤード。9層構造が熱を保温し、暖かい熱を逃しません。羽毛布団の中でも高品質と言われるグースダウン羽毛布団と比較して、約120%の保温性を実現しています。

特徴2:気持ちよく、ムレない究極の寝心地

カシミヤに極限まで近づけた特殊繊維構造の毛布生地で、まさにカシミヤの様な柔らかで滑らかな風合い。さらに、独自開発した肌面の毛布生地は、極上の気持良さ・ムレにくさ・吸湿発熱性機能を兼ね備えて、入った瞬間からの暖かさを実現します。

特徴3:自宅の洗濯機で丸洗い可能

丸ごと洗えて、清潔加工。オフシーズンにはコンパクト収納も可能。抗菌よりも強い制菌性で、ふとん内部の菌の増殖を抑制し、汗の嫌な臭いも消臭。しかも、抗ウィルス機能で究極の清潔さを保ちます。

特徴4:さらにわた埃の発生を約96%軽減。ハウスダストの心配も不要

ふとんから発生するわた埃を最小限に抑えることにより、毎日安心して睡眠できます。

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト ウォーム EX購入ボタン

ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズ

ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズイメージ画像

『ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズ』は、宇宙服のために開発された革新的な調温技術を採用。独自のマイクロカプセルが温度変化に応じて個体と液体に変化し、吸熱、蓄熱、放熱を繰り返します。

特徴1:暑い時は涼しく、寒い時は暖かい

暑い時は余分な熱を吸収し、寒い時は貯蓄した熱を放出するので、寝床内の快適温度(33℃±1℃)をキープ。さらに、接触冷感と暖かい起毛素材のリバーシブル構造なので、夏は涼しく、冬はインナーケットとして、一年を通して使用することができます。

特徴2:リバーシブル構造で365日手放せない

季節に合わせて生地の表裏を使い分けることができます。 暖かい季節はさらっとした接触冷感生地を肌側に、寒い季節は柔らかくてなめらかなピーチスキン生地でやさしく包み込みます。

特徴3:イージーウォッシュで毎日清潔に

家庭用洗濯機で丸洗いができるので、いつでも気軽に洗えて清潔です。

ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズ購入ボタン

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EX

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EXイメージ画像

「ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EX」は、トリプル冷感テクノロジーにより、究極冷感が一晩中続く夏用掛け布団です。

特徴1:一晩中続く最高峰の冷たさ

パーフェクト4レイヤー構造が、接触冷感・吸湿冷感・持続冷感のトリプル冷感を実現。究極冷感が一晩中続き、暑い夏でも快適に眠れます。

特徴2:梅雨から晩夏まで長く使えるリバーシブル構造

使い分けできるリバーシブル構造で長期間使用出来て、軽やかな掛け心地とムレない快適さを実現。

特徴3:家庭洗濯でいつまでも清潔・消臭

気軽に家庭洗濯できるため、布団の奥までしっかり洗うことで汗の嫌な臭いも気になりません。

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EX購入ボタン

布団を見直して最適な寝心地を実現しよう

快適な睡眠のためには、自分に合った布団選びが重要です。寝床内の温度と湿度、体型に合った適度な硬さ、季節に応じた保温性など、様々な要素を考慮して布団を選ぶことで、質の高い睡眠環境を整えられます。

好みや体調に合わせて布団を見直し、理想的な寝心地を追求することで、よりよい睡眠を実現できるでしょう。

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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...