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あなたの睡眠状態を可視化!ブレインスリープ コイン(アプリ&デバイス)をご紹介

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あなたの睡眠状態を可視化!ブレインスリープ コイン(アプリ&デバイス)をご紹介

#スリープテック

『BRAIN SLEEP(ブレインスリープ )』では、睡眠に関するご要望やお悩みを解決するために、様々な商品を展開しています。

その中から、あなたの眠りを進化させるデバイス&アプリ「ブレインスリープ コイン」をご紹介します!

ブレインスリープスタッフが実際に数日間試した測定結果や感想もご紹介しますので、ぜひ参考にしてみてください!

ブレインスリープ コインとは?

スマホの写真

ブレインスリープコインは、睡眠研究× AIの高度なアルゴリズムにより、自分ではわからない眠っているときの全てが解るデバイス&アプリです。

ブレインスリープ コイン(アプリ)

ブレインスリープ コインアプリの写真

アプリでは、睡眠研究により蓄積されたデータを基に独自開発したアルゴリズムを取り入れ、みなさまの睡眠の質を様々な項目で分析できます。
分析結果を基に、睡眠の質をアップできるのはもちろん、アプリを使用することで貯まる「スリープコイン」を、様々な商品やサービスのクーポンに交換することもできます。

ブレインスリープ コイン(デバイス)

ズボンにブレインスリープ コインを付けてる写真

「ブレインスリープ コイン(デバイス)」は、睡眠時にウエストに装着し、アプリと連携することで、アプリ単体の計測項目に加え、今までの睡眠計測デバイスでは見る事が出来なかった、寝姿勢・寝返りの回数・寝床内温度(布団の中の温度)など、睡眠の質にかかわる重要な項目の分析が可能になります。

装着しやすく外れにくい、シリコン製のクリップタイプで、柔らかく不快感がなく、睡眠中のストレスにもなりません。

※アプリのみでも無料でご利用頂けますが、スリープコイン(デバイス)と連携することによって、計測項目や精度が上がり、より正確な睡眠計測が可能になります。

ブレインスリープ コインの特徴

ここからは「ブレインスリープ コイン」の特徴をご紹介します。

1:かつてないほど高性能な睡眠分析

睡眠研究を基に独自開発したアルゴリズムと、睡眠研究で使用されている技術を応用。今までの睡眠計測デバイスでは見る事が出来なかった、個人の睡眠ステージ(睡眠の深さ)、寝姿勢、寝床内温度(布団の中の温度)、いびきが明らかになります。

睡眠の深さを可視化できる

アプリの写真

独自の睡眠ステージを判定するアルゴリズムとセンサーによって、4つの深度の睡眠ステージ【目覚めた状態】【レム睡眠】【浅い睡眠】【深い睡眠】に分類し、その時間を可視化。
どの時間に目覚めているのか、深い睡眠がどの程度とれているのかなどを把握することで、自分にとって最適な睡眠リズムをつくりだすサポートにつながります。

また、睡眠時間・睡眠効率・その他の睡眠状態から「スリープスコア」を算出します。毎日測定することで、週や月ごとの睡眠状態の変化を把握することもできます。

深い睡眠がとれる寝姿勢がわかる!

アプリの写真

「ブレインスリープ コイン(デバイス)」を使用すれば、仰向け、横向き、うつ伏せなど、どの時間帯にどの寝姿勢だったかも記録することができます。
睡眠ステージと重ねて見ることで、深い睡眠をとっているときや、目が覚めているときの寝姿勢がわかるので、よりよい睡眠をとるためのヒントを知るきっかけに。

さらに、寝返りの回数も記録してくれるので、マットレスや枕が自分にフィットしているのかを知ることもできます。

寝床内温度を測定して、四季によって変わる温度をコントロール

寝てる写真

冷房や暖房で室内温度を調整しているのに、睡眠の途中で目が覚めてしまった……という経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

睡眠には、室内温度だけでなく、布団の中の温度(寝床内温度)の調整も重要です。寝ているときの体の温度を把握することで、最適な睡眠環境をづくりに役立てることができます。

自分では気づかない、いびきを可視化・録音

アプリの写真

自分では聴くことのできない、睡眠時のいびきを測定することもできます。
ノイズの大きさだけでなく、どの時間帯に、どれくらいの時間、いびきをかいていたかも可視化することができ、さらに、自動でいびきや環境音を録音してくれるので、普段自分では聞くことができない睡眠中の音声を聴くことができます。

子供の睡眠計測もできる

赤ちゃんが寝てる写真

お子様にも様々な睡眠の問題があり、生活時間の夜型化や睡眠時間の減少は、日々の生活に多くの影響をもたらします。
お子様の睡眠状態を正確に把握することで、大人だけではなく、お子様の日々の睡眠の質の向上にも役立てることができます。

2:心地よい入眠と目覚めをサポート

アプリの写真

雨の音や、焚き火、波の音、快眠に導く穏やかなヒーリングサウンドなど、avexとコラボしたハイクオリティのミュージックを収録。入眠時や起床時に設定することで、スムーズな入眠や心地よい目覚めをサポートしてくれます。選定できる曲は、随時追加、アップデート予定です。

また、睡眠ステージの分析によって、眠りの浅いタイミングに合わせてアラームを鳴らすことができるので、深い睡眠時に無理やり起きるということが減り、爽やかな目覚めを導いてくれます。

3:眠るたびにコインが貯まる

SLEEP COINのサイクルイラスト

睡眠計測をはじめ、アプリ内で様々なアクションをすることで、アプリ内で「スリープコイン」がたまります。
貯まった「スリープコイン」は、『ブレインスリープ』商品の割引クーポンや、アプリ内の音楽購入、アプリ内の宝くじなど、お得なクーポンやサービスに交換ができます。随時様々な商品クーポンやサービスなどがアップデートされるので、睡眠の楽しみが増えます。

実際に試してみました!

筆者が実際に、数日間「ブレインスリープ コイン」を試してみましたので、計測までの手順も交えながら、測定結果や感想をご紹介します!

1:まずは「ブレインスリープ コイン(アプリ)」をダウンロード

「ブレインスリープ コイン(アプリ)」をダウンロード(iOS/Android対応)します。 アプリの写真

ホーム画面では、現在保有している「スリープコイン」の数や、スリープスコアなどを見ることが可能です。睡眠を測定するときは、右下の「計測」のアイコンをタップして、測定時の設定をしましょう。

2:入眠時と起床時に流す音楽を選んで起床時間やスヌーズ設定

アプリの写真

計測アイコンをタップするとアラーム画面が出てくるので、そこから入眠・起床時の音楽や起床時間・スヌーズ設定をします。

起床時刻の設定は上部ホイールでも設定だけでなく、ホイール中央をタップして、ドラムでも設定することができます。就寝時刻はその他設定が終わった後に「スタート」をタップすることで自動的に設定されます。

入眠時と起床時の音楽は、0コインでダウンロードできる音楽のほか、アプリ内で貯めた「スリープコイン」で購入できる音楽もあります。全曲、試聴することができるので、お気に入りを見つけてください。

アプリの写真

私の入眠音楽のお気に入りは、「Slow Temp (bpm62-58)」です。スローテンポのヒーリングミュージックが耳に心地よく、いつの間にか眠っていました。他にも、雨の音や、ピアノの音など、様々な音楽が収録されています。

アプリの写真

起床音楽のお気に入りは、「Nature Morning Ambient」です。波の音や小鳥のさえずりが、ゆっくりと目覚めさせてくれるので、朝から清々しい気持ちになれます。

最初は「こんな優しい音楽で起きられるの?」と心配になるのですが、設定した時間内の眠りの浅いタイミングに起こしてくれるので、“いつの間にか目が覚めている”というような感覚で起きることができます。

朝のアラームを不快に感じている人は、ぜひ試してみてください。最後に起床時間やスヌーズ設定をします。

3:いびきや環境音を計測する場合は計測をオンに

いびきや環境音を計測する場合は「いびき&環境音を計測」をオンにしてください。

アプリの写真

4:最後はデバイスとアプリを連携して、いつも通り眠るだけ

次は「ブレインスリープ コイン(デバイス)」をBluetoothで連携させます。先ほどのアラーム画面の下部に「スリープコインデバイスの連携」部分をタップすると下記の画面が出てきますので、「デバイス連携」をタップ。

アプリの写真

次の画面で「BSC-○○(6桁の番号)」が出てくるのでそちらを選択し、確認画面で「ペアリング」をタップすると本体の表側に内蔵されたランプが1秒間点灯します。(クリップに入っている状態でも確認いただけます)本体のランプが光れば連携完了です。

最後にアラーム画面の「スタート」をタップすると下記の画面が出てきます。こちらでアプリの設定は完了です。
あとはデバイスをパジャマのウエスト部分に装着して眠るだけ。とても簡単です。

ちなみに寝床内温度はリアルタイムで表示されているので、暑苦しくて起きてしまった時も寝床内温度をすぐに確認することができました。
※スマートフォン1台に対して、同時に連携できるブレインスリープ コイン(デバイス)は1つのみとなります。

アプリの写真

4:翌朝、高性能な睡眠分析が解る!

翌朝起きると、様々な睡眠スコアが分析、記録されています。

「睡眠リズム」

アプリの写真

まず、どの時間帯に、どれくらい深い睡眠をとれたかがわかる「睡眠リズム」。眠りについてすぐに深い睡眠に入り、明け方になるにつれ、浅い睡眠が多くなっていることがわかります。この日は、睡眠効率「85%」でした。日によって「77%」の日や「94%」の日などもあり、毎朝起きてチェックするのが楽しみになりました。

「二度寝回数」「中途覚醒回数」「寝床内温度」

アプリの写真

「寝床内温度」は、布団の中の温度のこと。理想の寝床内温度は32~34℃と言われているので、この日は少し寝床内温度が高かったです。「睡眠ステージ」を重ねて見ることもできるので、自分にとって深い睡眠を促してくれる最適温度を知ることができます。

中途覚醒回数は、自身では目が覚めた記憶はありませんでしたが、開発担当者に確認したところ、自覚無しで覚醒している回数も含まれるとのことでした。こんなに無自覚で覚醒していることにとても驚きました。

「いびき」と「環境音」

アプリの写真

「睡眠中のノイズ」では、睡眠時に、どのような音が聴こえたかを記録してくれます。
この日は一度も「環境音」を測定していないのですが、他の日では、布団の擦れる音や、空調機の音などを拾って録音していることもありました。いびきをかく人の場合は、いびきを録音してくれるので、実際に自分で聴くことができます。

「寝返り」

アプリの写真

仰向けで寝始め、横向きになりながら寝返りを打っていることがわかります。
「大人がひと晩に打つ寝返りの回数は20回前後、子どもはもう少し多い」と言われているので、筆者は少し寝返りが少ないです。寝返りが少ないと体に負担がかかってしまうので、マットレスの硬さや枕の高さを見直してみると良さそうです。

また、横向きで眠りについた日は横向き寝の時間が長く、うつ伏せで眠りについた日はうつ伏せ寝の時間が長かったので、できる限り、仰向けの姿勢で眠りにつくようにしようと思いました。

「睡眠ダイアリー」で毎日のコンディションをメモ

アプリの写真

「目覚めの気分」や「日中の眠気」などをメモする項目もあります。記録しておくことで、どんな睡眠が自分にとって合っているかの参考にすることができます。

5:眠るたびにコインが貯まる

ホーム画面右下の「ミッション」をタップすると、スリープコインが貯まる様々なミッションが表示されます。
ログインや計測など、アプリの機能を活用することで「スリープコイン」を貯めることができます。貯まった「スリープコイン」は、アプリ内の音楽購入のほか、『ブレインスリープ 』商品に使えるクーポンとの交換も可能です。

睡眠状態をチェックをしながら、どんどんミッションをクリアして「スリープコイン」を貯めましょう!

アプリの写真

睡眠状態を可視化して、睡眠の質をより高めましょう!

「人生の約3分の1を占める」と言われている睡眠ですが、自分で把握することもコントロールすることも難しいもの。睡眠の質にこだわりたい人は、最先端技術と研究によって開発された「ブレインスリープ コイン」を使って、睡眠状態を可視化し、より良い睡眠をサポートしてください。

Information

BRAIN SLEEP COIN(デバイス)

ブレインスリープコインの写真

かつてないほど高性能な睡眠解析&パーソナルな睡眠計測が可能。クリップタイプの快適な装着感。ボタン電池ひとつで、約6ヶ月持つ省エネ設計です。

計測項目:パーソナルな睡眠ステージ(リズム)/環境音(いびき)の録音・解析/睡眠時の寝姿/寝床内温度の計測
重さ:7g
素材:本体・ABS樹脂・PC(ポリカーボネート)、クリップ・シリコン・ステンレス
ボタン電池:CR2032
接続方法:Bluetoothによる接続
価格:¥8,800(税込)

BRAIN SLEEP COIN(アプリ)

睡眠計測アプリケーション。コンテンツはソフトウェアのアップデートで追加されます。

  • 計測項目(アプリのみ):睡眠ステージ(リズム)/環境音(いびき)の録音・解析
  • 対応OS:iOS/Android(iOS13及びそれ以降のバージョン、Android10及びそれ以降のバージョン)

※アプリケーションのみでも使用可能ですが、スリープコイン(デバイス)を使うことにより、計測項目や精度が上がり、より正確な睡眠計測が可能になります。

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情熱だけは、眠らせない。-VTuber因幡はねるが語る「ファンとの約束」

夜23時。多くの人が一日の終わりを迎える時刻に、ひとりの女性が画面の向こうでマイクに向かう。因幡はねる。ななしいんく所属のVTuberとして、7年以上にわたって視聴者と向き合い続けてきた彼女にとって、この時間は特別な意味を持つ。 「みんなの生活のルーティンのうちの一つになりたい」 そんな想いから始まった、毎夜の配信。 人前で話すことの楽しさに気づいた転機 ──はねるさんがVTuberの世界に入ったきっかけから聞かせてください。意外な経歴をお持ちだと聞いていますが。 はねるさん: もともと小さい頃からずっと勉強ばかりして育ってきました。友達もあまりいなくて、表に立つようなことはしないで、ひたすら勉強だけして、いい学校に入るという感じで生きてきたんです。でも大学の時に塾の先生や、エナジードリンクの試食販売のMCなどをバイトでやったときに、意外としゃべるのが好きだなって気づいて。意外と目立つことも好きかもって、そこで初めて知ったんですよね。 それから生配信というものをやってみたときに、ちょっと才能があるかもと思いました。実際才能があったかどうかは置いといて、自分ではちょっと自信がついた時があって、これを一生涯の仕事にしてみたいなと思ったんです。 ──勉強一筋だったのに、人前で話すことが好きって意外な発見だったんですね。 はねるさん: そうなんですよ!自分でも本当にびっくりしました。今まで全然そういうことやったことなかったから。 なぜ毎日23時配信?「ルーティンになりたかった」 ──毎晩23時という時間にこだわった理由があるんですか? はねるさん: デビュー当時に思っていたのは、みんなの生活のルーティンの一つになりたいということでした。なので配信時間も固定していたんです。必ず毎日夜の23時からと決めて、夜の23時になったらYouTubeを見たら因幡はねるがいるというのを、みんなの中に植え付けたいという狙いがありました。毎日23時で必ず配信するというのを続けて、デビューしてから丸一年間は1日も休まないでやっていました。 ──1年間1日も休まないというのは本当に驚異的ですね…! はねるさん: 必ず毎日23時は絶対で、23時にできなかったら朝やるということもやっていました。ただ、最初に初めて休むという時が、ネガティブな理由、例えば病気になった、事故に遭ったとかで休むのはやりたくなかったんです。なので、丸一年経った時に普通に「ただ休みます」と言って休んで、旅行に行ったりしました。 ──最初の休みがポジティブな理由だったのは、ファンの方にとっても安心できたでしょうね。 はねるさん: そうですね。「体調不良で休みます」や「トラブルで休みます」ではなく、「ちょっと旅行に行ってきます」と言えたのはよかったと思います。 配信は「呼吸のようなもの」 ──現在、配信に対する気持ちはどう変化しましたか? はねるさん: どちらかというと、もう配信をやることが当たり前になっています。それがもう普通に、呼吸みたいな感じで生配信をするという状況になっているから、むしろ配信しない日の方が特別みたいな感じになっちゃってますね。 VTuberを始めて7年ちょっとになりますし、その前もずっと生配信を生業としていたので、もう生配信をやらない日というのは私の中で特別なんです。 ここ最近は休むことも増えてきましたけど、休むときはやっぱりすごい罪悪感を感じながら休んでいます。「今日風邪をひいちゃった、休まなきゃいけない、本当に申し訳ないな」とか「今日ちょっと用事があって休まなきゃいけない、申し訳ないな」って、いまだに1日休むだけでもすごい後ろめたい気持ちになります。 「平均で見る」という哲学 ──長く活動を続ける中で、注目度の変動はどう捉えていらっしゃいますか? はねるさん:...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...

情熱だけは、眠らせない。-フットサル界のパイオニア・中井健介が語る「挫折を力に変える哲学」

「野球選手になりたかったんです」 そう笑顔で振り返るのは、フットサル日本代表候補にも選出され、現在は次世代のフットボール文化創造に挑む中井健介さん。小学3年生で友人に誘われるままに始めたサッカーが、やがて彼の人生を決定づけることになった。 「友達に誘われてサッカーを始めた。そこから全てが変わりました」 その道のりは決して平坦ではない。幾度もの挫折を乗り越えながら、常に「負けたくない」という想いを燃やし続けてきた中井さんのストーリーがここにある。 どうしても諦められなかった滝川第二への想い ──中井さんがフットボールの世界に本格的に入るきっかけから聞かせてください。高校受験でかなり苦労されたと聞いていますが。 中井さん: 中学時代にサッカー選手を目指すと決めて、兵庫県で一番強い滝川第二高校のセレクションを受けました。1次は通ったんですが、2次で落ちてしまって。3次セレクションも受けたんですけど、だめで。 ──普通ならそこで諦めますよね。 中井さん: どうしても入りたかったんです。ちょっと他も考えましたけど、やっぱり最終的には滝川第二しかないと思って。それで中学校の監督に相談したら「ちょっと言ってみるわ」と言って、滝川第二の監督に直接掛け合ってくれたんです。 数日後に返事が来て、「3年間試合に出られなくても、勉強して普通科で入学すること」という条件を出されました。一般入試で合格すれば、サッカー部への入部を認めるということでした。 ──それはすごい条件ですね...! 中井さん: セレクションというのは、実力不足の人を入学させないことで、その人に早めに諦めをつかせてあげる優しさでもあると思ったんです。でも、その優しさを受け取らずにチャレンジしたかった。 それまでサッカー中心の生活だったのを、3ヶ月間サッカーを封印して猛勉強しました。そして見事合格を勝ち取って、念願の滝川第二サッカー部に入部できたんです。 背番号31番からの這い上がり ──入学後はいかがでしたか? 中井さん: 現実は厳しかったです。背番号31番。セレクションを経て入部した選手が1番から30番までを占める中、一般入試で入学した僕だけが31番でした。完全にレギュラーから外れた存在として高校生活が始まりました。 でも、ここで諦めるわけにはいかない。一番技術が劣っているなら、一番長い時間練習するしかないと思って、誰よりも最後まで残って練習を続けました。 ──その努力は報われましたか? 中井さん: 地道な努力を監督が見ていてくれて、実力よりも人間力を評価してもらえたんです。1年間の頑張りを見てくれていた監督に試合出場の機会をもらえました。ただ、高校時代はそれでも順風満帆ではなくて、先輩からの厳しい指導や度重なる怪我もありました。 特に2年生の夏、重要な3大会の直前に怪我で落選した時は本当に悔しかったです。チームはその3つの大会を全部優勝しちゃって。「自分もそこにいたかった」って思いましたね。 大学でも続いたサッカー人生 ──高校卒業後は大学でもサッカーを継続されたんですね。 中井さん: はい、専修大学でサッカーを続けました。チームは日本一にもなったんですが、僕はベンチメンバーでした。それでも大学サッカーを通じて、さらに高いレベルでのプレーを経験できたのは貴重でしたね。 フットサルとの運命的な出会い...