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睡眠とカフェインはどう関係する?カフェイン摂取の上限とは?

睡眠コラム

睡眠とカフェインはどう関係する?カフェイン摂取の上限とは?

#食事

睡眠とカフェインが密接な関係にあることを知っている方は多いと思います。 その効果を利用して朝にコーヒーを飲んで眠気を取り除いたり、寝る前は、コーヒーを控え、温かいハーブティーなどを飲んでリラックスされている方も多いのではないでしょうか。

しかし、睡眠に対するカフェインの影響を知らず、毎日寝る前にコーヒーを飲み、慢性的な寝不足や、不眠症に悩まされている方も多いと言われています。 そんな悩みを解消するためにも、カフェインが身体にどのような影響を及ぼすかを知っていただくのが一番です。

今回は各飲み物のカフェイン含有量や就寝前のおすすめの飲み物なども併せてご紹介します。 これを機会にカフェインと睡眠の関係性を知り、良質な睡眠習慣を作りましょう!

1.睡眠前にカフェインを摂取するとなぜ眠れない?

入眠前にカフェインを含むお茶やコーヒーを摂取すると脳が覚醒し、寝つきが悪くなり、睡眠時間が短くなると、翌日の目覚めにも影響があることはよく知られています。 夜にお茶やコーヒーを摂取することは不眠や寝不足の原因になりかねません。

この眠気を阻害するメカニズムは興奮作用を引き起こすカフェインと睡眠物質であるアデノシンの関係が大きく影響しています。 通常アデノシンは覚醒物質であるヒスタミンを抑制し睡眠欲求を高めるもの。

しかし、視床下部の腹外側視索前野におけるアデノシン受容体をカフェインが阻害するため、覚醒物質であるヒスタミンが放出されやすくなり、脳が覚醒し寝つきが悪くなるのです。 睡眠を促すアデノシンは店を早く閉めたいオーナーで、寝る前のカフェインは閉店間際の面倒なお客さんです。 閉店準備は出来ているけどお客さんがいるから閉めることができないというわけですね。

1-1.カフェインを摂取すると覚醒効果が現れる

カフェインを摂取する写真

コーヒーの飲み過ぎや栄養ドリンクの過剰摂取で、カフェイン中毒になったという話を聞き、カフェインにネガティブな印象を持っている方も多いのではないでしょうか。

カフェインの効果・効能は人によって異なりますが、良い意味で脳の活動を活性化させたり、仮眠後に仕事のパフォーマンスを上げてくれる心強い味方でもあります。 これは、カフェインが眠気を抑制する強い覚醒効果を持っているからです。

「朝の目覚めに1杯コーヒーを 」とコーヒーを飲んで眠気を飛ばす習慣をもっている方も多いのではないでしょうか。これはまさしく覚醒効果の一つです。 コーヒーを飲むことを上手く日常に取り入れると多くの効果を与えてくれます。

特に覚醒作用を利用することで、注意力や集中力を高めるなど仕事に役立ちます。 その他の効果では、代謝や血行を促進することでダイエットや運動能力の向上により老廃物の排出作用業や新陳代謝が上がるなど様々です!

日々の健康な体作りのパートナーとしても力を発揮してくれるので、これを機会にカフェインを体の味方にしましょう。

1-2.実際にカフェインが睡眠にどう影響するのか

寝る前にコーヒーを飲むと眠れなくなるのは本当なのか? 仕事を終えてホッと一息しながらマグカップ1杯のコーヒーを飲むと睡眠に悪影響を与えるのかどうかを見つけるために、寝る前のカフェイン摂取を調べた実験があります。※1

実際にデトロイトのヘンリーフォード病院で複数の被験者を対象に行われた実験では、3つの異なるタイミング(寝る直前、寝る3時間前、寝る6時間前)でカフェインを摂取させたところ、寝つきや睡眠の深さに大きな影響を与えているという結果が現れたそうです。

この実験では、400mgという多量のカフェインが投与されていますので、実際の場面とは異なる状況ですが、寝る6時間前のカフェイン摂取でも睡眠に影響があったという結果が出ています。

つまり、就寝前にカフェインを含む飲料や食品を取ることは体に少なからずの悪影響を与え、睡眠サイクルが崩れ、寝不足や不眠症を引き起こすということです。

2.絶対に睡眠前にコーヒーを飲んではいけない?

コーヒーの写真 ここまでの内容でコーヒーにはカフェインが入っていて睡眠を阻害する効果があるので、寝る前には絶対に飲まない方が健康に良いと印象を得た方は多いのではないでしょうか。

しかし、コーヒーにはリラックス効果や睡眠のパフォーマンスを上げ、朝の目覚めをすっきりさせる効果もあるのです。

「いやいや、コーヒーを摂取するとカフェインによる興奮作用があるって言ってるじゃん!」と矛盾しているように思われるかもしれませんが、コーヒーの香りが脳に作用しα(アルファ)波を増やし、リラックス効果が得られることが研究により立証されています。※2

では、どうすれば良いのか? それはコーヒーを飲むのではなく、コーヒー豆をベッドルームに置き、香りを楽しむことが良いでしょう。こうすることにより疲労回復効果や筋肉疲労を和らげ、朝の目覚めをよくする効果が得られるのです。

2-1.タイミングによっては目覚めが良くなることも

横になっている女性

「短時間の昼寝や仮眠を取る前にお茶や缶コーヒーを1杯飲むと、目覚めがスッキリする」と聞いたことはありませんか?

その理由は、カフェインは摂取から約30分後に効果を発揮し、睡眠後の仕事のパフォーマンスに大切な注意力や集中力を向上させてくれるからです。

ランチ後に睡魔に襲われて仕事が捗らないときに「15〜20分の仮眠を取ってきたら?」と言われることもあると思います。 この時に、カフェインを含む飲料を摂取した後に仮眠を取ることで、寝起きのタイミングに覚醒効果が現れ、だるさや眠気などを取り除くことができます。

午後の仕事で集中力を取り戻して生産性を上げるためにも、カフェイン摂取と昼寝を合わせて行ってみてくださいね。

2-2.カフェインを摂るタイミングに注意しよう

どのタイミングでカフェインを含む飲料を摂取するかで、その日のパフォーマンスと睡眠への影響が変わってきます。

睡眠で、頭や身体の疲れをどれだけ回復できるかは、深い睡眠を取れるかどうかにかかっていると言っても過言ではないでしょう。 深い睡眠をとるためには、寝る前の習慣を意識的に変えることが必要なのです。

カフェインの影響力は5〜8時間、完全に体からなくなるのは数日かかると言われることがあります。 朝や昼間にコーヒーなどでカフェインを摂ることは、脳を覚醒し、能率を上げるなどの効果があるので、完全なノンカフェイン生活にするよりも、カフェインを摂るタイミングを調節し、上手く利用することが大切ですね。

カフェインの半減期は4時間とされているので、最低でも就寝4時間前からコーヒーなどのカフェインを含んだ飲み物を摂取しないことが睡眠の質を上げるために重要です。

睡眠時間は人それぞれですが、コーヒーやお茶、チョコレートなど、「カフェインを摂取する時間に門限を設ける」という方法があります。例えば、夕方の6時を門限にして、それまでならコーヒーやお茶、チョコレートなどを摂ってよしとするのです。

夕方以降のカフェインをやめるだけで睡眠の質は変わります。

「夜中に目覚めることがなくなり不眠症が改善した」など、夜のカフェイン摂取をやめただけで、大きな効果があった方も多いです。

3.カフェインを摂る適切なタイミングと量は?

月の写真

カフェインの摂取は、体内リズムや日々の生活に大きな影響を与えます。適切なタイミングでどれくらいの量を摂れば、日中のパフォーマンスを上げ、安らかな眠りを取れるかを知ることは大きなアドバンテージです。

カフェインには、眠気を醒ます、疲労感をとるなど良い効果があり、コーヒーやお茶のほか、エナジードリンクをはじめとした栄養ドリンクにも多く含まれています。 コーヒー1杯のカフェイン量は100~120mg。カフェインの最大摂取量の目安は1日300~400mgと言われています。

1日に飲めるコーヒーは2〜3杯程度なので、タイミングとしては朝1杯、昼1杯程度が適切でしょう。 過剰摂取によるカフェイン中毒や依存症、胃腸障害などにより体の不調をきたしてしまうことを忘れてはなりません。

まずは身体にもたらす影響や弊害を理解した上で適切なタイミングと量をご理解ください。

3-1.夜寝る4時間前は絶対にカフェインを摂らない

ベッドとライト

カフェインの半減期は約4時間とされ、摂取してから5〜8時間は体内に内在し効果が続くため、8時間前にコーヒーの門限を設定するのが理想です。

例えば、夜の22時にいつも寝ている方はコーヒーやエナジードリンクを飲むのを午後2時までとするだけで眠りの質は高まります。

しかし、どうしても寝る前にお茶を飲んで身体を温めて眠りつきたい方は、カフェインの入っていないコーヒー(デカフェ)やノンカフェインのハーブティーなどをとると良いでしょう。 ノンカフェインのルイボスティーなどもおすすめです。

また、年齢や体型などにより感受性が高い方や高齢者のように睡眠が浅くなりがちな方は極力夕方以降のカフェイン摂取は控えましょう。

3-2.カフェインの摂取量は1日400mg以下を目安に

1日あたりのカフェインの目安は1日300~400mgと前述でもお伝えしました。カフェインを含む飲料はコーヒーだけでなく、お茶やレッドブルなどのエナジードリンクで含有量が異なります。

最近ではノンカフェイン飲料などもコンビニやスーパーで販売されています。「でも個人差があるし、男女や妊婦、子供では異なる目安があるのでは?」

基本的にカフェインの摂取許容量の基準以下なら毎日摂取しても問題ありませんが、男性の目安は400mg、生理に影響を及ぼすこともあり女性は300mgが許容量とされています。※3

  • 男性:400mg
  • 女性:300mg
  • 妊婦:200mg

基本的にはマグカップ1杯(150~200ml)のコーヒーには、100〜120mg前後含まれているので、1日あたり1〜2杯が適量です。最近ではカフェインにアレルギー反応を示す方がいることも知られていますので、カフェインを含む飲み物を飲んで、体の不調を感じたらカフェインを摂ることをやめて、体調が良くなるか観察してみましょう。

4.実際に飲み物に含まれているカフェインはどのくらい?

コーヒーの写真

一般的に「カフェイン」と耳にするとコーヒーを想像するかもしれません。 実際には烏龍茶、ココアなどをはじめ、緑茶、紅茶、食べ物ならチョコレートにカフェインが含まれます。

最近ではカフェイン濃度が強いエナジードリンクが売られる一方、ノンカフェインのお茶などのペットボトル商品なども多くのコンビニなどで販売され、消費者の選択肢も豊富。各飲み物の種類で含有量が異なりますので、実際にどの飲料にどれくらいのカフェインが含まれているかを確認していきましょう。

【主なカフェイン含有量とおおよそのカフェイン濃度】※4

飲料名 カフェイン濃度
コーヒー 60mg/100ml
インスタントコーヒー 57mg/100ml
烏龍茶 20mg/100/ml
紅茶 30mg/100ml
玉露 160mg/100ml
せん茶 20mg/100ml
エナジードリンク 36~150mg/本

身近な飲み物の中でコーヒーが最も多くのカフェインを含んでいますが、エナジードリンクや缶コーヒーは種類によっては含有量が多いものがあるので注意しましょう。

最近では「カテキン緑茶や濃い緑茶」などペットボトルのお茶も通常のものから濃い味など種類も豊富です。 カフェイン量も表示されているので、コンビニやスーパーで購入する時に、カフェイン量を意識した上で購入するのをおすすめします。

5.睡眠前におすすめの飲みもの

星空

睡眠前にカフェインを多く含むコーヒーなどを飲みことはおすすめできません。しかし、「睡眠前に身体を温めて入眠したいんだけど、睡眠の質を改善できるおすすめの飲み物はないのかな」と知りたい方もいるはずです。

入眠前はミルクを温め、ホットミルクにしたり、ノンカフェインのハーブティーやルイボスティーなどがあるので紹介しますね。 【おすすめのドリンクと効果】

  • ハーブティー:香りによる癒しと鎮静
  • 生姜湯:身体を体内から温め、生理痛の鎮静など
  • 白湯(さゆ):リラックス効果
  • ホットミルク:自律神経を整え快眠
  • 豆乳:美肌効果と疲労回復効果

NGドリンクはコーヒーや紅茶、栄養ドリンク。覚醒作用が強いので避けましょう。睡眠1時間前を目安に身体を体内から整えてくれる生姜湯やホットミルクを時間をかけてゆっくり飲むことを心がけましょう。

これは、「睡眠儀式」とも言われ、寝る前に暖かい飲み物をゆっくり飲むという、生活習慣が、良い睡眠に導いてくれるのです。

さらにスローなストレッチなどをして、身体をほぐして寝ることで筋肉もほぐれ、安眠効果と疲労回復が促進されることも期待できます。

まとめ:カフェインの作用を知って睡眠・覚醒のリズムを作ろう

コーヒーのイメージ

睡眠とカフェインが密接に関係していることをご理解頂けたでしょうか。 日々、普通に飲んでいる目覚めのコーヒーがなぜ良いのかも分かりましたね!

夜寝付けない、朝起きるのが辛いといった症状のある方は、入眠前の飲み物の習慣に原因があったのかもしれません。ぜひ見直してみてください。 今回のポイント

  • カフェインの覚醒効果を仮眠や昼寝で活用できる
  • カフェインを摂取する門限を決める(コーヒーは午後62時までなど)
  • 1日の目安は300~400mgまで(コーヒー2杯まで)
  • 寝る4時間前は極力摂取しない
  • 入眠前はホットミルクやルイボスティーを飲む

カフェインは適切なタイミングで取ることで仕事に好影響を与えてくれたり、運動やダイエットの手助けとなりメリットも多い成分です。しかし、摂取方法を間違えると健康に大きな影響を与えかねないのがカフェインでもあります。

日常で簡単に手にすることできるカフェインの作用を理解して、より良い生活リズムを作って、日々のライフスタイルに好影響を与える睡眠習慣を作ってみてはいかがでしょうか。

【参考文献】

※1 Caffeine Effects on Sleep Taken 0, 3, or 6 Hours before Going to Bed
※2 香りから生まれる、 「癒し」と「集中力」。
※3 【2020年】生理中の食事はなにがいい?生理痛(PMS)対策になる食べ物・飲み物を解説
※4 食品安全委員会

 

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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

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夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...