最高の睡眠メソッド

睡眠の質を上げる「最高の睡眠メソッド」10ヶ条まとめ

睡眠コラム

睡眠の質を上げる「最高の睡眠メソッド」10ヶ条まとめ

#快眠・安眠

あなたは最高の睡眠を取れていますか? 多くの人は、なかなか寝付けない、しっかり寝たのに眠い・疲れが取れない、途中で目が覚めてしまう、スッキリ起きられない、日中眠くなる事が多い、いびきが酷いなど、何かしらの悩みを抱えているのではないでしょうか。

多くの人が悩みを抱える睡眠

SLEEPのイラスト

私たちは、健康になるための栄養バランスの取れた食事や、ダイエットのためのトレーニングやストレッチ法、ダイエットグッズ、美容のための化粧品、頭を良くするための勉強法・暗記術などに気を配る一方、殆どの人は毎日欠かさずする“睡眠”についてはそれほど気にかけてないと思います。

また、悩みを解決しようと情報収集をしても、巷には不正確であったり、誤った情報が沢山あり、誤った情報をもとに睡眠改善プログラムを実践した結果、変わらないならまだしも悪化してしまうこともままあります。

そこで、睡眠研究の総本山であるスタンフォード大学で睡眠に関する研究所の所長を務める西野精治先生(スタンフォード大学医学部教授、スタンフォード大学睡眠生体リズム研究所所長)がオススメする、「最高の睡眠メソッド10ケ条」を紹介します。

最高の睡眠とは?

自然の中で手を広げる女性

ちなみに、最高の睡眠とは何だと思いますか? 最高の睡眠とは、「脳・体・精神」を最高のコンディションに整える、「究極的に質が高まった睡眠」のことです。睡眠時間の長さではない点に注意して下さい。

短すぎても体に良くないですが、長すぎても良くないという研究結果も報告されています。 また、睡眠と覚醒(パフォーマンス)は表裏一体で、最高の睡眠を取れば、最高の覚醒(パフォーマンス)を得られます。

反対に、良くない睡眠だと良くない覚醒(パフォーマンス)となってしまいます。人生の1/3の時間を費やす睡眠は、残りの2/3の時間を活動的に過ごすための重要な準備/片付け時間に当たり、非常に重要であると言えます。

言い換えれば、睡眠を制する者が人生を制すと言っても過言ではありません。 “睡眠の質は何で左右されるか?” 睡眠の質は、眠り始めの90分で大きく左右されます。その最初の90分をいかに深く眠るかが重要なポイントです。

以下、1日を通じた睡眠メソッド(朝ノ巻・昼ノ巻・夜ノ巻)を紹介します。 是非、今日から試してみてください。

-Morning-

朝は主にその日一日の活動性を高めるため、覚醒を促進します。

第1条 起床時間を固定し、アラームは2段階で設定する

時計の写真

2度目のアラームは、1度目の20分後で設定しましょう。1回目の設定は、「ごく微音で短く」設定する事がポイントです。

例えば、11時に寝て7時には起きる場合、6時40分と7時にアラームを設定します。1度目のタイミングで起きれなくても大丈夫です。

深い睡眠時に無理に起こしてしまうと、目覚めてもぼーっとして目覚めが悪く頭が働きません。すっきり目覚めるためには浅いノンレム睡眠やレム睡眠時に起きる必要がありますが、朝方にはノンレム睡眠が短く、レム睡眠が長くなります。

健康な睡眠のパターンでは明け方には自然とレム睡眠や浅いノンレム睡眠が多くなり、1度目のアラームで起きれなくても、2度目のアラームで目覚めることが出来ます。

第1条の詳細はこちらから!

第2条 太陽の光を浴びる

太陽の光を浴びる女性

目が覚めたらまず最初にカーテンを開けて日の光を浴びましょう。

人の体内時計は24時間より少し長く、油断するとリズムが後ろ倒しになる傾向がありますが、朝の光を浴びることで、体内時計がリセットされ、そのズレを調整することが出来ます。

ですから、目が覚めたらまず最初に寝室のカーテンを開けて、太陽の光を浴びましょう。光を浴びることで、体に朝であること知らせ、体内時計が毎朝リセットされます。

太陽の光には、覚醒効果や気分の高揚効果もあり、日中に浴びることによるメリットは多いです。

また、晴れの日に限らず雨や曇りの日でも、充分な光量がありますので、日中はなるべく外で活動すると良いでしょう。

逆に、夜間、特に就寝前には強い室内灯を浴びないようにして、睡眠やリズム調節にかかわるメラトニンの分泌を光で抑制しないようにすれば、良眠がおとずれ、すっきりと目覚めることができます。

第2条の詳細はこちらから!

第3条 咀嚼を重視した朝食を摂る(あたたかい汁物があると更に良し)

朝食の写真

朝ご飯は、よく噛む必要のある食べ物を積極的に食べましょう。朝食を食べることには多くのメリットがあります。

咀嚼を重視した朝食を食べることで、感覚神経への刺激や咀嚼という運動を通じて覚醒が進んだり、一日の始めにエネルギーの補給が出来ます。

また、朝が一番脂肪が燃焼されやすいため、食事をしつつも朝食を抜くより肥満防止効果が高かったり、日の光を浴びることと同様に体内時計のリセット効果があったり、咀嚼により記憶力が向上したり、一日のメリハリが出来たり、等と良いこと尽くしです。

咀嚼性を高めるために、食材の切り方を大きめにしたり、白米に栄養価の高い雑穀米を混ぜるなどの一工夫でより効果的になります。

また、温かい汁物があると更に覚醒が効果的になります。覚醒には、臓器などのなる体内中心部の温度(深部体温)の上昇が必要ですが、温かい汁物は深部体温を若干上げるため、覚醒が進みやすくなります。

-Afternoon-

昼前後は眠くなりやすいですが、その際の対処法についてご紹介します。

第4条 パワーナップ(15分~30分程度の仮眠)をとる

仮眠をとる男性

日中(特に昼過ぎ)に眠くなることがありますが、眠くなったときに少し時間の余裕があるのであれば、睡眠圧に従ってパワーナップする事がお勧めです。

パワーナップとは15分~30分程度の仮眠のことですが、パワーナップによりリフレッシュされ、パフォーマンスが回復することは以前より分かっていましたが、パワーナップにより認知症(約1/7)や糖尿病のリスクが減少したり、疾患リスクも下げることは最近話題になっています。

但し、寝れば寝るだけ良いわけではなく、1時間以上の昼寝をした場合は、認知症リスクが2倍になってしまうという報告もあります。

数時間の昼寝をしてしまう場合は、睡眠リズムを崩してしまうだけでなく、睡眠負債が溜まっている証拠なので日頃の睡眠習慣を見直す必要があります。

第4条の詳細はこちらから!

第5条 冷たいものを持つ or 冷水で手や顔を洗う

顔を洗う男性

第4条では睡眠圧に従った行動としてパワーナップをお勧めしましたが、眠れる環境ではない場合も多いと思います。

眠気覚ましをして睡眠圧を軽減する別の方法として、ペットボトルなどの冷たいものを持ったり、お手洗いで手や顔を洗ったりしてみて下さい。ひやっとするこの刺激や皮膚温度の低下が、睡眠打破に効果的です。

他には、ミントなどのリフレッシュ効果のあるガムを噛んだり、カフェイン(覚醒成分)の入った飲食物(例えば:コーヒー、お茶、GABA入りチョコ)を摂ったりすることも効果的です。

また、一般に昼食の有無に関わらず、生体リズムの影響によって午後2時頃に眠くなる現象(アフタヌーンディップ)があります。

そのため、その傾向が強いのであれば、2時頃に重要なこと(会議、プレゼン等)を避けることはミスの予防策となります。

ただ、昼間によく眠気を感じるのは、睡眠負債が溜まっているためです。日中の眠気を改善するには、睡眠負債を解消することが重要です。

第5条の詳細はこちらから!

-Evening-

ここからは入眠までの準備として気を付けるべきポイントなどを紹介します。

第6条 冷やしトマト(深部体温を下げる食品)を食べる

トマトサラダの写真

前提として、栄養価のあるバランスの取れた食事を摂ることは大切です。偏った食事や暴飲暴食は、必要な栄養素が不足し、理想的なホルモン分泌や組織の再生がなされなかったり、消化不良や肥満、アルコール中毒、さらには生活習慣病などの疾患に繋がるため気を付ける必要があります。

また、睡眠には皮膚温度を上げ、深部体温を下げることが必要ですが、そのために体を冷やす作用のある食品を食べることがおすすめです。体を冷やす効果のある食材を冷やして食べればより効果的です。

一般的にはトマトやキュウリなどの夏にとれる野菜は体を冷やす効果があると言われています。 また、ダイエットなどで夕飯を抜くと、食欲増進および覚醒促進に働くオレキシンというホルモンが分泌され、入眠を阻害するため、なるべく軽くでも夕飯を食べるようにして下さい。

また、食べる際は、消化吸収のため就寝の2時間前までを目安にして下さい。

第6条の詳細はこちらから!

第7条 就寝90分前に入浴<炭酸泉> or すぐ寝るときはシャワーにする

入浴している女性

入浴ですが、就寝の90分前に入浴を済ませるのがお勧めです。体温には皮膚温度と深部体温がありますが、睡眠には皮膚温度と深部体温の差が縮まる(2℃以内)、つまり最終的に皮膚温度が高く深部体温が低くなることが重要です。

そのために、まず皮膚温度・深部体温を上げて、次に熱放散して深部体温を下げることが必要になりますが、入浴が最も効果的な手段になります。

90分前という時間は、通常の入浴で、一次的に上昇した深部体温が元の体温に戻るまでに要する時間です。元に戻った体温は、その後も下降していくため自然と眠くなります。

一般的には40度程度のお湯で、10-15分程度半身浴をするとよいですが、炭酸泉やナトリウム泉などがより効果を高めてくれます。

炭酸泉は、入浴後ののぼせ等の疲労感が生じにくいため、デメリットもなくお勧めです。 就床するまでに時間がないときは、深部体温の上昇を避けるため、シャワーにしましょう。

また、足湯の効果も絶大で、入浴と類似の効果が期待できます。

第7条の詳細はこちらから!

第8条 スマホ(電子機器)を排除する

リビングに集まる家族

つい就寝前も携帯やPCを触ってしまいがちですが、短い波長のブルーライトを浴びることで、覚醒度を上げ、睡眠ホルモンと呼ばれる“メラトニン”の分泌が抑えられ、眠りにくくなってしまうため、スマホやPCなど(LEDが使用されている電子機器類)を就寝前に触るのを控えましょう。

ブルーライトを軽減する夜間モードに設定して使用しても、スマホの操作により脳が覚醒し、眠る準備が整いません。

腹だたしいメールや、気になるメールを一通開けるだけで朝まで眠れないこともあります。 また、全体的に日本の家庭・レストランなどは照明が明るすぎる傾向があるため、暖色系の間接照明で空間を照らすように切り替えるとより睡眠に適した空間になります。

枕元の照明を付けたまま寝る人もいますが、実験的には一般的な夜光(約10ルクス)でもメラトニンの合成阻害を引き起こすため、フットライトや離れたところでの小さな間接照明などにするのが適切です。

第8条の詳細はこちらから!

第9条 入眠時間を固定する

入眠時間のイラスト

良い睡眠習慣によって、眠り始めの90分で深い睡眠が取れ、疲れがとれ脳のゴミが排泄されます。入眠時間を固定することにより、入眠直後に深い睡眠が出現します。

しかしながら、飲み会や残業、プライベートな用事など、毎日同じ時間に入眠するのは難しいこともあるかと思います。それらを考慮して、自分の基本の寝る時間「入眠定時」を設けると良いでしょう。

また、明日が早いからいつもより早く寝ようとしても、なかなか寝られない経験がありますが、それは入眠の直前に脳が眠りを拒否する「フォビドンゾーン(進入禁止域)」に強く影響されている可能性が高いです。

不思議な現象ですが、通常就寝する時間の直前から2時間前ぐらいまでが最も眠りにくいとされています。そのため、翌日が早い時は、睡眠時間が少し短くなりますが、寝る時間はいつも通りで起きる時間を早めれば、入眠しやすく且つ深い睡眠がとれ、睡眠の質が確保されます。

第9条の詳細はこちらから!

第10条 裸足で寝る&靴下は脱ぐ

はだしのイラスト

特に冷え性の人は寒くて寝れないために、靴下を履いて寝ようとしますが、それは逆効果です。靴下を履いて寝たりすることはやめましょう。

少なくとも寝る直前までに脱いで下さい。 入眠には、手足から熱を逃がすために皮膚温度が高くなることが必要ですが、靴下を履くと足に熱がこもり、熱が逃げません。

冷え性の方は、マッサージや靴下を履くことで足を充分温めた後、靴下を脱いで入床して下さい。 靴下よりも効果的で入浴に似た効果が期待できる“足湯”も効果的です。入浴と異なり、深部体温を上げるのではなく、熱放散へのアプローチなので、寝る直前に行うのがおすすめです。

また、日頃の運動不足や不摂生な食生活、過度な禁煙・飲酒など、血行が悪くなり冷えに繋がるため、根源的な冷えの原因の解決を行なうことも大切です。
第10条の詳細はこちらから!

カウンセリングの様子

睡眠に悩んでいる方はまずは上記10ヶ条を取り入れてみて下さい。症状が重い場合やあまり改善がみられない場合は、速やかに睡眠専門医の診察を受けましょう。

一覧に戻る

コメントを残す

コメントは公開前に承認される必要があることにご注意ください。

PICK UP

RELATED ARTICLE

関連記事

PICKUP ARTICLE

編集部おすすめ

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

モニターの光に照らされて、ひとりの男性がコントローラーを握っている。マゴ選手。格ゲー界で40歳になった今も現役で活躍し続ける彼にとって、この空間は単なる仕事場を超えた、人生そのものの舞台なのだ。 「足も遅いし、特別顔がかっこいいとか、学校内で人気があったとか、そういう才能もなかった。でも格ゲーだけは、なんか人よりもちょっと上手いっぽかった。」 そんな想いから始まった格ゲーとの出会い。 初めて見つけた「自分だけの強み」 ──格ゲーとの出会いを教えてください。 マゴさん: 兄貴がいたっていうのが大きかったですね。兄貴がゲーム好きで、スーパーファミコンとかゲームボーイとかが家にあったんです。兄貴が楽しそうにやってるのを見てて、すごくやりたくなって。 でも兄貴がゲームしてる時、俺が後ろで見てると、親には「ゲームやってる」ってカウントされちゃうんですよ。だから「俺もやりたい」って言うと「あんたもうやってたでしょ?」って(笑)。全然やらせてもらえなかった。 そんな時に格ゲーが出てきて、兄貴が「一人じゃつまらないから、お前もやれよ」って。それが唯一ゲームに触れられるチャンスでした。 ──見てるだけでもプレイしたことになるなんて、厳しい環境だったんですね(笑)。 マゴさん: 兄貴がいた分だけ、他の人よりちょっと上手くて。それまで俺って、自分で誇れるものがなかったんです。足も遅いし、特別モテるわけでもないし。でも格ゲーだけは人より上手かった。初めて「これなら人に勝てる」って思えるものができて、そこでのめり込みましたね。 進学塾よりゲーセンに魅力を感じた少年時代 マゴさん: うちは教育熱心な家庭で、家庭教師をつけてもらったり、地元の塾や横浜駅の進学塾にも通ってました。塾の人には「繁華街は通っちゃダメ」って言われてたんですけど、「近いからこっちの方がいいじゃん」って通ってたら、ゲーセンに寄り道しちゃって。気がついたら塾にたどり着かずにゲーセンにいました。 親からタバコを買いに行くお使いを頼まれた時も、ゲーセンに寄り道してからタバコ屋に行く。当然時間もかかるし、お釣りの一部はゲーム代に消えちゃう。親もわかってたと思いますけどね、そんな感じでやってました。 ──完全にゲーセンの誘惑に負けましたね(笑)。親御さんも気づいてたんでしょうね。 マゴさん: 親もわかってたと思いますけどね。でも、そんな感じでやってました。 プロという概念がない時代の人生選択 ──プロゲーマーになろうと思ったのはどういった経緯だったのですか? マゴさん: 当時はプロシーンなんて概念がなかったんです。だから本当に人生捨ててゲームやってるぐらいの感じで。25、6歳になっても将来どうするかわからなくて、周りからも心配されました。 でも俺的には、自分が生きていくだけのお金さえ稼げて、ゲームする時間が確保できれば、それでいいなって思ったんです。会社に入って出世するとか、お金を儲けるっていうことが、自分の中の幸せではないって。これは諦めっていうより、踏ん切りですね。 そんな時に日本でプロシーンが始まって、幸い当時国内でも強かったので声がかかって、プロになったという感じです。ゲームに対して一生懸命であることが、自分にとって幸せなのかなって思いました。 ──まさに時代の流れとマッチしたタイミングでしたね。自分なりの幸せの価値観を持っていたからこそですね。 マゴさん: そうやっていたら、幸い当時は日本国内でもかなり強いプレイヤーだったので声がかかって、プロになったという感じでした。 プロになって直面した「逃げ場所の消失」 ──プロになって苦労したことは?...

情熱だけは、眠らせない。-プロゲーマー・マゴが語る「好きなことで生きる」ということ

モニターの光に照らされて、ひとりの男性がコントローラーを握っている。マゴ選手。格ゲー界で40歳になった今も現役で活躍し続ける彼にとって、この空間は単なる仕事場を超えた、人生そのものの舞台なのだ。 「足も遅いし、特別顔がかっこいいとか、学校内で人気があったとか、そういう才能もなかった。でも格ゲーだけは、なんか人よりもちょっと上手いっぽかった。」 そんな想いから始まった格ゲーとの出会い。 初めて見つけた「自分だけの強み」 ──格ゲーとの出会いを教えてください。 マゴさん: 兄貴がいたっていうのが大きかったですね。兄貴がゲーム好きで、スーパーファミコンとかゲームボーイとかが家にあったんです。兄貴が楽しそうにやってるのを見てて、すごくやりたくなって。 でも兄貴がゲームしてる時、俺が後ろで見てると、親には「ゲームやってる」ってカウントされちゃうんですよ。だから「俺もやりたい」って言うと「あんたもうやってたでしょ?」って(笑)。全然やらせてもらえなかった。 そんな時に格ゲーが出てきて、兄貴が「一人じゃつまらないから、お前もやれよ」って。それが唯一ゲームに触れられるチャンスでした。 ──見てるだけでもプレイしたことになるなんて、厳しい環境だったんですね(笑)。 マゴさん: 兄貴がいた分だけ、他の人よりちょっと上手くて。それまで俺って、自分で誇れるものがなかったんです。足も遅いし、特別モテるわけでもないし。でも格ゲーだけは人より上手かった。初めて「これなら人に勝てる」って思えるものができて、そこでのめり込みましたね。 進学塾よりゲーセンに魅力を感じた少年時代 マゴさん: うちは教育熱心な家庭で、家庭教師をつけてもらったり、地元の塾や横浜駅の進学塾にも通ってました。塾の人には「繁華街は通っちゃダメ」って言われてたんですけど、「近いからこっちの方がいいじゃん」って通ってたら、ゲーセンに寄り道しちゃって。気がついたら塾にたどり着かずにゲーセンにいました。 親からタバコを買いに行くお使いを頼まれた時も、ゲーセンに寄り道してからタバコ屋に行く。当然時間もかかるし、お釣りの一部はゲーム代に消えちゃう。親もわかってたと思いますけどね、そんな感じでやってました。 ──完全にゲーセンの誘惑に負けましたね(笑)。親御さんも気づいてたんでしょうね。 マゴさん: 親もわかってたと思いますけどね。でも、そんな感じでやってました。 プロという概念がない時代の人生選択 ──プロゲーマーになろうと思ったのはどういった経緯だったのですか? マゴさん: 当時はプロシーンなんて概念がなかったんです。だから本当に人生捨ててゲームやってるぐらいの感じで。25、6歳になっても将来どうするかわからなくて、周りからも心配されました。 でも俺的には、自分が生きていくだけのお金さえ稼げて、ゲームする時間が確保できれば、それでいいなって思ったんです。会社に入って出世するとか、お金を儲けるっていうことが、自分の中の幸せではないって。これは諦めっていうより、踏ん切りですね。 そんな時に日本でプロシーンが始まって、幸い当時国内でも強かったので声がかかって、プロになったという感じです。ゲームに対して一生懸命であることが、自分にとって幸せなのかなって思いました。 ──まさに時代の流れとマッチしたタイミングでしたね。自分なりの幸せの価値観を持っていたからこそですね。 マゴさん: そうやっていたら、幸い当時は日本国内でもかなり強いプレイヤーだったので声がかかって、プロになったという感じでした。 プロになって直面した「逃げ場所の消失」 ──プロになって苦労したことは?...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。 - プロサーファー松岡亜音が語る「波が見える瞬間」

朝5時。多くの人がまだ眠りについている時刻に、ひとりの女性が海に向かう。松岡亜音。19歳でありながら、すでに日本サーフィン界の未来を背負って立つ存在として注目される彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「波があると5時ぐらいに起きて、ご飯を食べる前に朝サーフィンして」 そんな彼女の一日は、常に海と共にある。 海辺で生まれた自然な情熱 ──松岡さんとサーフィンとの出会いについて教えてください。 松岡さん: 私は千葉県の南房総市の千倉というところで生まれ育って、海岸の目の前に住んでいたんですけど、両親がサーフショップを営んでいて、そこから自然と、もう6歳の時から海で遊んで、砂遊びやボディボードをやっていました。もう覚えていないくらい小さい頃から、気がついた時にはもう板の上に立っていたという感じで、両親の影響が大きくてサーフィンを始めました。 初めて大会に出たのが4歳の時で、サーフショップのプッシュクラスで2番でした。その翌年の5歳の時に優勝できて、そこからすごく楽しいって思って本格的に始めました。 ──ご家族も皆さんサーフィンを? 松岡さん: 一人っ子なんですけど、父はもうガンガンサーフィンをしていて、母も夏とかたまにサーフィンをする、サーフィン一家です。自然とやるようになりましたね。 厳しい練習の中で育まれた強さ ──ここまで情熱を注ぐようになった背景を教えてください。 松岡さん: やっぱりその初めて優勝した時とか、あとサーフィンはもちろん大会だけじゃなくて、大きい波に乗った時の景色とか、日常生活では味わえない感覚がもう染み付いて、成功した時の喜びがあるから、もっともっとっていう気持ちがすごく強くて。 もちろん大会で優勝して、まず目標はワールドチャンピオン争いに入ることが今の目標なんですけど、その前にサーフィンがすごく楽しいっていうことで大好きなのでやっています。 ──苦労された時期もあったと伺いました。 松岡さん: めちゃめちゃあります。サーフィンを嫌いになることはなかったんですけど、父がかなり厳しくて、ずっと2人三脚でやってきたので。 小学校3年生くらいの時から一年中サーフィンをやり始めて、試合にもどんどん出始めました。でも最初は中高生には勝てないので、試合では負けたり、練習の時に乗れなかったりしたら指導が入って、その時にやっぱりきついことを言われたりとか。もちろん世界を見ていたので、それは承知なんですけど、次の日に学校に行って目が腫れていると「お父さんに怒られたんでしょう」ってお友達に言われたりとか、そういうのがしょっちゅうで、怒られた時の辛さはありました。 でも、そのおかげでメンタルも多分強くなったと思うし、今があるのですごく感謝しています。 10歳での海外挑戦が開いた世界への扉 ──世界を意識するようになったきっかけは? 松岡さん: 10歳の時に初めて海外に行ったんです。一人で約2週間、カリフォルニアに行って、そこから毎年行くようになったんですけど、衝撃を受けました。同い年の子がすごくたくさんいて、自分より年下の子たちも、みんな毎週末試合をやって切磋琢磨していて、そこで毎回入賞できて、自分のサーフィンにもすごく自信がついて。 海外の同い年の女の子と友達になって、毎年行くようになって、英語も徐々に話せるようになって。今ではそのワールドツアーの2番目のCSっていうのを回っているので、割と若い頃から海外に行ってそこを見ていたからっていうのもあると思います。 ──10歳でカリフォルニアに一人で行くなんて、自分は想像できません(笑) 松岡さん: 向こうの日本人の方の受け入れ先があったので、最初は日本語で全然問題なく受け入れてもらいました。12歳以下の子は飛行機で一緒についてくれるガイドの人がいたりとか、最初はすごく緊張したんですけど、でも全然問題なく大丈夫でした。 最初は泣いちゃって、やっぱり緊張と怖さがあったんですけど、行ってからはもうそんなの忘れていましたね。...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...