うつ伏せで寝ている男性

【医師監修】寝すぎてしまうのは病気やストレスが原因?改善・対策方法について

睡眠コラム

【医師監修】寝すぎてしまうのは病気やストレスが原因?改善・対策方法について

#快眠・安眠 #睡眠時間

「十分な睡眠時間を確保したのに眠い」、「疲れが残っていて朝起きるのがつらい」、「寝不足ではないのに、やる気が出ない」などの経験をしたことはありませんか?

この記事では、たくさん寝ても疲れが取れなかったり、寝不足というほど睡眠時間が短いわけではないのに起きられない……など、寝すぎてしまうことで「もしかしたら自分は病気なのかも」と不安に感じている方に、寝すぎてしまう原因や、寝すぎが関連する病気、改善方法を解説します。

寝すぎとはどれくらいの時間?

ベッドで横向きに寝ている男性

心身ともに健康な状態のときに、身体が必要としている時間以上に眠ることを“寝すぎ”といいます。その人に必要な睡眠時間は年齢や体質、生活スタイルなどによって異なりますが、全米睡眠財団(The National Sleep Foundation)によると、年齢別の適切な睡眠時間の目安は以下のとおりです。

年齢 睡眠時間の目安
新生児(3ヵ月未満) 14〜17時間
乳児(4〜11ヵ月) 12〜15時間
幼児(1〜4歳) 11〜14時間
未就学児(4〜6歳) 10〜13時間
学齢期(6〜15歳) 9〜11時間
若者〜成人(15歳〜64歳) 7〜9時間
高齢者(65歳以上) 7〜8時間

参考:National Sleep Foundation’s sleep time duration recommendations: methodology and results summary - Sleep Health: Journal of the National Sleep Foundation

睡眠時間は短すぎても長すぎても身体に負担がかかるので、まずは上記の表を参考に自分にとって適切な睡眠時間を取ることが大切です。

また、休日だからといって寝すぎてしまうと、体内時計が狂って睡眠が浅くなったり、寝つきが悪くなる可能性があります。休日でも、平日の睡眠時間+2時間までを目安としましょう。

寝すぎてしまう原因8つ

自分ではしっかり寝たつもりでも、睡眠環境や生活環境が影響して熟睡できていない場合があります。日常的に寝すぎてしまう方は、睡眠の質が低いことで効率的に疲れが取れず、結果的に睡眠時間が増えているのかもしれません。

睡眠の質を低下させ、結果的に寝すぎを招く原因としては、主に以下の8つが考えられます。

  • ストレス
  • 睡眠不足
  • 疲労
  • 体質(ロングスリーパー)
  • ホルモンの関係
  • 季節的要因
  • 薬や嗜好品
  • 生活習慣の乱れ

ストレス

ストレスを抱えている男性

人の身体は一般的に、日中は交感神経が優位になり、睡眠時は身体をリラックスさせる副交感神経が優位になります。

健康なときは交感神経と副交感神経のバランスが保たれていますが、ストレスを受けると交感神経が優位になるため、自律神経のバランスが崩れることで睡眠の質が下がり、寝すぎにつながる可能性があります。

睡眠不足

忙しい平日などに十分な睡眠時間を確保できず、睡眠負債(睡眠不足の状態)が溜まってしまうと、寝すぎを引き起こす可能性があります。平日と休日の睡眠時間の差が2時間以上ある方は要注意です。

一般的な睡眠時間について、厚生労働省が示す「健康づくりのための睡眠ガイド2023」には、適正な睡眠時間には個人差があるものの、その目安は6時間以上であると記載されています。

また、ブレインスリープが全国47都道府県の1万人(性別・年齢・都道府県で割付)を対象としておこなった「睡眠偏差値®」調査によると、日本の平均睡眠時間は2020年では6時間27分、2021年では6時間43分、2022年では6時間48分となり、過去2年間で睡眠時間が21分増加するなど改善する傾向がみられていました。

しかし、2023年の調査では、日本の平均睡眠時間は6時間43分で、2022年と比較すると5分短くなり、2021年と同じ睡眠時間に戻る結果となりました。

疲労

通常、十分な睡眠時間を取れば身体の疲れは回復しますが、疲労が過度に蓄積していると、寝てもだるさや疲れが解消されず、寝すぎてしまいます。疲労を蓄積しすぎないように日々の生活をコントロールすることが重要です。

体質(ロングスリーパー)

ロングスリーパーとは、生まれつき必要な睡眠時間が長い方のことを指します。ロングスリーパーは遺伝的な要素が強く、体質なので、睡眠障害の一つである過眠症とは異なります。

一般的には、毎日9時間以上の睡眠を取らなければ睡眠不足を感じてしまう方を指しますが、睡眠障害国際分類第3版(ICSD-3)では「成人は10時間以上、子どもは年齢に適した睡眠時間より2時間以上多い場合にロングスリーパー」とされていて、明確な定義はありません。

ロングスリーパーは十分な睡眠時間を確保できれば日中の活動に支障がないのに対し、過眠症は夜間に十分な睡眠を取っていても日中に強い眠気を感じるため、集中しなければならない状況でも耐えきれずに居眠りをしてしまうこともあります。

ロングスリーパーについては、下記の記事でも詳しく紹介していますので、気になる方はチェックしてみてください。
実は自分もロングスリーパー?特徴や原因、診断方法と治し方について

ホルモンの関係

女性は、月経前に起こる月経前症候群(PMS)の症状の一つとして、日中に眠気が強くなることがあります。

月経前に増加するプロゲステロン(黄体ホルモン)によって基礎体温が高くなり、一日の体温リズムにメリハリがなくなるためと考えられています。 妊娠初期には、体を休ませようとするプロゲステロンの働きによって、眠気やだるさが強くなることもあります。

また、閉経後は女性ホルモンの分泌量が減少することで、睡眠が浅く、短くなることがあり、その影響で日中に眠気が生じることもあると言われています。

季節的要因

厚生労働省が示す「健康づくりのための睡眠ガイド2023」によると、「睡眠時間は季節によっても変動し、夏季に比べて冬季に10〜40分程度、睡眠時間が長くなる」と記載されています。

主な原因は、日長時間(日の出から日の入りまでの時間)の短縮です。

朝の目覚めや体内時計のリセットには光の刺激が関係しています。日の出が遅くなる冬は光の刺激が入ってくる時間が遅くなるため、目覚めも遅くなると考えられています。

反対に夏は、光の刺激が入ってくるのが早い(日長時間の延長)のにくわえ、寝室が高温・多湿になりがちであることから、寝つきや眠りの持続が他の季節よりも難しくなると考えられています。

その一方で春になると寝すぎてしまうという調査結果もあるため、日長時間と睡眠時間の因果関係はまだ完全に解明されているわけではありません。

薬や嗜好品

薬やお酒、タバコ、コーヒーなどの嗜好品も睡眠に影響を及ぼします。

例えば、睡眠薬、精神安定剤を服用している場合、起床時にも薬の作用が残り寝すぎにつながる可能性があります。

また、お酒に含まれるアルコール、タバコに含まれるニコチン、コーヒーなどに含まれるカフェインは睡眠の質を低下させるため、摂取する量やタイミングに注意が必要です。

生活習慣の乱れ

夜更かしや運動不足、食事の偏りなど生活習慣の乱れも、睡眠の質が低下する原因です。

特に、夜更かしや不規則な生活は体内時計を狂わせることから、レム睡眠、ノンレム睡眠など睡眠の周期の乱れにもつながり、睡眠の質を低下させます。

体内時計のリズムを一定に保つためには、なるべく平日も休日も同じ時間に起床・就寝するように心がけることが重要です。

寝すぎが気になった時に注意したい病気

十分な睡眠時間を取っているのに眠気が取れず、寝すぎてしまう場合は、病気が原因の可能性もあります。

寝すぎで疑う病気には主に、特発性過眠症やうつ病など、脳の睡眠を調節する機能がうまく働かず、日中に強い眠気が出現するものと、睡眠時無呼吸症候群やむずむず脚症候群など身体の症状のために深く眠ることができず、慢性の睡眠不足となってしまう病気の2種類があります。

以下、それぞれの病気の特徴や症状を紹介しますので、当てはまると感じた方は、一度クリニックで診てもらうことをおすすめします。

特発性過眠症

夜にしっかりと睡眠時間を確保できているにも関わらず、日中に過度な眠気が生じる病気です。発症の原因はまだわかっていませんが、睡眠・覚醒を調整している脳の機能異常が指摘されています。 目が覚めた時に頭がスッキリしないことが多く、強い眠気のために何度も居眠りをしてしまう方や、めまいや立ちくらみ、頭痛などの症状をともなう方もいます。

うつ病

代表的な精神疾患で、精神的ストレスや身体的ストレスなどにより、脳がうまく働かなくなっている状態です。気分障害の一つですが、精神症状だけでなく、過眠や、不眠、食欲の変化、身体のだるさなどをともなう方もいます。

一般的に、うつ病における眠るという行為は寝逃げとも言われており、強いストレスやつらいできごとから現実逃避するための防衛本能でもあるといえます。睡眠には心身の疲労回復効果があるので、うつ病中にたくさん眠るのは悪いことではありません。

睡眠時無呼吸症候群(SAS)

睡眠時に、空気の通り道(上気道)が狭くなり、呼吸が止まる無呼吸や、呼吸が止まりかける低呼吸を繰り返す病気です。無呼吸と低呼吸を繰り返すことで、脳も身体も酸欠状態に陥るため、様々な臓器に負担がかかります。眠りが浅くなってしまうので、十分な時間眠ったのに疲れが取れないことがあります。

むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群・下肢静止不能症候群)

むずむず脚症候群は、レストレスレッグス症候群や下肢静止不能症候群とも呼ばれ、主に下肢に不快な症状を感じる病気です。女性の方が男性の1.5倍程度かかりやすいと言われています。

症状として、脚がむずむずする、脚を動かしたくて我慢できなくなる、ほてる、脚の深部をかきむしりたくなるなど、脚の内側からなんともいえない不快感が起こり、脚を動かすと和らぎます。

夜眠ろうとしてベッドに入ったタイミングに症状が現れたり強くなることが多いため、なかなか寝つけなかったり、睡眠中に脚の不快感で目が覚めてしまうことで、睡眠不足になってしまいます。

基本的には夕方から夜にかけて現れたり、強くなることが多いですが、新幹線や飛行機、映画館などでじっと座っているときに現れることもあります。

寝すぎで注意することや症状

寝すぎることが、頭痛やだるさの原因になる場合があります。

寝すぎ頭痛

寝すぎることで起こる頭痛に医学的な因果関係はありませんが、寝すぎたあとに片頭痛(偏頭痛)や緊張型頭痛が起こることがあります。

人は長く眠ると、血管が弛緩します。さらに熟睡モードに入ると心拍数や呼吸数が低下して血流が緩やかになります。この状態で起床すると、身体は必死になって血液を送ろうとするため、血管の拍動が強まります。その結果、血管のまわりにある三叉神経が引っ張られて、片頭痛が起きると考えられています。 長く眠れば眠るほど、起床時の反動が大きくなります。

一方、緊張型頭痛とは、身体的・精神的なストレスが関係していると考えられている頭痛です。枕から頭が落ちてたり、首や腰、手や足などが曲がっているなど、寝姿勢が悪いまま長時間眠ってしまうと、首や肩に余計な負担がかかり、起床後に緊張型頭痛が生じることがあります。

寝すぎ頭痛について、詳しくはこちらをご覧ください。
寝すぎで頭痛が起こる原因とは?タイプ別の治し方や予防策について

倦怠感(だるさ)

寝すぎると、二日酔いのような倦怠感が起こることがあります。「睡眠酩酊(すいみんめいてい)」と呼ばれていますが、アルコールが引き起こすダメージとは異なります。人は光の刺激により体内時計をリセットしますが、寝だめをすることで1日のサイクルを司る脳の部分が混乱し、倦怠感を引き起こすと考えられています。

筋肉痛

寝すぎで同じ姿勢が長く続くと、筋肉がこわばって血流が悪化し、筋肉痛を引き起こします。

寝すぎによって筋肉痛を起こしやすい部位は主に、肩、腰、背中などです。

起床時にこれらの箇所が痛む場合は、軽いストレッチや散歩、湯船に浸かるなどして血流を良くすると痛みが和らぐ可能性があります。

体重増加

意外にも、睡眠時間の過不足は体重増加にも関係しているという調査研究があります。

21歳から64歳までの成人男性・女性合わせて276人の体組成と睡眠時間を測定したところ、睡眠時間が短いグループ(5~6時間程度)と睡眠時間が長いグループ(9~10時間程度)は、睡眠時間が中程度(7~8時間程度)のグループと比べて、体重増加の可能性や肥満の発症リスクが高いことがわかりました。

具体的には、6年間で体重が5kg増加する可能性が、睡眠時間が短いグループ は35% 、睡眠時間が長いグループは25%と睡眠時間が中程度のグループよりもそれぞれ高く、肥満の発症リスクもそれぞれ27%と21%増加したそうです。

このことから、日常的に寝すぎの状態が続いている方は、体重増加の傾向や肥満になるリスクがあると考えられます。

参考:Association Between Sleep Duration and Weight Gain in Adults: A 6-Year Prospective Study from the Quebec Family Study | SLEEP | Oxford Academic

心臓と血管の病気

また、睡眠の過不足は心筋梗塞、狭心症などの虚血性心疾患、高血圧、脳梗塞による死亡リスクに影響するというオックスフォード大学の調査研究もあります。

がん、心臓発作、脳卒中の病歴のない男性61,936人と女性73,749人を対象に調査を実施したところ、男女ともに睡眠時間が短い人(5時間以下)と長い人(9時間以上)の方は、全死因死亡率と心血管疾患(CVD)死亡率のリスクが上昇したとのことです。

このことから、平均9時間以上の睡眠をとっている方は、心筋梗塞、狭心症などの心臓や血管の病気を発症するリスクが高いと考えられます。

参考:Insufficient and excessive amounts of sleep increase the risk of premature death from cardiovascular and other diseases: the Multiethnic Cohort Study - PMC

寝すぎてしまうときの改善・対策方法5つ

寝すぎてしまう原因には睡眠不足が影響していることが多いので、自分にとって適切な睡眠時間を確保しつつ、睡眠の質を高めましょう。 十分な睡眠時間と睡眠の質を高めることが一番の解決策ですが、しっかり寝ても改善されない場合は病気の可能性があるので、一度医療機関を受診してください。

ストレスを解消する

座って音楽を聴く男性

悩み、イライラ、緊張などの心理的ストレスは、脳を活性化させる交感神経を働かせるため、寝つきが悪くなったり、眠りが浅くなる、熟眠できなくなるなど、睡眠の質が低下します。

ストレスを抱え込まないようにするために、まずはストレスの原因を考えて受け入れ、こまめに発散・解消する方法を探しましょう。スポーツやカラオケ、買い物、旅行など、気分転換になることであればなんでも構いません。また、睡眠時にリラックスできるアロマやヒーリング系の音楽を取り入れることも効果的です。

仮眠を取る

夜に十分な睡眠時間を取ることができなかった日は、日中に15〜30分程度の仮眠を取って睡眠不足を補いましょう。睡眠不足は蓄積されてしまうので、日々解消することが大切です。

また、眠気を感じる前に仮眠すると常に頭がスッキリした状態を維持できるので、日中のパフォーマンスが良くなります。ただし、長時間の仮眠を取ると夜に寝つきが悪くなる可能性があるので気をつけましょう。

食生活を改善する

カフェインを多く含む飲み物は交感神経を刺激するため、就寝前に飲むと入眠しにくくなります。個人差はありますが、血中のカフェイン濃度が半減するのには4~6時間はかかるといわれているので、夕方以降にエナジードリンクや栄養ドリンク、コーヒー、紅茶、緑茶、ウーロン茶、ほうじ茶などを飲む習慣のある方は注意してください。

寝つきが良くなるイメージのアルコールも、覚醒作用があるので就寝前には摂取しないようにしましょう。

また、生活リズムを整えるためには1日3食、毎日決まった時間に食べることが望ましいとされています。特に朝食は体内時計をリセットする役割もあるので、少しだけでも食べる習慣をつけましょう。

正しい方法で入浴する

人は、一度上がった体温が下がるタイミングで眠気を感じるので、眠る90分程度前に、40℃前後のぬるめのお湯で15分ほど入浴しましょう。ただし、入眠直前に熱すぎるお風呂につかると交感神経が働き覚醒してしまうので、どうしても熱いお湯につかりたい場合は短時間にしましょう。

睡眠環境を見直す

「寝つきが悪い」、「途中で目覚めてしまう」、「十分な時間寝ているのに、朝起きたときに疲れが取れていない」など、睡眠の質が悪いことによる悩みのある方は、一度、睡眠環境を見直してみましょう。

枕やマットレスなどの寝具を見直す

枕やマットレスは、睡眠の質にとても大切です。頭や体がほどよく沈み込み、体圧分散に優れ、寝返りが打ちやすい商品を選んでください。

また、通気性や洗いやすさなども確認して購入しましょう。季節に合わせて掛け布団を変えるのが面倒な方は、自宅の洗濯機でも洗える掛布団がおすすめです。

睡眠前の光を意識する

睡眠前にパソコンやスマートフォンの光を浴びると、体内時計が狂って寝つきが悪くなる原因となります。できれば就寝の1〜2時間前までには使用をやめましょう。

また、寝室は蛍光灯などの白色~青色の寒色系の光よりも、オレンジ色に近い暖色系の明かりがおすすめです。赤みを帯びたやわらかい光や間接照明を取り入れて、リラックスしましょう。

寝室の温度を適切にコントロールする

寝室の快適な温度は、夏は25〜27℃前後、冬は15〜18℃前後、湿度は通年50〜60%が理想と言われています。 一度上がった体温が下がるタイミングで眠気が促されるので、室内温度と湿度に気を配りましょう。温度が低すぎても高すぎても、深部体温(身体の中の体温)が下がらず、寝つきが悪くなったり、睡眠中の覚醒が増えるなど、睡眠の質が低下する恐れがあります。

また、夏と冬では外気温が異なるので、各シーズンに応じて寝具やエアコン、加湿器などをうまく利用して睡眠環境を調整しましょう。

寝すぎを治したいときには快眠環境を整えることから始めよう

寝すぎてしまう原因や可能性のある病気、改善方法などをご紹介しました。睡眠の質を高めることで効率的に疲労回復したり、適切な時間でしっかりと目覚めることができるので、“睡眠時間”よりも“睡眠の質”にこだわってみてはいかがでしょうか。

「人生の3分の1を占める」と言われている睡眠は、毎日の疲れを癒し、心も身体も回復させる大切な時間だからこそ、一度、生活環境や睡眠環境を見直しましょう。特に睡眠の質を左右する枕やマットレスなどの寝具にこだわることが、最高の睡眠への第一歩です。

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情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...