枕を見る女性

実はこんなに汚れている!正しい枕の洗い方!

睡眠コラム

実はこんなに汚れている!正しい枕の洗い方!

#お手入れ #枕

もうすぐ年末。年末年始といえば大掃除ですね。お風呂場や台所、ベッドやソファーの下など、普段はなかなか掃除できない場所を掃除される方が多いのでは?

キレイになった部屋や寝具は快適ですが、意外と見落としがちなのが枕本体のお掃除です。「普段から枕カバーを洗っているから大丈夫」と思っていたら大間違い。実は枕本体もかなり汚れが溜まっています。

そこで今回は枕の正しい洗い方についてご紹介します。

枕ってどのくらい汚れているの?

枕カバーは日常的に洗濯する方が多いかと思いますが、枕本体にも汚れが溜まっています。汚れを落とさないまま使用し続けると、カビやダニが発生する原因となってしまいます。

長期間使った枕にはダニやカビがこんなにたくさん!

素材中のダニの数のグラフ

ブレインスリープが行った調査によると、1年間使用した枕には、ウレタン素材の枕で5,000匹以上、フェザー素材の枕では20,000匹を超えるダニが繁殖することがわかっています。

枕は素材によって丸洗いすることができるので、ハウスダストやダニアレルギーをお持ちの方や、小さいお子様がいる家庭では、丸洗い可能な枕を選びましょう。

あなたの枕は洗える?

枕の写真

一般的に洗える素材と洗えない素材があるので、まずは素材別でみていきましょう。

洗える素材

ポリエステルのわた

多くの枕に使われている素材で、わたのようにふわふわした人口繊維です。基本的には洗濯可能ですが、商品によって水洗いできないものがあるので、洗濯表示をチェックしましょう。もし洗えない場合は、天日干しするのがオススメです。

ビーズ

一般的に、細かいビーズは水分をたくさん吸収して乾きにくいので、水洗いには不向きとされています。ですが、中が空洞になっているマルコビーズは弾力性や耐久性に優れているため水洗いが可能です。

パイプ

ストローのような筒状のものを細かく切ったパイプは、耐久性や通気性に優れているため水洗いが可能です。繰り返し洗っても劣化しにくいのも特徴です。

ポリエチレン

ポリエチレンは耐久性や通気性に優れているため、洗濯機で洗える商品が多いです。特殊な作りになっているものや、洗って変形するものなど、手洗いのみ可能な商品もあるので洗濯表示を確認しましょう。

洗えない素材

そばがら

そばがらなどの植物性の素材は乾くのが遅いため、水洗いするとカビが生えやすく、腐って雑菌が繁殖したり虫がわいたりすることがあるので、濡らさないように気をつけましょう。

低反発ウレタン

低反発ウレタンは小さな気泡が連続するスポンジ状の構造のため、水に浸すと限りなく吸収して重くなり、強度も弱くなります。

一部、洗濯可能な商品もありますが、一般的には水に濡れると破れやちぎれの原因となり、低反発力も弱まってしまいます。

羽毛

羽毛などの動物性の素材は乾くのが遅く、とてもデリケートです。水に濡れるとふんわりした感触が失われてしまうので、洗濯できない商品が多いです。

素材だけで判断してはダメ!

枕についている洗濯表示はしっかり確認しましょう。素材ごとで洗えるか洗えないかを判断することも可能ですが、同じ素材でも洗える場合と洗えない場合があるので要注意です。また、洗える素材についても、洗い方が異なるので気を付けましょう。

洗濯表示のイラスト

洗える枕には、洗濯桶のマークとタンブル乾燥可能のマークが書かれています。

タンブル乾燥とは、家庭用ドラム式洗濯乾燥機やコインランドリーの乾燥機の乾燥方法で、丸の中に書かれた点が1つの場合は60℃、点が2つの場合は80℃が使用可能な乾燥機の上限温度となります。

また、洗濯桶のマークは洗濯機での洗濯が可能、温度表示は洗う時の水の上限温度を示しています。選択桶に手がついているマークは、手洗い可能のマークで、温度表示はありませんが上限温度は40℃です。間違って洗濯機に入れないようにしましょう。

枕を洗う頻度は?

洗うことができる枕の素材の場合、どれくらいの頻度で洗濯するのが良いのでしょうか。

厚生労働省が発表している「旅館業における衛生等管理要領」では、枕を清潔に保つためには6か月に1回以上は丸洗いが必要とされています。

ですが、もし汚れやニオイが気になる場合は、そのタイミングで洗濯をしてください。睡眠中、頭や顔が触れ続ける枕は、寝汗や皮脂、フケなどで想像以上に汚れます。

枕カバーを洗濯しても、枕本体に汚れが溜まることでカビやダニが発生し、肌荒れや髪のトラブルの原因にもなりかねないので注意しましょう。
また、枕を完全に乾かさないまま使用するとカビが発生しやすいので、水洗いする時はカラッと晴れた日に洗濯するか、乾きやすい素材の枕を選ぶようにしましょう。

素材ごとの洗い方

枕が重ねられてる写真

洗える素材といっても、洗濯機の使用や手洗いなど様々なので、素材ごとの洗い方をご紹介します。

ポリエステルのわた

一般的には手洗いで洗える商品が多く、洗剤はいつも使っている洗濯用洗剤を使用して大丈夫です。

準備するもの

衣類用中性洗剤、枕が入る大きな洗面器(洗面所の洗面ボウルでもOK)、ぬるま湯

洗濯手順

1:枕カバーを外して、中袋を取り出す。枕カバーは別途、洗濯機で洗いましょう。

2:強い汚れやシミがある場合は、事前に洗剤を染み込ませて浮かせる。

3:洗面器や洗面ボウルにぬるま湯を張り、中性洗剤を入れて混ぜ溶かす。

4:枕の中袋を入れて全体に染み込ませ、手で押し洗いする。

5:洗い終わったら泡が出なくなるまでよくすすぎ、洗濯機に入れて3分程度、脱水をする。中の素材が偏らないように、短めにしましょう。

6:中素材をたたいて均等に整え、風通しの良い場所で天日干しする。

7:しっかりと乾いたら、枕カバーをかけて完了。 中の素材が偏ると寝心地が悪くなってしまうので、脱水後は形を整えて平たい台の上において干すのがオススメ。
商品によっては吊り下げて乾燥させることもできますが、偏りが出やすいので注意が必要です。

ビーズ・パイプ

一般的には手洗いで洗える商品が多く、洗剤はいつも使っている洗濯用洗剤を使用して大丈夫です。

準備するもの

衣類用中性洗剤、枕が入る大きな洗面器(洗面所の洗面ボウルでもOK)、ぬるま湯

洗濯手順

1:枕カバーを外して、中袋を取り出す。枕カバーは別途、洗濯機で洗いましょう。

2:強い汚れやシミがある場合は、事前に洗剤を染み込ませて浮かせる。

3:洗面器や洗面ボウルにぬるま湯を張り、中性洗剤を入れて混ぜ溶かす。

4:枕の中袋を入れて全体に染み込ませ、手でもみ洗いする。

5:洗い終わったら泡が出なくなるまでよくすすぎ、バスタオルに包んで水気を取る。

6:素材をたたいて均等に整え、風通しの良い場所に吊るして陰干しする。

7:パイプの中までしっかりと乾いたら、枕カバーをかけて完了。
部分的に汚れてしまった場合は、枕全体ではなく強い汚れやシミの部分だけに洗剤をつけて洗うのがオススメ。

早く乾燥するためカビの発生を防ぐことができます。もし、ビーズやパイプを中袋から取り出せる場合は、全部出してザルなどに移して水洗いすると簡単です。

ポリエチレン(パイプ)

一般的には洗濯機で洗える商品が多く、洗剤はいつも使っている洗濯用洗剤を使用して大丈夫です。ただし、事前に洗濯表示を確認するようにしましょう。

準備するもの

衣類用中性洗剤、洗濯ネット

洗濯手順

1:枕カバーを外して、中袋を取り出す。枕カバーは別途、洗濯機で洗いましょう。

2:強い汚れやシミがある場合は、事前に洗剤を染み込ませて浮かせる。

3:洗濯ネットに入れ、洗濯機に入れる。

4:中性洗剤を所定の位置に入れ、「手洗い」や「ドライ」など、ソフト洗いのコースを選んで洗濯する。

5:全ての工程が終了したら取り出し、中素材をたたいて均等に整え、天日干しする。

6:しっかりと乾いたら、枕カバーをかけて完了。

大きくて洗濯機に入らない場合は手洗いを行いましょう。また、大きい枕や分厚い枕は、たっぷりの水を使って奥まで洗う「毛布モード」もオススメです。洗濯中に中身が出てしまうリスクがあるので、枕だけを洗う場合でも洗濯ネットに入れましょう。

また、枕本体のファスナーがしっかり閉まっているかを確認してください。開いていると中の素材が出て、形を整えるのが大変になります。

枕が完全に乾燥するまで4~5日要する場合も考ありますが、完全に乾かさないとカビの発生の原因となるので、中までしっかり乾燥しているかを確認しましょう。

自宅の洗濯機に入らない時はコインランドリーを使うのもあり

コインランドリーの写真

コインランドリーは、自宅の洗濯機よりも大きいサイズの洗濯機が用意されている場合が多いので、大きいサイズの枕を使用している人にオススメです。

また、コインランドリーには乾燥機つきの洗濯機や独立乾燥機があるため、利用することで干す時間も削減することができます。さらに、アレルギーの原因となるダニが死滅するには60℃以上の温度が必要とされているので、乾燥機を使用することで時短だけでなくダニ対策が可能。乾燥機の使用が可能かどうかは、枕についている洗濯表示を確認しましょう。

まれに枕の洗濯を禁止しているコインランドリーがあるので、事前に確認することも大切です。

ドラム式洗濯機で洗う際の注意点

ドラム式洗濯機は、ドラム内で重さの偏りが出ると洗濯中や脱水時にエラーになって停まってしまうので、枕の位置を整えて再開させましょう。特に脱水時にはエラーが出やすいので、どうしても止まってしまう場合は、バスタオルに包んで水気を取りましょう。

また、ポリエステルわたの枕は脱水にかけると中身が偏りやすいので、乾燥させる前に中素材をたたいて均等に整えるのがポイントです。

洗ってはいけない枕のお手入れ方法

次に、洗えない枕のメンテナンス方法をご紹介します。洗えない枕のお手入れの方法は、基本的に定期的に外干しして乾燥させることです。多くの素材は天日干しが理想ですが、天日干しが適さない素材もあるので、その場合は風通しのよい場所で陰干しをしましょう。

そばがら

そばがらは、天日干しがオススメです。様々な面に太陽の光が当たるように返しながら干せば、日光消毒の効果も期待できます。

お手入れ手順

1:そばがらを取り出し、重ならないように新聞紙の上に広げる。

2:風で飛ばされないように、フードカバーをかぶせる。乾燥用ネットに取り出しても大丈夫です。

3:直射日光を当てて乾燥させる。 少なくとも6か月に1回程度の天日干しがオススメですが、毎日行っても問題ありません。日が沈んでからも外に出しておくと湿気を吸収するため、遅くとも15時くらいには取り込みましょう。

低反発ウレタン

低反発ウレタンは、陰干しがオススメです。直射日光が当たらない通気性が良い場所に干してください。室内で干す場合は、扇風機の風を当てて通気性を高めましょう。

お手入れ手順

1:素材保護用のカバーをつけたまま、風通しのよいところで陰干しする。

低反発ウレタンは小さな気泡が連続しているするスポンジ状の構造のため、空気の出し入れをするだけで清潔に保つことができます。毎日使用するだけでも空気の入れ替えができるので、頻繁に陰干しする必要はありません。ですが長時間使用していない場合は古い空気が溜まっているので、一度陰干ししてから使用しましょう。

羽毛

羽毛は、週に一度くらいの陰干しがオススメです。直射日光が当たらない通気性が良い場所に干してください。室内で干す場合は、扇風機の風を当てて通気性を高めましょう。

お手入れ手順

1:風通しのよいところに新聞紙を置いて枕を乗せ、陰干しする。

2:干した後は両側から軽く叩いて中の羽根をほぐす。 新聞紙の上に枕を乗せると、枕の湿気を吸い取ってくれるので効率的に湿気を除去できます。

睡眠の質を高めるなら!おすすめアイテムをチェック

ブレインスリープでは、お客様の睡眠に関するご要望やお悩みに合わせて、様々な寝具を開発しています。その中から、おすすめアイテムの特徴やポイントをご紹介します。

ブレインスリープ ピロー

ブレインスリープピローイメージ画像

ブレインスリープの看板商品『ブレインスリープ ピロー』は、ベストセラー『スタンフォード式 最高の睡眠』の理論を基に、脳と睡眠研究によって開発されました。睡眠の質を左右する「黄金の90分」に注目し、脳を冷やすことで睡眠の質を高める枕です。

特徴1:オーダーメイドのようなフィット感で、首や肩が痛くならない

独自の3層構造が特徴。1番上のふんわりとした層が、自分の頭の大きさや重さに合わせて変化するため、オーダーメイドを超えるフィット感を感じることができます。
また、中心部分が1番柔らかく、左右にいくほど弾力が高まっている“9つのグラデーション構造”になっているため、仰向け・横向き・うつ伏せなど、どのような寝方にもフィットします。さらに横幅60cmと幅広設計なので寝返りしやすく、睡眠の質が高まります。

特徴2:脳を冷やして早く、深く眠れる

脳を冷やすと、眠り始めの90分の睡眠が深くなり、眠りの質が良くなります。この90分の質が悪いと、その後何時間寝ても睡眠の質が悪いとまで言われているほど。ポリエチレンを編み込んで作られる『ブレインスリープ ピロー』は、枕に使用されることの多いウレタンやフェザーなどの他素材と比べて、長時間眠っていても高い放熱量を維持することができるので、頭部の温度を低く保つことが可能。熱や湿気が睡眠を邪魔することなく、快適に睡眠できます。

特徴3:自宅で丸洗いできるからいつでも清潔

ポリエチレンを編み込んでできているため、汚れが素材にしみ込んで取れないということも起こりにくく、シャワーで簡単に汚れを落とすことができます。3か月に1回程度のお手入れがおすすめですが、自宅で手洗いできるので、汚れや臭いが気になった時に丸洗いし、いつでも清潔な状態をキープ。また、枕カバーは洗濯機で洗うことができます。

さらにダニやカビが発生しにくい素材なので、ハウスダストやアレルギーをお持ちの方や、お子様と一緒に寝ている方が安心して使用できるのも嬉しいポイントです。ブレインスリープピロー購入ボタン

ブレインスリープ ピロー ネックコンディショニング

ブレインスリープ ピロー ネックコンディショニングイメージ画像

「ブレインスリープ ピロー ネックコンディショニング」は、スマホやデスクワークで首を酷使する方向けに開発された、首を整えてパフォーマンスを変える枕です。

特徴1:首のカーブにフィット。伸ばして、支えて、整える

真っ直ぐ伸びた首を正しいカーブにすることで首回りの筋肉が緩みます。伸びた首をしっかり支えるハードギア搭載で頸椎を正しいカーブに導き頭と首をしっかり支えて整えます。

特徴2:首のコンディションに合わせて使えるダブルストレッチ構造

身体のコンディションが毎日違うように、首のコンディションもその日によって異なります。強度の異なるダブルストレッチ構造により、毎日の首のコンディションに合わせて使い分けることが可能です。

特徴3:超通気性素材で深い眠りへ

良質な睡眠を得るためには、寝床内の温度と湿度を適正に保つことが重要です。通気性のよい素材が頭部の熱を放熱し、深い眠りへ導きます。

特徴4:シャワーで水洗いできて清潔

人間は寝ている間に、コップ1杯分(約200ml)の汗をかくと言われています。抜群の通気性で湿気をためず、衛生的です。さらに、水洗いもできてすぐ乾くので、いつでも清潔に保てます。

ブレインスリープ ピロー ネックコンディショニング購入ボタン

ブレインスリープ ピロー ポータブル

ブレインスリープ ピロー ポータブルイメージ画像

睡眠の質にこだわる『ブレインスリープ』ならではの快適な寝心地を追求し、機能や寝心地はそのままに、ネックピローとして欲しい機能もたくさん取り入れました。

特徴1:省スペース設計

コンパクトに折りたためる省スペース設計、軽く、スーツケースに取り付けてスマートに移動が可能。また、小さく折りたためて、重量は約210gと「ブレインスリープ ピロー」の約1/3程度と超軽量。荷物が多い時でも邪魔にならず持ち運びもラクです。移動中や移動先でも、快適な睡眠を得ることができます。

特徴2:首をしっかり支えて、最適な寝姿勢をサポート

高反発の立体構造ファイバー素材が首のカーブを正しい位置でしっかりと支える構造なので、頭の沈み込みを回避。異なる2種類の密度により、長時間寝ても体に負担がかかりにくい寝姿勢を維持することができます。さらに、独自の三次元構造素材により、体積の90%以上が空気層でできているので、頭や首まわりの熱や湿気を逃し、蒸れないため、長時間の使用でもサラッと快適な温度のまま過ごすことができます。

特徴3:首元のアジャスターベルトでフィット感を調整

首元のアジャスターベルトでネックピローのフィット感を調節可能。あまったベルトはポケットに収納ができて邪魔になりません。

特徴4:全て丸洗いできるから衛生的

カバーはもちろん、中材もすべて丸洗いできるので、移動先で汚れても心配不要。常に清潔な状態で使用することができます。また、中材は100%リサイクル可能な、地球にやさしいサスティナブルな素材です。

特徴5:移動先のホテルや普段の枕に重ねて使用することもできる

枕に重ねて、寝心地をアップデートすることができるので、移動先のホテルの枕を自分好みに変えることができます。普段の枕に重ねて使用するほか、低い枕が好きな人には、単体で使用するのもオススメ。

特徴6:仕事場でも活用!

イスの背もたれに設置することのできるアジャスター付き。高反発の立体構造ファイバーが、長時間のデスクワークで腰へかかる負担をサポート。腰のカーブに沿うように設置するだけで、座骨を立てて腰椎のカーブを正しい状態に導いてくれます。

裏面のドットボタンで形状を自由に固定することができ、高反発素材でもスムーズで簡単に変形可能。腕を挟んで使用することもできるので、昼休憩にデスクでひと休みする際にも最適です。日中に短時間でも仮眠をとることで、頭がすっきりとして、仕事効率が上がります。ブレインスリープ ピロー ポータブル購入ボタン

今年は枕もお掃除してみては?

枕本体の洗い方やお手入れ方法をご紹介しました。
枕をメンテナンスしないまま使用し続けるとダニやカビが繁殖し、肌荒れやアレルギー、喘息の原因になってしまうことがあるので、気をつけてください。今年の大掃除では枕本体もしっかり掃除して、気持ちの良い睡眠をとりましょう! 【参考】

※「家庭用品品質表示法に基づく繊維製品品質表示規程の改正について」消費者庁
※「旅館業における衛生等管理要領」厚生労働省

Writer Section

<Writer>

ブレインスリープ編集部

一覧に戻る

コメントを残す

コメントは公開前に承認される必要があることにご注意ください。

PICK UP

RELATED ARTICLE

関連記事

PICKUP ARTICLE

編集部おすすめ

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

モニターの光に照らされて、ひとりの男性がコントローラーを握っている。マゴ選手。格ゲー界で40歳になった今も現役で活躍し続ける彼にとって、この空間は単なる仕事場を超えた、人生そのものの舞台なのだ。 「足も遅いし、特別顔がかっこいいとか、学校内で人気があったとか、そういう才能もなかった。でも格ゲーだけは、なんか人よりもちょっと上手いっぽかった。」 そんな想いから始まった格ゲーとの出会い。 初めて見つけた「自分だけの強み」 ──格ゲーとの出会いを教えてください。 マゴさん: 兄貴がいたっていうのが大きかったですね。兄貴がゲーム好きで、スーパーファミコンとかゲームボーイとかが家にあったんです。兄貴が楽しそうにやってるのを見てて、すごくやりたくなって。 でも兄貴がゲームしてる時、俺が後ろで見てると、親には「ゲームやってる」ってカウントされちゃうんですよ。だから「俺もやりたい」って言うと「あんたもうやってたでしょ?」って(笑)。全然やらせてもらえなかった。 そんな時に格ゲーが出てきて、兄貴が「一人じゃつまらないから、お前もやれよ」って。それが唯一ゲームに触れられるチャンスでした。 ──見てるだけでもプレイしたことになるなんて、厳しい環境だったんですね(笑)。 マゴさん: 兄貴がいた分だけ、他の人よりちょっと上手くて。それまで俺って、自分で誇れるものがなかったんです。足も遅いし、特別モテるわけでもないし。でも格ゲーだけは人より上手かった。初めて「これなら人に勝てる」って思えるものができて、そこでのめり込みましたね。 進学塾よりゲーセンに魅力を感じた少年時代 マゴさん: うちは教育熱心な家庭で、家庭教師をつけてもらったり、地元の塾や横浜駅の進学塾にも通ってました。塾の人には「繁華街は通っちゃダメ」って言われてたんですけど、「近いからこっちの方がいいじゃん」って通ってたら、ゲーセンに寄り道しちゃって。気がついたら塾にたどり着かずにゲーセンにいました。 親からタバコを買いに行くお使いを頼まれた時も、ゲーセンに寄り道してからタバコ屋に行く。当然時間もかかるし、お釣りの一部はゲーム代に消えちゃう。親もわかってたと思いますけどね、そんな感じでやってました。 ──完全にゲーセンの誘惑に負けましたね(笑)。親御さんも気づいてたんでしょうね。 マゴさん: 親もわかってたと思いますけどね。でも、そんな感じでやってました。 プロという概念がない時代の人生選択 ──プロゲーマーになろうと思ったのはどういった経緯だったのですか? マゴさん: 当時はプロシーンなんて概念がなかったんです。だから本当に人生捨ててゲームやってるぐらいの感じで。25、6歳になっても将来どうするかわからなくて、周りからも心配されました。 でも俺的には、自分が生きていくだけのお金さえ稼げて、ゲームする時間が確保できれば、それでいいなって思ったんです。会社に入って出世するとか、お金を儲けるっていうことが、自分の中の幸せではないって。これは諦めっていうより、踏ん切りですね。 そんな時に日本でプロシーンが始まって、幸い当時国内でも強かったので声がかかって、プロになったという感じです。ゲームに対して一生懸命であることが、自分にとって幸せなのかなって思いました。 ──まさに時代の流れとマッチしたタイミングでしたね。自分なりの幸せの価値観を持っていたからこそですね。 マゴさん: そうやっていたら、幸い当時は日本国内でもかなり強いプレイヤーだったので声がかかって、プロになったという感じでした。 プロになって直面した「逃げ場所の消失」 ──プロになって苦労したことは?...

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

モニターの光に照らされて、ひとりの男性がコントローラーを握っている。マゴ選手。格ゲー界で40歳になった今も現役で活躍し続ける彼にとって、この空間は単なる仕事場を超えた、人生そのものの舞台なのだ。 「足も遅いし、特別顔がかっこいいとか、学校内で人気があったとか、そういう才能もなかった。でも格ゲーだけは、なんか人よりもちょっと上手いっぽかった。」 そんな想いから始まった格ゲーとの出会い。 初めて見つけた「自分だけの強み」 ──格ゲーとの出会いを教えてください。 マゴさん: 兄貴がいたっていうのが大きかったですね。兄貴がゲーム好きで、スーパーファミコンとかゲームボーイとかが家にあったんです。兄貴が楽しそうにやってるのを見てて、すごくやりたくなって。 でも兄貴がゲームしてる時、俺が後ろで見てると、親には「ゲームやってる」ってカウントされちゃうんですよ。だから「俺もやりたい」って言うと「あんたもうやってたでしょ?」って(笑)。全然やらせてもらえなかった。 そんな時に格ゲーが出てきて、兄貴が「一人じゃつまらないから、お前もやれよ」って。それが唯一ゲームに触れられるチャンスでした。 ──見てるだけでもプレイしたことになるなんて、厳しい環境だったんですね(笑)。 マゴさん: 兄貴がいた分だけ、他の人よりちょっと上手くて。それまで俺って、自分で誇れるものがなかったんです。足も遅いし、特別モテるわけでもないし。でも格ゲーだけは人より上手かった。初めて「これなら人に勝てる」って思えるものができて、そこでのめり込みましたね。 進学塾よりゲーセンに魅力を感じた少年時代 マゴさん: うちは教育熱心な家庭で、家庭教師をつけてもらったり、地元の塾や横浜駅の進学塾にも通ってました。塾の人には「繁華街は通っちゃダメ」って言われてたんですけど、「近いからこっちの方がいいじゃん」って通ってたら、ゲーセンに寄り道しちゃって。気がついたら塾にたどり着かずにゲーセンにいました。 親からタバコを買いに行くお使いを頼まれた時も、ゲーセンに寄り道してからタバコ屋に行く。当然時間もかかるし、お釣りの一部はゲーム代に消えちゃう。親もわかってたと思いますけどね、そんな感じでやってました。 ──完全にゲーセンの誘惑に負けましたね(笑)。親御さんも気づいてたんでしょうね。 マゴさん: 親もわかってたと思いますけどね。でも、そんな感じでやってました。 プロという概念がない時代の人生選択 ──プロゲーマーになろうと思ったのはどういった経緯だったのですか? マゴさん: 当時はプロシーンなんて概念がなかったんです。だから本当に人生捨ててゲームやってるぐらいの感じで。25、6歳になっても将来どうするかわからなくて、周りからも心配されました。 でも俺的には、自分が生きていくだけのお金さえ稼げて、ゲームする時間が確保できれば、それでいいなって思ったんです。会社に入って出世するとか、お金を儲けるっていうことが、自分の中の幸せではないって。これは諦めっていうより、踏ん切りですね。 そんな時に日本でプロシーンが始まって、幸い当時国内でも強かったので声がかかって、プロになったという感じです。ゲームに対して一生懸命であることが、自分にとって幸せなのかなって思いました。 ──まさに時代の流れとマッチしたタイミングでしたね。自分なりの幸せの価値観を持っていたからこそですね。 マゴさん: そうやっていたら、幸い当時は日本国内でもかなり強いプレイヤーだったので声がかかって、プロになったという感じでした。 プロになって直面した「逃げ場所の消失」 ──プロになって苦労したことは?...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...