ベッドで起き上がる女性

眠れない夜が増える原因と減らすためにとるべき行動3つ

睡眠コラム

眠れない夜が増える原因と減らすためにとるべき行動3つ

#不眠

「今日はなぜか眠れない」 「明日は朝が早いから早く寝なきゃいけないのに眠れない」 そんな経験ありませんか? 寝たいのに寝れないのってなんだかモヤモヤしますよね。しかし、少し生活習慣を改善したり工夫することで不眠を改善できるかもしれません。 今回は眠れない夜の過ごし方や眠れない夜にしてはいけないことをご紹介していきます。 この記事を読めば、今よりもしっかりと眠れるようになりますよ!

1.眠れない夜があるという人は意外と多い

睡眠障害やストレス・日々の生活により、日本の成人の5人に1人は眠れない夜があることに悩んでいるという事実を知っているでしょうか?※1 このことは意外に知られていません。

某寝具メーカーが、2019年に全国の18歳から79歳の男女1万人を対象に調査をした記録があります。 その結果、約半数が不眠症の疑いがあるという結果になりました。また、各年代別に比較してみると、30代の次に20代という順に不眠症の疑いが高いという結果に。

なぜ、若年層でも不眠で悩むの人が多いのか、眠れない原因は一体何なのか。ご紹介していきますね。

2.眠れない原因は一体何?

考える女性

不眠で悩む日本人は年々、増えています。上記でも述べたように、高齢者だけでなく若年層でも増えてきていますね。その理由として、ライフスタイルの多様化も関係しているのかもしれません。

24時間社会といわれるように、今はいつでもなにかをしようと思えばできてしまいます。その分、生活リズムも崩れやすいでしょう。 時間外勤務による生活リズムの乱れも睡眠には悪影響を与えることがあります。 また、スマートフォンの普及に伴い動画を長時間見てしまったり、ついつい友人と夜遅くまで連絡をとってしまったり。 便利な反面なかなか自分で使う時間をコントロールするのは難しいですよね。

「携帯電話の使用をしながらテストや課題をする」「携帯電話を見ているといつの間にか朝になっていた」ということは学生にはよく起こることかもしれません。

2-1.日常生活での心理的ストレス

資料の写真

日常生活での心理的なストレスが原因で、眠れなくなることもあります。悩みやイライラ、緊張などの心理的ストレスが睡眠に影響を与えることはよく起こることです。

例えば、明日大切な会議の発表を控えているとします。ベッドに入っても当然いろいろ考えてしまってなかなか寝られないかもしれません。 何か精神的に負担になることがあり、寝られなかったという日が1日あっただけでも当然心配になるでしょう。 しかし、しばらくしてまた寝られるようになったのであれば、そこまで心配になる必要はないと考えます。

このような対策としてなるべく寝る直前は頭を使わないようにすることがおすすめ。当然何も考えるなと言われても難しいですよね。 そういう場合には、なにか単調に読める本を読むことをおすすめします。 例えば先が気になりすぎるような本は向いてないですね。言い方は悪いかもしれませんが、ちょっと難しくて退屈な本がいいかもしれません。

2-2.アルコールやカフェインの摂りすぎ

晩ご飯時や晩ご飯の後に、アルコールやカフェインを摂取する人は多いです。アルコールやカフェインの過剰摂取が原因で夜眠れなくなり、それが慢性的に続き不眠が持続しているケースは少なくありません。 カフェインとは、メチルキサンチン類に分類され、アデノシン受容体のブロックを介して、中枢神経系や末梢神経系に作用します。※1 カフェインは交感神経に作用するので覚醒作用に影響が出ます。

また、一方で利尿作用もあります。この2つの働きにより睡眠障害になってしまうことも多いです。 覚醒作用により寝つきが悪くなったり、眠りが浅くなったりする可能性があるので注意してくださいね。 眠りが浅いとすぐに起きてしまい、もう一度寝ようとしても寝られなくなるということもあるでしょう。

「アルコールを飲むと眠くなる」と考えている人は多いのではないでしょうか。 確かにアルコールには人を眠くする効果があります。だからといって沢山飲んでいいというわけではありません。 長時間だらだら飲んで寝るということはおおすすめめできませんが、一口飲んで目を閉じて寝る分にはよい睡眠の手助けをすると考えられます。

2-3.スマートフォンやテレビと睡眠

ベッドでスマホをいじる女性

皆さんは1日にどれくらいスマホを使っていますか? 仕事でのメールのやりとり・友達や恋人とのSNSでスマホを離せなくなっている人は少なくはないでしょう。 しかし、スマホは不眠症を引き起こす大きな原因のひとつです。

若者の不眠症の原因の一つが「寝る前の携帯電話の使用」ということは前述した通りですが、スマホを寝る前に見る習慣も、健康や睡眠に大きな影響を与えることがあります。 なぜ、スマホで不眠症になってしまうのか、どのような影響を及ぼすのかを説明していきますね。

スマホなどの画面からの光刺激が眠れなくなる原因とも言われています。しかし、何よりも「なんてメール返そうかな」「まだ返事来ないな」などと、色々考えてしまうことが睡眠に悪影響を与えていると考えます。 人とコミュニケーションをとることは脳を覚醒させる効果があるのです。

例えば、大部屋で大人数で受ける授業、会議では人の話を聞くばかりになってしまい、眠たくなってしまう。そういう経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。 一方で1対1のミーティング、または自分が発表者側の時に眠たくなる人はほとんどいないでしょう。それぐらい人と会話することは脳を活性化させ覚醒を促します。

スマホでのSNSやメールも会話のひとつです。仲のいい友達とついついベッドの中でも連絡を取り合ってしまうということはよくあると思います。しかし、その時あなたは頭を使って色々考えてしまって、睡眠前には逆効果のことをしてしまっているのかもしれません。

3.眠れない夜のおすすめ過ごし方

夜中のベッドの写真

夜眠れないことで悩んでいる人は工夫をしていても、寝れない人は数多くいます。 また、寝よう寝ようと思っていると余計に眠れなかったりしていませんか? そんな眠れない人の為に、「眠れない夜におすすめの過ごし方」を紹介します。

今から紹介することを習慣付けると不眠症を防げたり・生活習慣が良くなったり・朝の目覚めが良かったり・朝、疲れが取れていたりしますので参考にしてくださいね。

3-1.音楽や香りでリラックスする

寝てる女性の写真

寝る前の音楽鑑賞やリラックス効果のある香りは睡眠にいい影響を与えます。音楽鑑賞は寝る前にリラックスできる手段のひとつです。自分が好きすぎる曲だと逆に聞き入ってしまう可能性あるので、クラシック音楽はおすすめのひとつでしょう。

しかし、当然すべてのクラシック音楽が落ち着いた気分にしてくれるわけではありません。近年では眠りに注目したCDなどもあるので試していただければと思います。 香りの好みは人それぞれですが、ラベンダーの香りはリラックス効果が期待できるとされています。

近年では様々なリラックス効果が期待できる香りが登場していますね。色々自分に合うものを探してみることもおすすめです。ただ、音楽も香りも個人差は大きいもの。一度試してもらって自分の中で「昨日すぐ寝られたな」とか「今日朝すっきりしているな」と感じられたのであればその感覚を大切にしましょう。

3-2.眠りに良い食べ物・飲み物

水を注いでる写真

なかなか、寝付けない人・夜中に目が覚めてしまう人は寝る前に睡眠の質を良くする飲み物、食べ物を試してはいかがでしょうか。寝る前に飲んですぐに寝れる飲み物はありませんが、睡眠の質や深い眠りにつなげる飲み物はあります。

カモミールティーなどは代表的な飲み物です。確かに正確に検証されたものではありません。しかし、何百年前から存在し未だに効果があると言われ続けているので試してみる価値はあると思います。

また、眠りを促し体内リズムを整えるメラトニンはトリプトファンという物質から作られることが分かっています。そのため、トリプトファンを含む魚や肉、大豆食品を食べることもおすすめです。

3-3.快眠のツボを刺激

人体に無数に存在するとされているツボは、東洋医学では「経穴(けいけつ)」と呼ばれ、五臓六腑の異常が滞るところとして、刺激すると、気と血の循環が良くなると言われています。

ツボにはそれぞれ対応した内臓や器官があり、ツボを押すことでそれに対応した体の場所に刺激が伝わるため、快眠のツボを刺激すると、不眠の原因となっている不調が緩和されます。

一般的に、不眠によいと言われているツボは「労宮(ろうきゅう)」と「失眠(しつみん)」です。

手を軽く握った時に、手を軽く握った時、人差し指と中指の先端の中間あたりの手のひらにある「労宮」は、やや強めに押しましょう。「労宮」は精神機能を司っているので、全身の緊張が緩み、ゆったりとした気分になると言われています。

足裏のかかとの中央にある「失眠」は、押すだけでなく、お灸や、湯たんぽなどで温めて刺激を加えるのもオススメです。「失眠」は、軽度な悩みによる不眠に効果的と言われています。

不眠対策のためには、眠る30分~1時間前に、照明を暗くし、深呼吸しながら行いましょう。息を細く長く吐きながらツボを押し、ゆっくり息を吸いながら圧迫を緩めてください。それぞれ、10回程度繰り返します。 快眠には脳をリラックスさせる必要があるので、ツボの正確な場所にこだわりすぎず、軽く押して気持ちよい所を優しく刺激してください。

よく眠るには起床後の行動も重要!

良い睡眠を得るためには日中の覚醒を高めることも効果的です。朝食を食べるということは覚醒に重要なことになります。朝食には体温を上げ、1日のリズムを整えて活動を始めるためのエネルギー補給の役割があるのは知っている人も多いでしょう。

汁物は体温を上げてくれるのでより効果を期待できる可能性があります。

また、「噛むこと」は一日のメリハリをつけることに効果的です。実際に噛むことが睡眠・行動パターンに影響するという報告もあります。噛むことは記憶にもいい効果があると言われるので意識してみてくださいね!

運動も当然日中の覚醒を促す効果的な手段です。 何も汗だくになるまで走ったりしなくてもいいと思います。程よく早足ウォーキング程度でも十分日中の覚醒に効果的と考えます。

まとめ:眠れない夜の過ごし方をマスターしよう

キャンドルの写真

眠れない夜も適切な過ごし方をすれば、眠れるようになります。 「ついつい眠れなくなるようなことをしてしまっていた。」そう思い当たる節がある方は多いでしょう。 そうであれば、次回から意識してみてくださいね。 最後に今回の記事をまとめておきます。

  • 眠れない原因はストレスやカフェイン摂取量などが関係する
  • 眠れない夜にやるべきことは「音楽や匂いでリラックス」「睡眠に効果的な食べ物、飲み物を試してみる」
  • 寝る前に頭を使ってしまう行動(スマホなど)を控えること
  • 就寝前だけでなく朝の覚醒も意識してみる

眠れない夜は誰にでもあります。寝よう寝ようとしてしまうと余計しんどくなってしまうでしょう。 そのような時はベッドでひたすら寝ようと頑張るのではなく、ベッドから出て、読書をして眠気がやってくることを待つのもひとつの手ですよ!

【参考文献】
※1 厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト
スタンフォード式 最高の睡眠(サンマーク出版)
睡眠障害 現代の国民病を科学の力で克服する(角川新書)
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情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

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「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...