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暑い夏の夜でも快適に眠るコツ!湿気や寝汗と上手く付き合おう

睡眠コラム

暑い夏の夜でも快適に眠るコツ!湿気や寝汗と上手く付き合おう

#快眠・安眠

「熱帯夜が連日重なり、眠りが浅い」「猛暑からか途中で起きてしまい、ぐっすり熟睡することができない」と悩んでいる方は多いはずです。もう暑過ぎて完全にお手上げ状態。どうしたら暑い夜でも、心地よく眠ることができるのでしょうか?

寝苦しい夜の中でもエアコンや扇風機を上手に使って室内の温度・湿度などを調整して、湿気対策を行い、ベタベタとした寝汗を少しでも防ぐことが快眠の鍵。

今回は、夏場の不眠問題を解決するために暑い夏でも快適に眠れるコツを紹介します。

この記事を最後まで読むことで、必ず良質な睡眠を得るための方法を知ることができますよ!
温度湿気と睡眠の関係や寝汗が出る原因から解決策を知って、上手に夏の不眠ストレスを解消する方法をこの記事を通して知りましょう。

1.熱帯夜に寝苦しいのはなぜ?睡眠の質を下げる原因

熱帯夜が連日記録される日本の夏場は、寝苦しく、睡眠の質を下げる原因に。

睡眠を深くするためには、身体の深部体温が自然に低下していくことが必要ですが、暑い夏には深部体温が下がりにくく、睡眠の質が低下してしまいます。

このほか、よく眠れない原因は高温だけでなく、寝具が汗でベタベタしてしまう不快感や扇風機やエアコンの調節が上手くいかないなど、色々な理由がありますね。

暑さのため良い睡眠が十分に取れないと、普段の生活に支障をきたしてしまうので注意が必要です。

原因は、室内温度・湿度の設定が上手くできず、良眠するための体温調節ができていない可能性があります。ただ単に冷房や扇風機のスイッチを入れて寝れば良いだけではありません。

上手に冷房や扇風機を使用して、夜間の深部体温が自然に下がり、深い睡眠が取れる工夫をしましょう。冷房や扇風機の調節は、身体を冷やしすぎないためにも重要です。

適切な室内温度環境を整えて、体の冷やしすぎによる体調不良は避けるようにしましょう。また、部屋の温度環境だけでなく、寝具や寝間着への認識も改めて、夏の不眠生活を改善しましょう。

1-1.朝方に寝汗がべったりな方は湿度に注意!

エアコンの温度を調整してる写真

朝起きたらパジャマや寝具が汗でべったり、寝ている間に多量の汗をかいてしまう経験は、誰しもがあるのではないでしょうか。

人間は寝ている間に発汗し、体内の水分を蒸発させながら、体温を調節しています。
汗をかいて、不快で眠りにつけない、汗を大量にかき脱水状態で朝起きた時に気怠さを感じる状態であれば、湿度を調節すれば、よく寝られるようになります。

快適な眠りにつくためにも、「温湿度計」を用意するなどし、エアコンを調節して部屋の湿度を50〜60%に調整するようにしてください。

1-2.快眠できる温度に調節をしよう!

眠りを快眠へ導くためには湿度だけでなく、室内温度の調整も忘れてはなりません。寝室内を適正温度にすることは、睡眠の質を維持する上で大切です。

まずは、スムーズに眠りに入るため、寝る前にしっかり寝室を冷やすことが重要。

この時、敷布団やシーツから熱が逃げるように、布団をめくっておくと寝具が冷やされ、スムーズに眠ることができます。

理想的な室内温度は、夏は「27℃前後」(冬は「15〜18℃」)と言われていますが、熱帯夜のような暑い夜や雨の日など涼しい日もありますので冷房の温度は「26〜28℃」を目安に調節し、室内環境を整えるようにしましょう。

1-3.枕や布団が適切ではない可能性が高い!

シーツと枕の写真

室内環境を適正温度・湿度に調整したものの、ぐっすりと眠ることができない場合は、枕や布団などの寝具が合っていない可能性があります。

暑い夜には、人は寝ている間に500ml以上の汗をかくと言われています。そのため、寝汗対策に優れた吸放湿性の高い寝具がおすすめです。

吸放湿性が低ければ、寝床やパジャマは寝汗で湿ってしまいます。高温多湿状態で眠り続けてしまうと、途中で目が覚め、熟睡できなくなりますよね。

睡眠の質を下げてしまいますので、枕や布団などは通気性の良いものを選ぶようにしましょう。

2.熱帯夜といえども冷やしすぎには気をつけよう

エアコンの温度を調整する写真

熱帯夜だからといって、寝る前に冷たいものをガブガブ飲む、エアコンをガンガンつけて、体温を下げすぎる行為は、体調を崩す原因になります。

室温は高すぎても、低すぎても良質の睡眠は取れません。やや涼しい程度が良いとされ、夏は27℃前後で調節するのが最適です。

冷えすぎず少しでも心地よく眠れる環境を整えるために、周辺に温湿度計を設置したり、モニターが可能なリモコンなどを置き、随時確認できるようにしておくことがおすすめですよ!

2-1.身体が冷えると夏バテの原因にも

窓際で考える女性

暑すぎて眠れないことはもちろんですが、反対に体を冷やすぎて熟睡できない状態が続くと夏バテなどの体調不良の原因になりかねません。

「部屋の温度を下げないと眠れない」という悩みを持つ方もいますが、冷やしすぎは要注意。手足が極端に冷えてしまうと、手足の血行循環が悪くなり、深部体温をスムーズに下げることができなくなってしまいます。

高温多湿の熱帯夜となると、つい冷房をかけて室内温度を下げすぎる場合がありますが、急激な温度変化や手足の冷えは、自律神経の不調も招きます。

また室内の冷房が効き過ぎていると、体は熱を産生しようと反応してしまい、身体は休息を取ることができにくくなり、疲労の蓄積や無気力、だるさなどを覚えます。

睡眠中の冷えは夏バテの原因の一つです。寝ている間に身体が冷えないように適切な室内温度・湿度を維持し、夏バテ防止にを意識的に取り組みましょう。

2-2.部屋は冷やしても体温は冷やし過ぎないように

部屋の温度によって睡眠の質は変化します。人が快適な睡眠を得られる状態は深部体温が下がるとき。

睡眠の最初の「黄金の90分」で、深い睡眠をとるためには、深部体温をしっかりと下げてあげることが大切です。

この最初の深い睡眠を得るためにはエアコンの設定温度は27℃前後で、睡眠の前は25°C程度の低い温度で部屋を冷やしておき、就寝後2時間のタイマー設定をするのがおすすめ。

それに加え、設定を冷房よりも除湿もしくはドライに設定することで、室内の湿度を下げ、不快感を抑える効果があるため、冷房温度を上げることができます。

温湿度の調節により身体の冷やし過ぎは十分に防げるのです。さらに女性には嬉しいむくみの解消や肌がサラサラの状態で目覚めることができる効果もあります。

寝ている間に室内が適正温度で保たれるように、寝る前に温度とタイマーを設定するなどして、安眠環境を整えるようにしてください。

3.熱帯夜に快適な睡眠をとるためのコツ

考える女性

熱帯夜だからといって、暑過ぎてエアコンをガンガンつけていると身体が冷えて目覚めてしまいます。これは、体が冷えすぎた場合は、体温中枢が熱を産生する方向に働いてしますからです。

また、扇風機の風を直接浴び続けると、汗の蒸発が進み、体が冷えすぎたり、脱水気味になったり、睡眠の質を低下させる原因となるので注意が必要です。

そんな寝苦しい環境下でも、快適に眠れるテクニックを紹介していきますね。これらを取り入れれば、翌日の朝もすっきりと目覚めることができるでしょう。

3-1.エアコンは切らないでつけっぱなしにすることも

ベッドの写真

夜間も気温が25℃を下回ることのない熱帯夜でも、一昔前であれば、”エアコンをつけっぱなし”で夏の夜を過ごすことは考えられませんでした。一晩中、冷房をつけて寝ていると翌日の朝の目覚めが悪くなるなどの情報があったためです。

しかし、睡眠途中で、暑さによって中途覚醒が起こり睡眠の質が低下することを防ぐために、近年エアコンは切らずにつけておくことも熱帯夜を上手に乗り切るコツとして、主流になりつつあります。

このようにエアコンを切らないでつけっぱなしにする際には、工夫が必要です。

高温多湿の部屋で快適に眠りにつくためにはエアコンの温度を就寝前と就寝時と変更することが鍵。就寝前は、冷房温度を低めに設定し、就寝後はやや高めに設定します。また最適な湿度は40〜60%です。

  • 就寝1時間前:25℃程度
  • 就寝時:27℃程度
  • 湿度は40〜60%を維持

一晩中エアコンを切らず、室内の最適な温度と湿度を維持する場合は、体の冷えを防ぐために、しっかりパジャマや掛け布団を着ることも大切です。

3-2.扇風機は寝る前に消すかタイマーで切る

扇風機は就寝前か、寝る前にタイマーを設定して自動的に切れるようにしましょう。

扇風機が身体に当たり続けると体温は低下し、汗の蒸発により脱水状態にもなって、快適な眠りを妨げます。

仮に部屋にエアコンがない場合は、扇風機の風を体ではなく、足もとのに向けるようにしましょう。理由は体温を下げるための放熱作業は足先やから手先から起こるからです。

足元に風を適度に送り続けることで、体温を下げる効果が働きます。 さらに扇風機を回すことで室内に溜まった熱を気流で放熱できる環境を作ることができるのです。

少しでも心地よく眠るためには、「切タイマー」を設定するようにしましょう。

3-3.寝る前にはコップ1杯の水を飲む

コップに入った水

眠りにつく前にコップ1杯程度のお水を飲むことで脱水症状、脳卒中や脳梗塞のリスクを軽減できます。

真夏の夜は寝ている間にコップ2杯分以上の汗を発汗するため、水分が不足すると夜中に理由もなく目が覚める、脱水症状を起こしている可能性があるため注意してください。

体内で水分が不足すると血流の流れが悪くなり、脳卒中などのリスクが高まります。リスク回避のために、きちとんと寝る前にコップ1杯分の水分を摂取することが大切です。

夜間トイレに起きることが気になる場合は、水でなく、スポーツ飲料を飲むと良いでしょう。電解質の入った水は、体内に水を保持する性質があり、尿として排出するまでに時間がかかるためです。

水分補給は新陳代謝も上げるため、脂肪燃焼効果、むくみの解消、寝つきや寝起きがよくなり熟睡を促しますよ!

すっきりと目覚めたいのであれば、水を1杯飲んでから布団に入るのがおすすめ。1杯の水を飲んで眠れば、血行も促進され、酷暑で弱った体を回復させる助けになるでしょう。

3-4.就寝時は着こまないでなるべく薄着

毎日の快眠に欠かせないのはパジャマ。就寝時はなるべく体を締め付けず、薄着で寝るようにしましょう。

服を着込んでしまうと、寝返りが打ちにくい、背中や腰が圧迫されて寝心地が悪くなってしまうなど、身体に負担をかけてしまいます。

また、大量に汗をかくと、その後、体の冷えの原因にもなります。大量に汗をかいた場合は、思い切って着替えることも大切です。

さらに眠りの質を上げたいのであれば、天然素材で吸収率の良いものを着用することをおすすめします。汗やかぶれを防ぎ、女性であれば、バストやお肌を優しく包み込んでくれますよ!

汗の吸収や通気性の良いパジャマは最適な体温の維持ができ、ぐっすり眠るために必須のアイテムでしょう。

3-5.温度だけでなく湿度にも気を遣う

風通しのいいベッド

快適な睡眠を得るためには欠かせないのは温度だけでなく、湿度にも気を遣う必要があります。

夜中に寝具が湿って寝付けない、喉や鼻の乾燥で眠りが浅くなってしまったという湿気の問題は様々。特に湿度の高い夏場は影響を受けやすい傾向にあります。

室内の湿度は40~60%が理想ですが、夏は湿度が高くなり、冬は乾燥して湿度を保つことが難しくなります。

夏はエアコンの除湿機能を使い、冬は加湿器を使うなど、季節で最適な湿度管理の方法は異なるので注意しましょう。

一年を通して室内の湿度をおおよそ50%程度に保つことができれば、快適な空間で眠りにつくことができます。適宜温度と湿度を確認し、管理することはおすすめです。

まとめ:熱帯夜は上手くエアコンや寝具を使おう

アイマスクをつけて寝る女性

暑過ぎて眠れない熱帯夜の中、どのようにエアコンや寝具を使い、最適な睡眠環境を整えれば良いか理解できましたか?

いくつかのコツを押さえて睡眠環境を整えれば、ぐっすりと眠れ、朝すっきりと目覚めることができます。

最後に今回の記事をおさらいしておきましょう。

  • 身体が冷え過ぎないように室内環境を整える
  • 安眠を支えるために寝具を変えるのも一つの手
  • エアコンの温度は27℃前後で2時間のタイマー
  • 湿度は40〜60%が理想
  • 扇風機の風は体ではなく足元

心地よく安眠するためには室内の温度・湿度を管理するだけでなく、自分にあった寝具を選ぶことが大切です。

通気性の良いパジャマや吸水性に優れる寝具セットも活用して、工夫を凝らしながら快適な睡眠生活を送れるように心がけましょう。

日中の酷暑で疲れた体を休息できる睡眠ライフを実現してくださいね。

今回の記事を通じて、真夏の不眠症改善や毎朝すっきり目覚められるような睡眠習慣が作れるきっかけになることを願っています。

睡眠の質を高めるなら!おすすめアイテムをチェック

ブレインスリープでは、お客様の睡眠に関するご要望やお悩みに合わせて、様々な寝具を開発しています。その中から、おすすめアイテムの特徴やポイントをご紹介します。

ブレインスリープ ピロー

ブレインスリープピローイメージ画像

ブレインスリープの看板商品『ブレインスリープ ピロー』は、ベストセラー『スタンフォード式 最高の睡眠』の理論を基に、脳と睡眠研究によって開発されました。睡眠の質を左右する「黄金の90分」に注目し、脳を冷やすことで睡眠の質を高める枕です。

特徴1:オーダーメイドのようなフィット感で、首や肩が痛くならない

独自の3層構造が特徴。1番上のふんわりとした層が、自分の頭の大きさや重さに合わせて変化するため、オーダーメイドを超えるフィット感を感じることができます。
また、中心部分が1番柔らかく、左右にいくほど弾力が高まっている“9つのグラデーション構造”になっているため、仰向け・横向き・うつ伏せなど、どのような寝方にもフィットします。さらに横幅60cmと幅広設計なので寝返りしやすく、睡眠の質が高まります。

特徴2:脳を冷やして早く、深く眠れる

脳を冷やすと、眠り始めの90分の睡眠が深くなり、眠りの質が良くなります。この90分の質が悪いと、その後何時間寝ても睡眠の質が悪いとまで言われているほど。ポリエチレンを編み込んで作られる『ブレインスリープ ピロー』は、枕に使用されることの多いウレタンやフェザーなどの他素材と比べて、長時間眠っていても高い放熱量を維持することができるので、頭部の温度を低く保つことが可能。熱や湿気が睡眠を邪魔することなく、快適に睡眠できます。

特徴3:自宅で丸洗いできるからいつでも清潔

ポリエチレンを編み込んでできているため、汚れが素材にしみ込んで取れないということも起こりにくく、シャワーで簡単に汚れを落とすことができます。3か月に1回程度のお手入れがおすすめですが、自宅で手洗いできるので、汚れや臭いが気になった時に丸洗いし、いつでも清潔な状態をキープ。また、枕カバーは洗濯機で洗うことができます。

さらにダニやカビが発生しにくい素材なので、ハウスダストやアレルギーをお持ちの方や、お子様と一緒に寝ている方が安心して使用できるのも嬉しいポイントです。ブレインスリープピロー購入ボタン

ブレインスリープ マットレス プレミアム フロート

ブレインスリープ マットレス プレミアム フロートイメージ画像

「ブレインスリープ マットレス プレミアム フロート」は、9層構造が多方向から身体をしっかり支えることによる超・体圧分散と、NASAが提唱する究極のリラックス姿勢の再現により、身体の負荷を軽減するマットレスです。

特徴1:新感覚の弾力。9層構造のハイブリット反発で身体の負荷を軽減

一方向だけではなく、無数の繊維があらゆる方向から立体的に身体を支えるハイブリッド反発が、部位によって異なる重さや面積に最適に反応。さらに独自の9層構造が重力を吸収してその力を反発力に変換。しっかりと身体を支えて正しい寝姿勢を保ちます。

特徴2:NASAが提唱する中立姿勢を再現。究極のリラックスへ

宇宙空間で身体を預けると、自然と肩が内側に入り、脚が上がった体勢になります。これは、身体に最も負担の少ない姿勢だとされています。本製品は独自の三次元構造体によって、浮遊するかのような反発と肩・腰・脚に合わせた最適な硬さを形成し、重力から解放された究極のリラックス姿勢へと促します。

特徴3:脚をあげることで巡りを高める。

脚部が胸元より4cm高く設計されており、血流が胸元に循環しやすくなります。

特徴4:30年間相当使用できる優れた耐久性

毎日使うマットレスで気になるのはその耐久性。本製品はJIS規格の基準80,000回の3倍の圧縮でも高い耐久性を実証。長期間の使用でも安定した寝心地が続きます。 ※使用方法により、耐久年数は前後します。​

特徴5:シャワーで水洗いできて清潔。

カバーは取り外して洗濯機で洗えることはもちろん、マットレスの中材も全て洗えます。中材はシャワーで汚れを洗い流せて、シャワー後は日陰干しをするだけで簡単です。

ウレタンやコイルのマットレスは、通気性が悪く湿気や熱が溜まりやすいためマットレスの中でダニやカビが発生しやすいです。ブレインスリープのマットレスは通気性がいいのでダニやカビが発生しにくいうえに、ハウスダストやほこりが気になったらいつでも洗えるので清潔な状態を維持できます。

ブレインスリープ マットレス プレミアム フロート購入ボタン

 

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EX

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EXイメージ画像

「ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EX」は、トリプル冷感テクノロジーにより、究極冷感が一晩中続く夏用掛け布団です。

特徴1:一晩中続く最高峰の冷たさ

パーフェクト4レイヤー構造が、接触冷感・吸湿冷感・持続冷感のトリプル冷感を実現。究極冷感が一晩中続き、暑い夏でも快適に眠れます。

特徴2:梅雨から晩夏まで長く使えるリバーシブル構造

使い分けできるリバーシブル構造で長期間使用出来て、軽やかな掛け心地とムレない快適さを実現。

特徴3:家庭洗濯でいつまでも清潔・消臭

気軽に家庭洗濯できるため、布団の奥までしっかり洗うことで汗の嫌な臭いも気になりません。

ブレインスリープ コンフォーター パーフェクト クール EX購入ボタン

ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズ

ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズイメージ画像

『ブレインスリープ コンフォーター オールシーズンズ』は、宇宙服のために開発された革新的な調温技術を採用。独自のマイクロカプセルが温度変化に応じて個体と液体に変化し、吸熱、蓄熱、放熱を繰り返します。

特徴1:暑い時は涼しく、寒い時は暖かい

暑い時は余分な熱を吸収し、寒い時は貯蓄した熱を放出するので、寝床内の快適温度(33℃±1℃)をキープ。さらに、接触冷感と暖かい起毛素材のリバーシブル構造なので、夏は涼しく、冬はインナーケットとして、一年を通して使用することができます。

特徴2:リバーシブル構造で365日手放せない

季節に合わせて生地の表裏を使い分けることができます。 暖かい季節はさらっとした接触冷感生地を肌側に、寒い季節は柔らかくてなめらかなピーチスキン生地でやさしく包み込みます。

特徴3:イージーウォッシュで毎日清潔に

家庭用洗濯機で丸洗いができるので、いつでも気軽に洗えて清潔です。

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朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...