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【2020年最新】リズム障害の治し方を大公開!

睡眠コラム

【2020年最新】リズム障害の治し方を大公開!

#睡眠時間

大人になると、ついつい夜更かししてしまう機会が増えていきます。しかし、時間に制限の無い生活をしていると、少しずつ生活リズムが崩れる原因に。それが概日リズム睡眠障害(以降リズム障害とする)です。

特に、夜寝る時間が後ろにずれて、夜更かし朝寝坊になる場合は、睡眠相後退症候群と言われます。

昼夜逆転は、夜間に寝ることが出来ず、昼間に寝るように完全に夜と昼の行動が逆になった睡眠障害で本来は稀なケース。ただ、今回は分かりやすいように昼夜逆転という言葉も使わせて頂きます。

「昼夜逆転を治したい」そう思っても、なかなかすぐにはできませんよね。

そこで、今回は昼夜逆転の治し方やメリットとデメリットについて解説していきます。この記事を読めば、昼夜逆転になっているあなたも上手く治すことができますよ!

1.昼夜逆転は本当にデメリットばかりで治すべき?

日本には、夜勤や時差の影響で夜間に働き、昼夜逆転の生活をしている方が沢山います。

そんな方の中には、「このまま昼夜逆転生活を続けていても大丈夫なのか?」と不安を感じている方もいるかもしれません。

その昼夜逆転生活が与える影響にはどのようなものがあるのでしょうか?

まずは昼夜逆転生活のデメリットとメリットを見比べて、昼夜逆転の影響を知っていきましょう。

1-1.昼夜逆転生活のデメリット

夜に仕事などの活動をすることで、生体リズムが乱れ、健康への影響があることが知られています。まさしくリズム障害というわけです。

主な健康影響として、以下が挙げられます。

  • 睡眠障害
  • 胃腸障害
  • 高血圧、高脂血症などの生活習慣病
  • 心筋梗塞・脳卒中のリスク
  • 一部の癌(乳がん、前立腺がん)の発症リスク

油断をすると誰しも夜更かしをして、夜遅くに寝て、朝は起きづらく遅くまで寝ているという生活をしてしまいがちです。また、仕事で夜に働き、朝仕事を終えてから、昼間に睡眠をとるという人もいます。

しかし、朝方に明るくなってから寝ると、深部体温やホルモンの分泌は、昼間に活動するための準備を始めますので、しっかり睡眠時間をとっても深い睡眠は取れません。ひどい場合は、睡眠障害や胃腸障害、慢性的な頭痛や肩こりなどに悩まされ続けることも。

人間は、夜間にホルモンが活性化して、細胞の修復を行う性質があります。その夜間に起きていると、細胞の修復が十分に行われません。そのため、肌や髪など細胞が修復されず、ダメージがどんどん蓄積していきます。

その結果、老化が進み、見た目も印象が悪くなっていくのがデメリットです。

他にもデメリットはあり、ある意味一番のデメリットとなるのが、家族や友人と予定が合わなくなること。世の中の大半の人は、昼間活動して夜間に眠るサイクルで生活しています。

昼夜逆転してしまうことで、連絡できる時間帯や遊びに行く時間帯がズレて、周囲から孤立しやすくなります。

デメリットは挙げればキリがありませんが、昼夜逆転生活にメリットはあるのでしょうか。

1-2.昼夜逆転生活のメリット

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夜、睡眠をとらずに活動するメリットとは何でしょうか?

工場などでは、24時間連続操業といって、休むことなく生産を続けることで、生産量を増やすことが出来ます。

また、病院などの医療や電力の保全監視業務、ホテルなどの宿泊業では、夜間も必然的に働く必要が出てきます。24時間営業のコンビニエンスストアなどもそうですね。

現在では、日中の工事現場などは非常に暑い環境で、熱中症にかかるリスクも大きくなっているため、夜間の建設作業も増えてきています。

このように仕事によって、夜間活動する必要がある方がいる一方で自堕落な生活で夜更かしをして、生活リズムが乱れ、リズム障害になっている人々も多くいます。 こういった人々は、リズム障害になると涼しい夜に活動をして、この一番暑い時にクーラーの効いた部屋で寝ることが出来るのがメリットだというかもしれません。

しかし、昼間の睡眠は、深い睡眠がとれず、慢性的な睡眠障害になりかねません。自ら生体リズムを乱して、健康に悪い生活をしていることに気づく必要があります。

また、夜間はSNSなどの投稿が増えるので、ネットで交流をしたい方には夜のネット活動はメリットに感じるかもしれません。リアルタイムで会話ができるオンラインゲームなどでも、夜間に活発に行なわれているという現実があるようです。

夜間は頭が冴えているように感じて、活発に行動をする人もいますが、これはリズム障害という生体リズムがずれる病気になっている可能性があるので要注意ですね。リズム障害の場合、朝起きることが出来ず、普通の社会生活を送ることが困難になってきます。

やはり夜更かしや昼夜逆転生活のメリットはデメリットに比べると少なく、昼に活動して、夜に眠るという生活リズムを作っていくことが大切です。体にとって、デメリットの大きい、生体リズムの乱れを、多くの人は治したいと思っていますよね。どうしたら治すことができるのか見ていきましょう!

2.リズム障害の治し方5選

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夜型の生活に慣れてしまうと、朝方寝て昼過ぎに起きるいわゆる「昼夜逆転」の生活になることも珍しくありません。「中高生の頃からずっと夜型で、何度治そうと思っても無理だった」と悩んでいる人もいることでしょう。特に、中高生などの若者ほどリズムがずれやすく、夜更かし、朝寝坊の生活になりやすいことが知られています。

そこで今回は、リズム障害と昼夜逆転の治し方を5つご紹介します。

2-1昼に頑張って起きていて、夜しっかり寝る

人は、深く眠ることができる時間帯がある程度決まっています。これは、深部体温が低下する夜の12時頃から朝方の5時頃までです。

昼間に眠ろうとしても、睡眠が浅くなるのは当然のこと。

また、後ほど詳しく解説しますが、人間には生活リズムを司る「体内時計」という機能が備わっています。昼間に長時間眠る生活を続けると体内時計がズレて、昼夜逆転になってしまい、夜に眠れなくなってしまうのです。

昼夜逆転の生活をしている人は、体内時計のズレにより、夜に覚醒し、昼に眠りに入るリズムに変わっているので、日中活動をしようとすると、眠気を催しやすくなっています。

しかも、昼間に眠ようとしても外部環境は光や騒音が多く、気温も高くなるため、睡眠が妨害され、深く長く寝ることができません。

この昼夜逆転のリズムを改善するためには、昼は眠くても短時間の仮眠だけにして頑張って活動し、夜にまとめて寝るように心がけましょう。そうすれば、自然と疲労もたまって夜に眠くなります。

ただし、1日だけでは効果がありません。体内時計が調整されて生活リズムが変わるまで3週間程度かかります。そのため、3週間はきつい生活が続きますが、徐々に良い生活リズムが出来てきます。どうしても眠くてたまらないという場合は、15分以内の昼寝がおすすめです。

2-2.昼間に予定を入れて積極的に活動する

青空と女性の写真 適度な運動は良質な睡眠に欠かせません。昼夜逆転の生活をしている人は、昼間に起きていても布団の中でゴロゴロしていることが多いでしょう。

これでは、運動不足になり、夜に眠気がおきにくくなります。昼間に努めて用事を入れ、外出することを心がけてください。そうすれば、身体が心地よく疲労し、夜に眠りやすくなりますよ!

用事が見つからないという場合は、30分程度のウォーキングや、室内でできる体操、筋トレなどの軽い運動もおすすめです。

2-3.朝日を浴びて体内時計を戻す

昼夜逆転の生活を送っている人は、「体内時計」がずれて、昼間に眠ることがすでに習慣となっています。

人には約24時間周期で生体のリズムを刻む「体内時計」が備わっています。体内時計は毎朝、朝日を浴びることでリセットされる仕組みがあります。

しかし、昼夜逆転の生活を送っていると「朝日を浴びてリセット」ができにくくなります。その結果、体内時計がズレていき、睡眠が深く取れるはずの夜に眠れず、目がさえやすくなるのです。

昼夜逆転の生活を治すには、体内時計を戻さなければなりません。

そのために、きつくても、まず朝日が浴びられる時刻に一度起きること、そしてカーテンを開けて朝日を浴びることを習慣づけましょう。

睡眠ホルモンと呼ばれる「メラトニン」の分泌は、光を浴びてからおおよそ14時間後に分泌が始まります。朝日を浴びれば、夜にメラトニンの分泌が最大になり、自然な眠気が訪れるでしょう。朝日を浴びることで、夜にしっかりと「メラトニン」が分泌され、良い睡眠が取れるようになるのです。

メラトニンには、生体リズムを整える役割もあり、リズム障害の患者さんの治療にも使われます。光照射やメラトニンの作用を促す内服薬を使った専門治療もありますので、昼夜逆転が直らず、生活に支障をきたしている場合は、専門医に相談してみても良いでしょう。

2-4.夜の光は少し抑えて暖かい調光で

寝室の写真 私たちは夜も照明をはじめとする人工的な明かりの下で生活しているため、脳が「今は昼間だ」と勘違いしやすい状態になっています。特に、LED照明に含まれるブルーライトは生体リズムに影響が大きいので、夜に明るく強い光を浴びるとメラトニンの分泌が抑えられ、自然な睡眠導入ができなくなるのです。

昼夜逆転の生活を治したい場合は、夜は少し暗めの、暖色照明にして生活し、寝る態勢を整えることが重要になります。

心地よく良質な睡眠を取るためには、適度に空腹で体温や血圧がやや低めであることが理想的。夜間に、重い食事をしないことも大切です。

また、しっかり入浴することも効果的ですが、ベッドに入る1時間前までには済ませましょう。 コーヒー、紅茶、緑茶などは覚醒作用があるカフェインが含まれているので、朝はしっかりと覚醒するために積極的にカフェインを摂り、夕方以降は飲まないように心がけてくださいね。

お酒は眠くなると思われがちですが、睡眠を浅くする効果があるため、睡眠の質が悪くなります。生活リズムを整え、リズム障害を元に戻している間は、できるだけ飲酒しないように心がけましょう。

眠れないからといって、ベッドの中でスマホや携帯ゲーム機をいじるのはNG。スマホや携帯ゲーム機の光には朝日によく似た「ブルーライト」が多く含まれています。眠れない場合は、やや暗くした部屋で、軽いストレッチなどをベッドの上で行い、眠りを誘う静かな音楽を流すなどするのがおすすめです。

2-5.週末の寝過ぎは避ける

自由に時間が使える休日くらい、いつまでも寝ていたいものです。しかし、週末に長く寝ることは、体内時計がズレる原因になります。

平日5日かけて朝起きて夜眠る生活を続けても、週末に昼夜逆転をしてしまえば、体内時計はまた昼に眠くなるように調整されてしまうのです。これでは、いつまでたっても生活を昼型に改めることはできません。休日もできるだけ平日と同じ生活リズムを守りましょう。

どうしても朝長く寝たい場合、睡眠時間を延ばすのは1時間程度に抑えるのが良いですね。昼寝をしたい場合も、15分以内に抑えてください。

3.リズム障害や昼夜逆転の治し方を知っているだけで生活が豊かに!

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昼夜逆転生活は、今は大きな問題になっていなくても、健康面や社会適応など、長期的な目線になるとデメリットが多くなってきます。

現在、夜勤をしている方も、この生体リズムの仕組みを知っていることで、得られるメリットは沢山あるでしょう。まずは、朝日を浴びて体内時計をリセットするなど、やりやすいものから始めてみてください。

人間は毎日朝日を浴びることで、体内時計をリセットして生活しています。そのため、日中に外出する予定を入れるのは、朝日を浴びて日中活動し、昼間に長く寝ないという面で効果的です。 さらに交友関係も生まれるので、良いことばかりですね。

一方の夜間ですが、こちらはいかに眠りやすい環境を作れるかがポイントです。

まずは、覚醒作用のあるアルコールやカフェインの摂取を控えて、体をリラックスモードにシフトチェンジしていきましょう。布団の中ではスマホの操作は絶対にしないようにしてくださいね。スマホのブルーライトは、目にとって強い刺激材料です。

この生活を意識することで、昼夜逆転は少しずつ解消されていきます。健康面やメンタル面、交友関係など、昼夜逆転を治すことで得られるものは多いですよ!

まとめ:リズム障害や昼夜逆転は早めに治しておこう!

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昼夜逆転は、人間にとってデメリットが多い生活スタイルです。 健康的で人と楽しく生活をしていくためには、なるべく早い段階で昼夜逆転を治しておくことをおすすめします。

最後に昼夜逆転の治し方のポイントをおさらいしておきましょう。

  • 昼に長く寝ないで起きているようにする(休日も)
  • 昼間に予定を入れて積極的に活動する
  • 朝日を浴びて体内時計を戻す
  • 夜は光を抑えて過ごす
  • 週末の長寝は避ける

昼夜逆転が治るのには個人差がありますが、早ければ1ヶ月程度から数ヶ月で通常のサイクルが復活するでしょう。

身体の健康や交友関係を大事に思うのなら、昼夜逆転の解消を前向きに検討してくださいね。

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※アプリのみでも無料でご利用頂けますが、スリープコイン(デバイス)と連携することによって、計測項目や精度が上がり、より正確な睡眠計測が可能になります。

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さらにダニやカビが発生しにくい素材なので、ハウスダストやアレルギーをお持ちの方や、お子様と一緒に寝ている方が安心して使用できるのも嬉しいポイントです。ブレインスリープピロー購入ボタン

ブレインスリープ マットレス プレミアム フロート

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「ブレインスリープ マットレス プレミアム フロート」は、9層構造が多方向から身体をしっかり支えることによる超・体圧分散と、NASAが提唱する究極のリラックス姿勢の再現により、身体の負荷を軽減するマットレスです。

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一方向だけではなく、無数の繊維があらゆる方向から立体的に身体を支えるハイブリッド反発が、部位によって異なる重さや面積に最適に反応。さらに独自の9層構造が重力を吸収してその力を反発力に変換。しっかりと身体を支えて正しい寝姿勢を保ちます。

特徴2:NASAが提唱する中立姿勢を再現。究極のリラックスへ

宇宙空間で身体を預けると、自然と肩が内側に入り、脚が上がった体勢になります。これは、身体に最も負担の少ない姿勢だとされています。本製品は独自の三次元構造体によって、浮遊するかのような反発と肩・腰・脚に合わせた最適な硬さを形成し、重力から解放された究極のリラックス姿勢へと促します。

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特徴5:シャワーで水洗いできて清潔。

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ウレタンやコイルのマットレスは、通気性が悪く湿気や熱が溜まりやすいためマットレスの中でダニやカビが発生しやすいです。ブレインスリープのマットレスは通気性がいいのでダニやカビが発生しにくいうえに、ハウスダストやほこりが気になったらいつでも洗えるので清潔な状態を維持できます。

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ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズ

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特徴2:リバーシブル構造で365日手放せない

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特徴3:イージーウォッシュで毎日清潔に

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情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

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朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...