夜間頻尿は対策できるのか?mv

【夜中にトイレ】50代以降は要注意!夜間頻尿の原因と対処法

睡眠コラム

【夜中にトイレ】50代以降は要注意!夜間頻尿の原因と対処法

#健康

「眠っているのにトイレに行きたくなって起きてしまう」「尿意を感じてしばしば布団から出ることが増えてきた」そんな悩みを持っている方は多いです。

あなたは、夜間、排尿(おしっこ)をするためにトイレに起きることはありますか?夜間の排尿は、一度眠りから覚めてベッドを離れる必要があるため、睡眠に大きく影響します。

トイレに行くために何度も起きていると、その度に脳は覚醒し、十分な睡眠がとれず睡眠不足になることも。夜間頻尿が原因で夜間寝れず、昼間に眠くなっていまい活動に影響が出ている人も意外と多いのです。

今回は睡眠への影響が大きい、夜間頻尿の原因と対処法について解説していきます。これさえ読めば、夜間頻尿についての理解が深まり解決できるでしょう!

1.夜間頻尿は夜中に何回トイレに行けば注意が必要なの?

男女のトイレ入口

医学的定義では「夜間就寝中に1回以上、排尿のために起床する場合」を夜間頻尿と呼びます。

「たった1回でも?」と思うかもしれません。しかし、これが毎日のように起これば、睡眠にも影響しますし、何らかの原因が潜んでいる可能性があるのです。

日本排尿機能学会の調査では、40歳以上では男性で71.7%、女性で66.9%が夜間就寝中に1回以上、排尿のために起床すると報告されています。この割合は年齢とともに、大きくなるので50代、60代ではもっと高い割合に。

そして「夜間2回以上、排尿のために起床する場合」は睡眠の質が低下し、生活上の不便を感じることも多いことから、治療の必要性があるとされています。

「夜間2回以上」トイレに起きている方は、その原因を調べるためにも一度専門の医療機関を受診してみる必要があるのです。

2.夜間頻尿になると熟睡することができない

目を隠して寝る女性

夜間頻尿も含めて、下部尿路症状により生活の質(QOL: Quality of Life)が低下することはよく知られています。その中でも、睡眠への影響は大きいと考えられます。

しかし、夜間の排尿は加齢変化(年齢的なもの)と考える方も多く、自然な現象として検査や治療することなく我慢している方が多いのが現状です。夜間頻尿は原因を突き止めてしっかり治療すれば、トイレに行く回数が減り、睡眠が中断されることも無くなります。結果として、良い睡眠がとれるようになるのです。

薬を内服して夜間頻尿が改善した患者さんは、「薬を飲み始めて、トイレに行かなくなりよく寝れるようになった。こんなことなら、もっと早く治療しておけば良かった!」と言われる方も多くいます。

このように、夜間頻尿は治療さえすれば睡眠、生活の質を大きく改善できる可能性があるのです。

3.夜間頻尿の原因は?対策はできるのか

尿意のある男性

夜間頻尿の原因は、大きく以下の3つに分けられます。

  • 尿量が多くなる「多尿」
  • 前立腺や膀胱の異常による「泌尿器疾患」
  • よく眠れないために尿意が起こる「睡眠障害」

そもそも夜間頻尿かどうか分からないという方も多いのに、原因を考えられる方は当然少ないです。そのため、上記のような夜間頻尿の原因はあまり認知されていません。しかし、原因が分かれば対策もできるようになるものです。それぞれ詳しく見ていきましょう。

3-1.多尿:1日に排出される尿の量が多い

用を足す男性

1日の適正尿量は1,000~1,500mlぐらい(体重×20~25ml)とされています。1日2,000ml以上の尿が出る場合は多尿と考えられるのが一般的です。多尿は多くの場合、水分や塩分の過剰摂取が主な理由となります。

また、加齢とともに血管外に漏れ出す水分が増えるために、下半身に水が貯留した状態になるのも理由のひとつです。夜間、寝るために横になると、この貯留した水分が血管内に戻り、心臓に返る血液量が増えます。すると「ナトリウム利尿ペプチド」と呼ばれるホルモンが分泌され、尿量が増えてしまうのです。

この「ナトリウム利尿ペプチド」は、閉塞性の睡眠時無呼吸でも分泌が増えます。そのため、睡眠時無呼吸症候群の患者さんは、尿量が増えることが知られています。糖尿病などの内分泌疾患、高血圧、うっ血性心不全、腎疾患でも尿量が増え「多尿」になるので、隠れた疾患がないか調べる必要もあるでしょう。

3-2.泌尿器疾患:泌尿器に関係する疾患

トイレの写真

つぎに「泌尿器疾患」です。前立腺肥大や前立腺炎、過活動膀胱、膀胱炎といった疾患では、尿意が増して頻尿になります。このような泌尿器疾患は、治療法が確立しているので安心してください。しっかり治療すれば、頻尿改善し生活の質が上がることも証明されています。

また、加齢などによって膀胱に溜められる尿量が少なくなる「膀胱容量低下」が起こり、頻尿になることも知られています。泌尿器疾患や泌尿器の異常がないかを調べるために、まずは泌尿器科の専門医を受診してみましょう。

3-3.睡眠障害:睡眠に何らかの問題がある状態

寝る男性

最後に「睡眠障害」も夜間頻尿の原因になります。

入眠障害や中途覚醒などで、ベッドに入っても眠れない場合は不安感が出現します。この不安感により膀胱に尿が溜まっていなくても、尿意を感じてトイレに行かなければという衝動が湧いてくることがあるのです。

このような場合は、睡眠導入剤を使用したり、生活リズムを整えて睡眠を深くしたりすることで就寝後にトイレに起きることは少なくなっていきます。また、ムズムズ脚症候群などの睡眠障害や、前述した睡眠時無呼吸がある場合も夜間頻尿になることが分かっています。

適切な治療をすれば、夜間頻尿は改善し、十分な睡眠もとれるようになるので、専門医に相談してみましょう。

「夜間頻尿があるから睡眠が十分にとれない」「睡眠障害があるから夜間頻尿になってしまう」原因はどちらが先とは言えない場合もあります。「睡眠障害」は夜間頻尿の原因でもあり、結果でもあると言えるのです。頻尿も睡眠障害も生活の質を落とすことには変わりありません。

しっかり検査して治療を行うことで、悩んでいた頻尿と睡眠障害が同時に改善する可能性があります。ちょっと気になると違和感を覚えたら、迷わず病院へ行きましょう。

4.夜間頻尿は性別によって原因が異なる

トイレの写真

夜間頻尿の原因は前述したように大きく3つあります。

しかし、これらは全員同じ条件で当てはまるわけではありません。夜間頻尿になる人がいれば、ならない人もいるように、差が生まれるのです。性別でも差があり、夜間頻尿は性別によっても原因が変わってきます。女性と男性ではどう違うのか解説していきますね。

4-1.女性特有の原因:過活動膀胱

尿意のある写真

夜間頻尿の原因のひとつである、過活動膀胱は、女性に多いことが知られています。尿意切迫感(急に尿意を感じ我慢出来なくなり、時に失禁してしまう状態)が特徴です。

女性の特徴として、尿道が短いことから膀胱炎を起こしやすいというものがあります。特に長時間トイレに行くことが出来ない仕事をしている女性は、慢性的な膀胱炎によって膀胱不快感や尿意を強く感じ、頻尿に悩まされていることもあるのです。

また、出産や加齢の影響により骨盤底の筋肉や靱帯が弱くなり、膀胱、子宮、直腸といった臓器が下がってくる「骨盤臓器脱」という病気があります。膀胱が下がってくることで、違和感を感じ頻尿になることや、時に尿失禁を起こすことがあるということです。

4-2.男性特有の原因:前立腺肥大

男性と便器の写真

男性特有の原因としては前立腺肥大症があります。前立腺肥大症は中年以降の男性に多く、尿道のつけ根(膀胱の出口)にある前立腺が肥大して、排尿がしにくくなり残尿を感じやすくなるというものです。

尿意の感覚に敏感になり、頻繁にトイレに行くようになります。実際に「トイレに行く回数が増えたな」感じたことがある方も多いでしょう。また、排尿が困難になると膀胱の容積の減少が加わり、夜間頻尿が多くなることがあります。時に、前立腺がんのこともありますので、血液検査でPSAを測定するなど、早めの診断を心がけ、気をつけなければなりません。

5.50代を越えると夜間頻尿は増える

トイレの写真

本間先生の報告(2006)によると、男性で夜間に1回以上排尿する割合は以下のようになっています。

年代別の排尿割合の表

年齢とともに、夜間頻尿の頻度も上昇し、実に70代では約9割の方が一度はトイレに起きているのが現状です。

夜間にトイレに起きるということは、多少なりとも睡眠への影響があると考えらます。そのため、高齢者の睡眠を考える上でも、夜間頻尿は切り離しては考えられない切実な問題です。

50代になると半数以上の方が夜間に1回以上トイレに起きることになるので、50代からは特に注意が必要。

適切な検査により原因が分かれば、しっかり治療できます。治療された多くの方が、「早く病院に行っておけば良かった」と言われることが多いです。「なんか最近、良くトイレに起きるな」と感じたら、すぐにでも一度専門医に相談することをおすすめします。

6.夜間頻尿の対処法はどうすればいい?

トイレのマーク写真

まずは、頻尿のタイプを知るためにも、排尿日記(排尿記録)をすることをおすすめします。

具体的には、トイレ(排尿)の回数やタイミング(時刻)を昼間、夜間別に記録してみましょう。できれば、尿量も測定しておくと分かりやすいです。強い尿意や尿失禁などの症状がある場合は、症状があったことを記録します。

また、飲み物の種類や量も記録しておきましょう。

排尿記録は「尿量が多くなっている」のか「膀胱の容量が小さくなっている」のかなど、原因を知る上で大切な情報になります。受診をする場合は、記録表を医師に見せるとより精度が上がるでしょう。

夜間の睡眠についても、就寝時刻、起床時刻、自覚的な睡眠の深さを一緒に記録しておくと、睡眠障害と夜間頻尿の関係性も分かります。

排尿記録は、やってみると意外に簡単で、自分の排尿パターンを客観的に確認することが可能です。1週間記録することが推奨されていますが、数日でも排尿のパターンが分かってくるので、まずは記録をすることから始めましょう。

6-1.自分で出来るトレーニングで頻尿を改善する

トイレの写真

頻尿を改善するために、自分で出来るトレーニングとして、膀胱訓練や骨盤底筋体操があります。

膀胱訓練はトイレに行きたくなっても、少しだけ我慢することで膀胱に溜める、尿の量を増やしていく訓練です。我慢する時間は、5分から始めて、少しずつ時間を延ばしていきましょう。

骨盤底筋体操は尿道・肛門・腟をギュ〜と締めたり、緩めたりすることで、骨盤底の筋肉を鍛えます。尿道・肛門・腟を、ゆっくり、ギュ〜っと締め、少し止めてから、ゆっくり緩めます。これを2~3回くり返すだけです。

まずは横になって、仰向けになり、足を立てる姿勢でやってみてください。慣れてくると、日常生活の中で、立っていても、少しの時間で出来るようになります。

6-2.睡眠前の水分は摂り過ぎないようにする

水の写真

睡眠前に水分を摂り過ぎているために、夜間頻尿になっている場合もあります。睡眠中は汗をかき、脱水になるため、水分補給をして寝ようと考える方も多いようです。その場合は、コップ1杯程度にして寝る直前ではなく、1時間程度前までに何度かに分けて水分補給をしておきましょう。

ただの水(電解質の入っていない真水)は、尿になるまでの時間が短いので、電解質の入ったスポーツドリンクをおすすめします。電解質入りのスポーツドリンクは、睡眠中の足の痙攣(足が攣る症状)を予防する効果があるほか、水を体内に止める効果があるため、肌の潤いやハリを保つ効果もあります。

寝る前のアルコールやカフェインは、睡眠を浅くしてしまうだけでなく、利尿効果(おしっこを出やすくする効果)もあるため、睡眠にはよくありません。

まとめ:夜間頻尿との付き合い方を見極めよう!

広いトイレの写真

夜間頻尿(何度もおしっこに行くこと)で睡眠に影響が出ている方は多く、特に年齢を重ねていくと、ほとんどの方が経験する症状と言ってもいいでしょう。その原因は、膀胱などの泌尿器が問題のこともありますし、睡眠障害が原因となっていることも考えられます。

いずれにしても、睡眠に影響が出てしまい、疲労の回復が妨げられ睡眠負債がたまり、脳や体に影響が出てしまいます。以下の症状に心当たりのある方は、一度、専門医に相談して検査を受けてみてください。治療してみると、意外とすっきり治って、夜もぐっすり寝れるようになりますよ。

  • 夜間2回以上トイレに起きることがありますか?
  • 急にトイレに行きたくなったり、尿を漏らしてしまうことはありませんか?
  • 尿をした後に、尿が残っている感じや、すぐにトイレに行きたくなることはありますか?
  • 夜間、寝付けずに、不安になって何度もトイレに行くことはありませんか?
  • 夜間のトイレの回数が多い方で、いびきをかいたり、呼吸が止まっていると言われたことはありませんか?
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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...