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あなたの睡眠は脳まで休めてる?新常識「脳眠」のすゝめ

睡眠コラム

あなたの睡眠は脳まで休めてる?新常識「脳眠」のすゝめ

「人はなぜ眠るんだろう?」 「質の良い睡眠の意味とは?」 と考えたことはないでしょうか?

睡眠は疲れをとるためだと漠然と理解している方は多いですが、睡眠の本質についてしっかりと理解している方は少ないです。ただ体を休めるだけだと思っている方も多いと思います。

確かに、睡眠について学ぶ機会は少なく、当たり前のことすぎてなかなか調べようとも思いませんよね。今から70年前頃までは、睡眠は受動的な行動・意識状態だと考えられていました。

すなわち、部屋が暗くなったり、静かになったりすれば、 人や動物は外界に反応して自然に眠ると考えられていたのです。

ところが、その頃さかんに行われた動物実験では、外界の状況に反応して動物が寝たり起きたりすることはなく、睡眠・覚醒は脳が制御する行動・意識状態で、脳の自発的活動によって調節されていることが初めて分かりました。

脳内には、覚醒や睡眠時に活動が高まる神経細胞が存在し、それらの活動の増減により睡眠・覚醒が生じることが分かったのです。

また、ほぼ同時期にレム睡眠が発見され、
睡眠は単なる休息ではなく、睡眠中に脳は起きているときにできない脳と体のメンテナンスを行っている ことも分かりました。

いわゆる近代の睡眠研究の幕開けです。

私達は、「睡眠は体の単なる休息ではなく、睡眠中にも脳は自発的に眠りながらも重要な生理機能を担っている」ということに注目して、脳が自ら眠ること、すなわち、「脳眠」(ブレインスリープ)という言葉を提唱し、令和元年に私達が設立した会社の名前にも冠しました。

今回は、そんな 睡眠の新たな概念である「脳眠」に注目し、睡眠の意味について解説していきます。

この記事を読めば、睡眠の本当の意味について理解することができ、睡眠と上手く付き合うことができますよ!


1.睡眠は未知の領域でまだまだ分からないことが多い分野

グラフの写真

最近では睡眠への関心が高まり、様々な本なども見かける機会が増えましたよね。
睡眠に関して悩んでいる方も多く、注目されている分野でもあります。

しかし、睡眠について研究が進んでいる現代ですが、まだまだ分かっていないことが多いのも現実。
それもそのはずで、睡眠が研究分野として考えだされたのが、ほんの70年ほど前だからです。

レム睡眠中には、起きているときと同じように、脳の運動野や視覚野が活発には働いていて夢をみます。
記憶の定着や消去にも睡眠が重要であることも分かり、さらには入眠直後の深いノンレム睡眠に体の発育や、修復に重要な成長ホルモンが分泌されることが分かりました。

寝る子は育つだけでなく、寝る子は賢くなる可能性があります。
また、睡眠の機能が明らかになるとともに、不眠症、過眠症、睡眠時無呼吸症候群などの種々の睡眠障害が存在することも明らかになってきましたね。

近年、睡眠障害の患者は増えており、特に日本では睡眠障害は国民病とも呼ばれています。

このように、睡眠は解明されたことも増えましたが、睡眠医学はまだまだ若い学問ですので、
睡眠研究者としての立場からみても睡眠についてはっきり分かっていることは全体の10%にも満たないと思っています。

現に新しい発見も未だに増えてきており、謎は深まるばかり。
睡眠についての研究は日々進んでいるものの、分からないことも多い分野なのです。

2.睡眠の新常識!「脳眠」とは一体どんなこと?

人の脳のイラスト

今回の主題でもある「脳眠」は眠っている間にも、脳がしっかりと機能して、睡眠中にしかできない重要な役割を果たしている事を言います。
すなわち、「脳眠」は良質で熟睡でき、脳も体もリフレッシュできる睡眠を指すのです。

「睡眠」と一言で言っても、ただ寝ているだけで、ちゃんと睡眠がとれているのかと言うとそうではありませんよね。
同じ時間睡眠をとっても、疲れがとれている時とそうでない時があるという違いを経験した方も多いでしょう。
それは睡眠の質に原因があります。睡眠にも質の良し悪しがあり、質の良い睡眠をとっている方が、翌日起きた際に満足感を得やすいのです。

睡眠の質に関しては別の記事で詳しく解説しているので、そちらをご覧ください。
睡眠は体を休めることに意識が向いてしまいがちですが、脳が休まる、つまり脳が眠ることが睡眠の質を高める上では非常に大切なのです。

この脳眠がとれているのと、とれていないのでは大きな差があります。脳眠については、後ほどさらに詳しく解説していきますね。
脳眠の解説の前に、基本的な睡眠がどんな役割を持っているのかおさらいしておきましょう!
案外知られていない役割もあるので、要チェックです。

3.睡眠(脳眠)はなぜ必要?5つの役割を振り返ろう

クエスチョンマーク

睡眠が必要な理由は脳と体の両方に関係していて、大きく5つあります。
ぐっすりと眠った次の日は体も軽く、頭が冴えているように感じたことはないでしょうか?

そう感じる理由は睡眠の質が高く、脳も体もしっかりと休まったからだと言えます。

睡眠の質が高くなれば、翌日のパフォーマンスも向上するのです。

特に眠り始めの90分は重要。寝ている時間の中で最も深い睡眠がとれるので「黄金の90分」と呼ばれています。
この黄金の90分をしっかりととることで、睡眠の質も変わるというわけですね。

質の良い睡眠をとることで翌日のパフォーマンスが上がるだけでなく、長期的に脳と体、そして精神面の健康に繋がるでしょう。
では、なぜ質の高い睡眠をとると良いのか。それは睡眠が持っている役割を知ることで見えてくるはずです。

早速5つの役割を見ていきましょう!

3-1.脳と体を休める:睡眠と言えばコレ!

アイマスクを付けて寝る女性

睡眠の役割の中で最も重要なのが休息です。
疲れをとるためには寝ることが大切だと考えている方は多いですよね。その通りです。
ただ、「睡眠=休息」だけではないということは覚えておいてください。

人の体では、無意識に自律神経が常に働いていますが、この自律神経について知ることが睡眠には大切です。

「交感神経」と「副交感神経」という言葉を知っている方は多いのではないでしょうか。
それぞれには優位働いている時間があり、交感神経は活動モード、副交感神経はリラックスモードとして知られていますね。

日中は交感神経が優位になり、ノンレム睡眠中や食後には副交感神経が優位になります。
レム睡眠は体を休息させている状態ですが、ノンレム睡眠は脳まで休息を与える貴重な時間です。
そのため、睡眠前にはこの副交感神経へのスムーズな切り替えが大切になります。

上手く切り替えることができないと深い眠りにつくことができません。
そうなるとノンレム睡眠が最も深くなる、黄金の90分もしっかりと活用できないことに。
脳と体をしっかりと休ませられる状態にして、睡眠の質を上げましょう。

3-2.記憶の整理や定着:テスト前の一夜漬けは逆効果

英語の本とノート

特定の睡眠段階で記憶が定着すると言われることがありますが、実は研究グループによって様々な意見があり、完全には統合されていません。

また、記憶の過程は複雑で、簡単に単純化できないことも多いです。

しかし、学習後に睡眠をとることで記憶の定着が進むという知見は多くあります。
レム睡眠とノンレム睡眠で整理・定着される記憶は異なると考えられており、以下のように分けることが可能です。

  • レム睡眠はエピソード記憶を定着させる(いつどこで何をしたか)
  • 浅いノンレム睡眠では体で覚える記憶の定着させる(運動や楽器演奏など体の記憶)
  • ノンレム睡眠やレム睡眠中に嫌な記憶を消去する

レム睡眠とノンレム睡眠は寝ている間に4~5回ほど切り替わるので、記憶が徐々に整理され定着するというわけですね。

上記のように睡眠は記憶の定着に欠かせないものだと言えるでしょう。

また、最近では黄金の90分に海馬から大脳皮質に情報が移動し、記憶の定着に関わるといった報告もなされています。

3-3.ホルモンバランスを整える:睡眠は最高の美容法

顔を触る女性

睡眠不足になると肌の調子が悪くなっているように感じたことはありませんか? それは睡眠時に多く分泌されるホルモンが、足りていないからかもしれません。

睡眠時にはグロースホルモンという、いわゆる成長ホルモンが分泌されます。筋肉や骨、皮膚の成長、修復には大切なホルモンで、このホルモンにより代謝が正常に機能するのです。

グロースホルモンは黄金の90分に最も多く分泌されることが知られています。

同様に生殖行動に関係するプロラクチンなんかも、黄金の90分に多く分泌されることは覚えておきましょう。

これだけではありません。他にも睡眠が影響を与えるホルモンバランスがあります。

それは食欲抑制するレプチンと食欲を増進するグレリンです。睡眠不足になると、レプチンが減少し、グレリンが増加することが分かっています。

つまり、食欲が抑えきれなくなってしまうというわけですね。そうなると当然、太りやすくもなります。レプチンとグレリンに関しては別の記事で詳しく書いているので、ぜひ読んでみてくださいね! 上記のように睡眠とホルモンバランスは密接な関係にあり、睡眠は最高の美容法だと言えるのです。

3-4.免疫力の向上:睡眠で風邪予防

おでこを触る女性

睡眠は免疫力の向上にも一役買ってくれます。

「風邪を引いたら寝て治す」ということは昔から言われていますが、これは免疫力向上と休息という面で理に適っているわけです。

睡眠不足になると体調を崩しやすくなる理由も、ホルモンバランスの乱れで免疫の働きがおかしくなるため。睡眠不足であると、風邪やインフルエンザの罹患率も高くなりますね。

実際にインフルエンザの予防接種を受けても、睡眠がとれていなければ効果が認められないという報告も上がっています。

風邪を引いたら寝るということも大切ですが、風邪を引かないようにするためにも睡眠は大切なのです。 もちろん、風邪だけでなくアレルギーや他の疾患にも免疫力は欠かせないので、日頃からしっかりと睡眠をとることは意識したいですね。

3-5.脳の老廃物の除去:睡眠中に一気に掃除

脳のイラスト

意外と知られていない睡眠の役割に脳の老廃物を除去するというものがあります。

脳の老廃物?と疑問に思う方も多いですよね。脳は「脳脊髄液」という液体によって守られています。

この脳脊髄液によって振動などがあっても、脳が頭蓋骨に直接ぶつからないのです。
そして脳脊髄液はずっと同じ液があるわけではなく、1日の中で4回程度入れ替わっています。入れ替えの際に脳の老廃物も一緒に除去される仕組みですね。

通常、脳の老廃物は脳を活発に使う覚醒時に溜まることが分かっています。脳脊髄液の入れ替えは日中も行われていますが、それだけでは老廃物が溜まる量に追いつきません。

そこで、一気に老廃物を整理するメンテナンスを比較的、脳が使われていない睡眠中に行います。 つまり、脳の大掃除タイム。この大掃除が正常に行われないと、老廃物が溜まっていきアルツハイマーの原因にもなります。

直接的な原因ではないですが、危険因子であることは確かです。こういったことからも、睡眠中に行われる脳の老廃物の除去は大切だということが分かりますね。

4.睡眠は体を休めるだけじゃない!脳も休めてこその脳眠

寝ている女性の写真

睡眠の5つの役割を見てきましたが、体を直接休める役割の他に脳にも関係していることが分かりましたね。体も脳もしっかり休めてこその脳眠なのです。

実感しやすいのが、体の疲労が抜けているということであるが故に、そこばかりに注意がいってしまいがちですよね。
しかし、記憶の定着や老廃物の除去などにも効果があるのは、数々の研究からも分かっています。

目に見えて分かるものではありませんが、意識をすれば「確かに頭がスッキリして冴えている!」となることもあるはず。
よく寝た日とそうでない日を意識的に比べてみると分かりやすいでしょう。

忙しい現代の人は放っておくと脳も体も酷使してしまいます。 際限なく働いたり、勉強をしたりしていると睡眠を削ってしまいがちなになるのは日本人の悪いクセです。そうならないためにも、意識的に休むことが必要になります。

脳も体も休めることで日々のパフォーマンスを上げていきましょう!

5.睡眠中に脳で起こっていることとは?~脳眠の働き~

考える男性の写真

睡眠は脳にも体にも重要ですが、実際に寝ている際には脳にどのようなことが起こっているのでしょうか。

睡眠中に脳で起こっていることは、シナプスの整理や脳内の老廃物の除去などです。

体のように成長が目に見えて分かったり、傷が治ったりするわけではないので感じにくい部分ではありますが、起こっていることを理解することは大切です。

早速見ていきましょう。

5-1.睡眠中に脳ではシナプスの整理が行われている

シナプスのイラスト

人は眠ることでシナプスの整理がされます。

シナプスとは、神経情報を出力する側と入力される側の間に発達した、情報伝達のための接触構造です。
人それぞれの環境や経験によってシナプスの数は変化し、記憶力に差をつけます。

そんなシナプスの樹状突起をレム睡眠に刈り込むことが分かってきました。 刈り込みにより、数が減ることで繋がりが整理され、強化されます。

つまり、学習したことが記憶されやすくなるのです。

こういった整理・強化は特に発育期の小児に大切ですが、大人でも同様の変化が起こっています。

5-2.睡眠中の脳のお掃除!グリンパティック・システム

大きいシナプスのイラスト

先述したように睡眠中は脳の老廃物を除去するメンテナンスの時間です。

この働きを「グリンパティック・システム」と呼びます。
通常、体内の老廃物はリンパ系に集まり、体を循環して尿として排出されます。

俗に、リンパ腺のマッサージで皮膚のゴツゴツしたものが取れるかもと言いますが、末梢の場合、それらに老廃物が含まれているような表現です。
しかし、脳にはリンパ系が通っていません。

その代わりに脳脊髄液があり、老廃物を洗い流しています。この仕組みがグリンパティック・システムです。

老廃物の除去は日中の活動している時間にも行われますが、睡眠中にはこの働きが4~10倍になります。

これだけの働きを、睡眠を十分にとらないことで、逃してしまうと老廃物はどんどん溜まっていくことになるのです。
しっかりと老廃物を除去するためにも睡眠は大切ですね。

6.脳の発育に睡眠は必要不可欠!

寝ている赤ちゃんの写真

さて、睡眠は体だけではなく、脳とも密接に関わっていることが分かりました。

大人になってからも重要ですが、脳の発育が急速に行われる成長期には特に重要です。

ただ、「早く寝なさい」とは言われるものの、なぜかを説明してくれる大人はそう居ません。
それはそもそも、そういった知識がない大人が多いため。<
そこで、睡眠を対する意識を高めようとする教育が近年始まってきました。

それは「眠育」と呼ばれ、徐々に広がりつつあります。眠育がどんなものなのか紹介していきますね。

6-1.日本中に広がっている「眠育」に注目!

教室の写真

眠育は各地で行われてきましたが、その代表が大阪府堺市の眠育です。

眠育は規則正しい生活で睡眠がしっかりと、とれていない、特に夜更かし傾向でリズムが後ろにずれ、朝起きるのが辛くなり不登校に繋がる例が多いことから始められました。 『「みんいく」ハンドブック』なるものを低学年、中学年、高学年と分けて配り、それぞれの年齢に合わせて睡眠の大切さや問題をまとめています。

眠育を始めてから不登校などの問題は3年で30%も減ったそうです。
このように、しっかりと効果も出てきてきたので、眠育は広がってきています。

小学校や中学校だからこそ、教育の中に取り入れやすいですが、大人にもこういった機会は大切なはず。
海外ではオフィスに仮眠室を用意したり、昼寝の時間を休み時間とは別に設けたりしている企業も多いです。

徐々に睡眠の大切さが、一般の方にも広がってきている証拠ですね。日本でも少しずつではありますが、こういった企業が増えつつあります。
眠育で睡眠に関する意識の底上げができれば、将来はもっと睡眠と上手く付き合える人が増えるでしょう。

6-2.正しい睡眠の知識を得られれば人生が変わる

ホワイトボードに文字を書く女性

睡眠を1日に8時間とると考えると、人生の1/3は睡眠に費やしていることになります。

それだけの時間を使うのにも関わらず、睡眠に関して学んでいる方は少ないです。

もしも、睡眠について理解を深めたら、人生の1/3が大きく変化します。 寝ている時間だけでなく、その後のパフォーマンスの向上にも繋がることを考えれば、それ以上に効果は得られるでしょう。

睡眠と記憶の関係について知っていれば、一夜漬けをせずに済んだかもしれません。
「大人になった今からでは遅い」と思う方もいると思いますが、そんなことはないです。

睡眠により免疫力が向上し、風邪で寝込むことが少なくできるかもしれませんし、しっかりと眠ることで仕事のパフォーマンスが上がるかもしれませんね。

毎日とる睡眠だからこそ、いつ勉強を始めても遅いということはないのです。
正しい睡眠の知識を得て、今までよりも素敵な生活を送りましょう。
しっかりと睡眠をとるメリットをまとめた記事もあるので、読んでみてくださいね!

7.取捨選択が大事!睡眠に関する情報は曖昧なものも多い

紙とペンの写真

睡眠に関しての情報は近年注目されていることもあり、目にする機会が増えました。

しかし、中には根拠の乏しい首をかしげたくなるような情報もあるのが現状ですね。

睡眠に関する知識は一般的ではないことから、ついネット上の情報を鵜呑みにしてしまいがちですが、それは危険です。
正しいと思ってやっていることでも、実は間違っているということもあります。

例えば、「睡眠中に靴下を履く」という行為。結構実践されている方も多いですよね
ただ、足から熱を放線させて深部体温を下げるという観点から見ると、就寝中は靴下を履かない方が良いのです。

というように日常的に行っていることが、逆に睡眠の妨げになっていることもあるので注意しましょう。

情報は鵜呑みにするのではなく、しっかりと取捨選択をすることが大切です。

どういうスタンスによって書かれた情報なのか、エビデンスは残されているのか、あなたがその情報をどう活かしたいのかを考えて選択しましょう。

そうすることで、睡眠に関する真の情報を知ることができ、間違った道に進むことがなくなりますよ!

まとめ:新常識「脳眠」を活用して最高の睡眠習慣を

クッションに寝ている女性の写真

睡眠は脳と体の両方に関わっていることが分かりましたね。

「今まで体が疲れているから寝よう」と考えていたのに加え、「脳が疲れているから寝よう」となるのが理想的です。

体だけでなく脳もしっかりと休める「脳眠」意識すれば、生活も変わってくるでしょう。

最後に今回の記事をまとめておきますね。

  • 脳眠とは体だけでなく脳もしっかりと休めていて、深い睡眠がとれていること
  • 睡眠には大きく5つの役割がある
  • 睡眠中に脳ではシナプスの整理が行われている
  • グリンパティック・システムによって脳内の老廃物が寝ている間に除去される
  • 眠育などにより、正しい睡眠の知識を得られれば人生が変わる

睡眠は人にとって、切っても切れない関係にあります。
寝ようと思っていなくても、眠くはなりますし、寝ることが大好きだという方も多いですよね。

しかし、上手く付き合えていないと日々のパフォーマンスにも影響してきます。

逆を言えば、付き合い方さえ知ってしまえば、上手く生活に役立てることができるのです。

自分で意識するのはもちろんですが、きちんと脳眠をとるためにもパートナーや家族など同室、同じベッドで寝ている場合は、相手の眠りを妨げないようにすることも大切になってきます。 先に寝ているのであれば、なるべく物音はたてないようにしたり、強い明かりをつけたりしないように気をつけましょう! お互いに配慮し合うことで、より良い睡眠生活が送れるはずです。

脳眠がしっかりと、とれるようにこれを機に睡眠習慣について見直してみてくださいね。








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朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

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朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...